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「MOTHERマザー」21世紀の映画の紡ぎ方。息する人間の本質をどこまで描き切れるのか?

大森立嗣監督は、飾りのない人間の本質を映像に炙り出したいのだと思う。それは、前作「タロウのバカ」でも同じことだったのだろう。ただ、前作が何やっても問題ないインディーズ的な映画に対し、役者も映像もお金がかかっている映画、メジャーの映画館での公開作品でどこまで自分のやりたい映像に仕上げられるか?というところだと思う。

題材は実話に基づく、祖母祖父殺しの少年の少年時代から殺害を犯すまでのの母との特別な生活の道程。大切な時期に、奔放に自堕落にしか生きられない母に育てられた心の機微。その向こうに見える、人間の野生の本質的なもの。

自堕落で家族や男から金を奪って生きることしかできない母役を長澤まさみが演じる。こういう役は初めてだろう。長澤自体が今の女優人生の殻を破りたかったということは少なからずあっての出演だろう。熱演ではある。だが、それを私は絶賛するものではない。何かが足りない。多分、演出側でも、もっと本能の赴くままに野生的な映像に昇華することを望んでいたのではないか?それは、前作「タロウのバカ」がそういう映画であったことからも感じることだ。

長澤は、少しむくんだ身体で演じている。水着姿も出てくるが、ある意味そこにだらし無さが感じられる。多分、役作りだと思う。そこまでして挑んでいるんだとも感じた。だが、叫ぶシーンも、SEXに男を誘うシーンも言葉にできない足りないものがいっぱいある感じのモヤモヤが映画全体に漂っていた。多分、昭和の巨匠たちなら、長澤をパワハラの頂点のような演出でいじめ抜いて、役の本質に近づけていっただろう。デジタルで撮り直しがお金を考えずにできる時代。そして、仕事として俳優業がある一定のレベルで保護されている時代。その中では、目一杯の映像が完成しているという感じに私には見えた。それは、男たちにも言える。

類は友を呼ぶというように、阿部サダヲをはじめにダメな男がよってくる。彼らもまた、寸止め感が強い。もちろん、十分にダメ男演技はできているのだが、その隠れた感情、弱さと苛立ちみたいなものが、一線を越えていかない。そう、空気感が結構澄んでいるのだ。侮蔑の言葉が吐かれながらも、そこに荒れた「気」が見えないということ。

長澤と二人の子供はホームレスにまで堕ちていく。だが、流石に顔や髪をそれほど汚すことはない。漂う臭いがそこに表現されていない。多分、監督が様々に闘った結果の感じもする。だが、ホームレスで保護された後の長澤の眼は生きていた。何に恨むかわからないような眼力は印象に残る。そう、長澤の芝居は、結構、これで目一杯なのだろう。女優として次のステージに上がろうとしているのかもしれないが、それは一人ではできない。良い演出家に出会うことである。そういう意味では大森監督との出会いが今後、どういう化学変化を起こしていくのか、興味深い。

この映画で印象的なのは、長澤の息子、つまり殺人犯になる息子役の二人(奥平大兼と郡司翔)の演技でこの映画は成立している。小学校にも行けないで、母と彷徨う人生をおくらなければいけない少年。その戸惑いと母に対する愛情。矛盾するものをいくつも背負いながら、ただ生きる。それを見事に形にしている。ここでも眼の演技がとても光る。あまりにもラストは切ないが、そこに救われたりもする。ベクトルが定まらない役を体現化しているように…。

そう、結果的には、人間の弱さと親子という離れられない関係をそれぞれの視線の中で映像に封じ込めている感じの作品だ。そのまとめであるラスト、犯行を犯して弁護士に対峙するシーンからの、長澤と奥平、そしてそれを見つめ奥平を救おうとした夏帆の三人の視線が強調してアップされながら、救いのない、理解できるようでできない、人の性みたいなものが増幅されていく。最後、長澤と夏帆が寄り添う部屋の中に、監督は何を示そうとしたのか?観客一人一人が背をっているものを吐き出させるようにメインタイトルに繋がる。

そう、夏帆は、端役ではあるが、実に印象的な演技で映画の中にくい込んでくる。主演作「Red」でもすごい緊張感のある演技をしていたが、ここでもまた、胸の奥を晒すような演技だ。本当にいい役者さんになってきたと思う。そして、いい眼をしている。

大森監督は、日本映画の本来持っている重い避けては通れぬ世界を好んでいるようだ。そういう意味で貴重な存在である。一つ一つの映画に確実に21世期の現代の背けてはいけない現実が映し撮られていくような作品群。興行的にはなかなか難しいが、今後ももっと、日本の大切な側面を映像にしていって欲しいと思った。


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