見出し画像

「日本沈没〜希望のひと〜(第9話)」大地が消え、人が残る。その悲壮感が描けない現代。

最後の30分で、日本沈没が一気に起こる展開。そこまで、大地が怒っていない状況は、どう考えてもこういうドラマにはあってはならないことだ。そう、それがないことで人々の危機感が全く描かれていない。これでは、庶民が移民に行くくだりも、そんなにうまくはいかないだろう。ドラマ全体約8時間くらいの中で、日本が沈むという、危機状況が今あったらどうなるのか?ということが描けたかというと、まあ、人材不足感、世界からの孤立感的なものは少しは描けていたような気もするが、生きる大地を失くす悲壮感は最後まであまり感じさせてもらえなかったというところであろう。

そういう意味では、CGなどそんなに使えない、金のない状況でどう日本沈没を描くか?という魂胆だったのだろうか?最後まで見終わっても、作り手が何を提示したかったのかはよくわからなかった。まあ、そういう軽さみたいなものが現代なのか?

最後の方で、感染症を無理クリ入れ込んで、それも、地球温暖化のせいだという。それが、今の時代のメッセージのように使われるのもおかしい。そして、現実を見ればわかるように、そんなに簡単に特効薬で解決する問題でもないだろう。特許を開示するというのは、ファイザーやモデルナへの批判なのか?どう考えてもいらない話だ。ただただ、移民推進の当事者たちを惑わすための事象であり、邪魔であるとしか言えない。

まあ、このオリジナルな全体像を作るにあたって、小松左京の原作にあるメッセージ的なものは何か?ということもあまり考えていなかったのであろう。だから、ただの政治劇として描き、今なら、こんなことになりますよという流れ。そんな中、先週はテロリストで首相が倒れるという、これもいらないことを入れ込んでいる。テロリストの存在も明らかにしていないし、とにかく、視聴者に、「なんだ、これ!」と思わせて次の回を見せる技。大体、石橋蓮司がここで首相の代わりを務めるということは、今なら麻○太○に日本を預けるようなものですよ。ありえないし、未来が見えてこない。

最後に、北海道と九州を沈めなかったのは、日本が残るというフラグなわけで、その土地を守ために、国はどうするか?という話は出てこない。確かに小栗旬と杏は、未来に向かって一緒に暮らすのかもしれないが、そこにエロさが全くないのはおかしいのだ。言うなれば、この二人は新しい日本のアダムとイブ的な存在にならなくてはいけないのではないか?そういう意味では、この二人と松山ケンイチが希望の人ということなのだろう。日本がダイナミックに沈んでも、人と人の動きのダイナミックさを感じさせないのが悲しかったとしか言えない。

原作では、日本と共に沈むことを選んだ香川照之のはずだが、生き残って、おにぎりを食べている。彼の日本への想いもよくわからなかった。食欲は人間には欠かせないものだが、彼はそれを忘れても日本を守る人でなくてはいけない気はする。そういえば、彼の汚職事件もちゃんと説明できてないよね。

とにかく、エンタメでも大きな災害があった時の悲壮感がしっかり描けない国は、何があってもこういう事態から国民を守れない気がする。そう、感染症に怯えながらも、全くそれで困った人たちを救うこともできないこの国に、日本沈没に対しては、まともな処理ができないということを説明するドラマであったのだろう。

天国にいる、小松左京氏はこのドラマをどう見たか?聞きたくて仕方がない私である。

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?