「妻、小学生になる。(第7話)」今生きていることが幸せと感じながら、魂が動く
正月に魂が消えていく?まだ7回目だぞ。少なくともまだ2回は残っているわけで、この後が、この話の種明かし?というところなのだろうか?しかし、毎回、少しずつ出てくる、石田ゆり子が印象的だ。その魂のオーラが強くなるところが、このドラマの言いたいところだったりするのかもしれない。そして、石田のいないところを毎田暖乃が見事に存在をサポートしている感じ。そこのところは、毎回すごいですよね。今までに見たことのない芝居の繋ぎみたいなものを感じたりする。今回で言えば、神木隆之介を諭すところだ「生きてるだけで幸せだ」という内容のことを言うが、説得力を増すために、最後に毎田が石田に化ける。このドラマのテーマはこういう変身場面に込められている感じがする。そういう意味ではわかりやすい。
その後に、母親である由紀さおりと対峙するシーンがある。ここもなかなか緊張感ある場面。でも、本質的に生きていない石田はちゃんと母親に優しくはできない。そして、蒔田彩珠が、杉野遥亮に告白するシーンが続く。そう、生きているからこそ、人と人とはコミュニケーションが取れるのだ。この繋ぎはうまいと思ったりした。
由紀さおり、認知症の母親役を好演というか、怪演していた。ほとんどセリフのない役であるが、表情と仕草だけで、その存在感を見せつける。なかなか良いキャスティング。でも、こういう役を引き受ける由紀さんの意気込みに拍手というところだろう。こういう役柄を演じさせてもらえる女優さんは、ある意味、それができると認められて呼ばれるのだろうから。少し、彼女の演技に感動してしまった。
今回は、そんな石田ゆり子の生まれ故郷に戻って、魂が、その風景を確認し、今の状況を皆が顧みる時間を描くということだったのだろう。そう、だからそれが終わった後に、毎田が抜け殻みたいになり、石田の記憶が消える。とはいえ、魂はどこに?
いや、毎田の魂が毎田に戻ってきてるんだよね。この辺り、もう少し、視聴者に分かりやすくしてほしいんだよね。そう、そういう部分の分かりにくいのがこのドラマの難点だったりする。いっそ、出演者の中を魂が動き回るくらいのことした方が面白いのではないか?とも思ってしまうのだ。
まあ、堤たちのポンコツの状態の生活が見ていられなくて、魂が戻ったみたいな話なのだろうから、ドラマとしての帰結点は、やはり、現在地の幸せと未来への希望を示すことだと思ったりするわけで、そうすると、ここで毎田の魂が簡単に元に戻ってしまうのは、なんか違和感な気がするんですけどね。どうなの?
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