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かがやくスパンコール

最近のメモ、雑記。

ずっとこころのすみっこに鎮座しているもやもやしたものがいくつかある。立ち直れないほどではないけれど、直ぐに忘れられるわけでもなく、目立つ傷が残っているわけではないけれど、小さな針でちくちくと刺したときの痛みがずっと消えないような。そんな感じがする。
くよくよしないと決めていても、やっぱり季節や音楽に紐づいた記憶がふと蘇る瞬間があってじめじめした気持ちになってしまう。ああ、自分は自分が思っているよりも、ずいぶん弱っちかった。しかも、意外と繊細な部分を持ち合わせているのだと気がついた。案外、分かっているつもりの自分のことも案外分かっていないのかもしれないな……自分自身の「こころ」と一緒に過ごしてきた年月は長くなってきたけれど、まだまだ自分の知らないところがたくさんあるみたい。
「わたしってこうなんだよね」とひとつのカテゴリに当てはめるのではなく、多様な要素を併せ持つ生き物だと捉え直して。誰かがたったひとつの方向から見たわたしの印象がすべてなのではなく「わたしってこんなところもあるんだな」と思いたい。何事も多角的に見られるようになりたいよね。周りの人に対してもそういう大人でありたいな〜

最近「あ、わたし恋に落ちる……あ、落ちたわ……」と思った出来事があったのですが、薄々気がついていた感情にずっと蓋をして「そんなわけがない信じないぞ」と薄目を開けてはやっぱりだめだとギュッと瞼を閉じて。心に湧いてきた仄かな感情を忘れようとしていた自分の悪あがきが馬鹿馬鹿しく思えるほど、落ちる瞬間は一瞬だった。
眩い光の中に、その光よりももっと輝くスパンコールみたいな笑顔をみつけたときにはもうだめだった。音楽が鳴った0.1秒後には、万華鏡みたいにころころ形と色を緩やかに変えながらその場の空気を変えてゆく。そんな魔力に抗えるわけがなかったのだ、はじめから。撃ち抜かれたのか?いやあ、どうだろう。攫われたのかもしれない、ふわふわとした風にひとたまりもなく。気がついたときにはもう遅い。手の上で踊らされていることはわかっているけれど― まあいいか、そういうのもなんだか楽しそうだから。さっさと降参の旗を振りながら双眼鏡越しにその笑顔に手を振った。
あらゆるところに散らばった「好きなんかじゃないぞ」を拾い集めると、裏側には「わたし絶対に好きでしょ?困っちゃうわ」が潜んでいて笑ってしまう。素直じゃないなあ、ほんとうに。……緑色のお洋服を探してきます。(何枚買うつもり?)


「好き」が「好きだった」に切り替わる瞬間ってあるのかな?スイッチをぱちぱち切り替えるみたいにさらりと切り替わるのか、それともフェードアウトしていく音楽のようにさざ波のように変わっていくのか。どっちでもないのかな、どうなんだろう。自分自身の揺らがない「好き」と変わりゆく「好き」の狭間にいる気がする。

改行しないとやっぱり読みづらいね??

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