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「ラーゲリより愛を込めて」何故今この題材かというよりは、今だからこの題材ということだろう。戦争は人を人でなくす行為だということ。

2022年は戦後77年目である。つまり、後期高齢者でも、戦争を知らない老人がいるということ。いや「戦争を知らない子どもたち」と歌っていた世代が「戦争を知らない老人」になったということだ。そう、戦争など知らない方がいい。世界に地球に戦争などという行為はいらないというのが、私のスタンスだが、ウクライナではまだ戦闘状態。日本も防衛費を倍にするとか言い出す始末。現首相はキチガイであると私は確定する。反撃するというのは、戦争を容認するということだ。全て、国会で議論もせず、閣議決定などというアンフェアなシステムで戦争を起こすなど、平和憲法で動く日本の首相としては正気ではない。まずは、退陣していただきたい。

そんな状況の中で公開されたのがこの映画である。原作は辺見じゅん原作のノンフィクション「収容所から来た遺書」。この題名は、結末のネタバレになっている。だから「ラーゲリより愛を込めて」という題名に変えたのだろう。なかなか素敵なタイトルだと思う。そして、しっかりとその愛が観客に届く映画になっていた。瀬々敬久監督作品。今年、もう一本公開された「とんび」もそうだったが、正攻法にしっかりと構築された映画だった。そう、「映画とはどんなもの?」と聞かれた時に、「こんなもの」と提示できるお手本みたいな映画だった。なんというか、2時間超の時間の中に、こちらが眠気をもよおすようなスキがない。全てのシーンが有機的につながり、戦争批判映画としてもしっかりできていた。本当に、多くの日本人に見ていただき、反戦を考えていただきたいと思った。まずは、首相に見ていただき感想が聞きたいところだ。

シベリア抑留の映画というと、私は「人間の條件」を思い出す。それは白黒のワイドスクリーンの中に、戦争を知っている役者たちが迫真の演技でシベリアの狂気の姿を描き、今も脳裏にこびりついてる。その主役を演じていた仲代達也氏は今年90歳になるという。もう、五味川純平原作の戦争小説を若者が読む機会も少ないのだろう。そんな時代に放り込まれるこの映画、どんなものができるか楽しみなのと怖いのとが混同する気持ちの中で観てきた。

二宮和也をはじめとして、役者たちはそれぞれの思いでこの狂気の場を演じようと頑張ったのだろう。だが、今の映画である。殴ったり、血を見るシーンは押さえてあるように感じた。同じような収容所の映画として、今年「アウシュビッツのチャンピオン」という映画をみたが、こちらは観ていて辛いくらいに痛く出来上がっていた。いろんなスポンサーの意向もあるのだろうが、実際はここに描かれる倍以上の苦痛があったと思う。それを描けない日本の状況はなんなのだろうか?という点はある。また、この間観たインド映画「RRR」では、占領していたイギリス人を悪魔のように描いていたが、ここでも、ロシア人をそのくらいに描いてもいいと思ったりもした。戦争とは理屈をこえた狂気であるのだから。それに伴い、当時の共産主義への風当たりみたいなものをもう少し描いても良かったのではないかとも思う。主人公がロシア文学が好きで、収容所で通訳もやっていたという事実があるなら、その辺の葛藤みたいなものも大きかっただろう。その辺があまり描かれていないのは、時間の関係もあるだろうが、少し残念な気はした。

また、極寒のシーンも、甘々な感じがした。VFXも使ってその空気感を出そうとしたのだろうが、この辺りは「八甲田山」などには遠く及ばない感じ。やはり、映画館の観客にその寒さがわかる作りが欲しかった。全体に、戦争で傷ついた心象、そしてロシアの空気感みたいなものがもう一つ出せていないということである。

それがあれば、多分、役者の演技は数倍良く見えた気もする。もちろん、瀬々監督の演出力は素晴らしく、いつもの日本映画に比べれば、比較にならない濃密な世界が描かれているのだが、だからこそ、足りないものを感じるのだ。音楽などの使い方ももっとダイナミックにしても良かった。

そんな、シベリアの風景が映画の9割くらいを占める映画なわけだが、そこに、日本にいる北川景子演じる、妻モジミの姿がかなり印象的に挿入されている。これは、くどくない描き方でとてもよく、最後の遺書を届けるシーンにうまくつながっていた。

そして、これを演じる北川景子は、その佇まいで、見事に昭和の女を演じていた。瀬々監督の演出によるものと思うが、最後の40歳くらいになって、少し姿勢が悪くなった感じをうまく演じていた。まさに、そこに力強い昭和の母の姿が描かれていた。彼女にはまだまだ美しくたおやかに女優を続けていってもらいたい。

ラストの収容所の仲間たちが遺書を届けるところで、どう観客の涙腺を崩壊させるかというのが、この映画の使命であろう。安田顕、松坂桃李、中島健人、桐谷健太、それぞれ違ったキャラクターがそれを伝えることでドラマとしては良くできていたし、そこにおいて、戦争の愚かさ、そして生きるということの意味みたいなものを作品の中に成就させている感じには、なかなか好感が持てた。このラストシーンは上出来である。だから、最後に出てくる寺尾聰は蛇足にも見えた。時代の流れを示すために挿入したのでしょうけどね・・・。

結論として、起こした戦争は、国がどう処理するかではなく、個々人がどう解釈していくかという仕事が大きい気がする。戦争は良い思い出など残さない。しかし、人はそこで色々考えた末に今を生きているのだ。

だから、戦争は決してどんな状況であろうと起こしてはならないのだ。人が人を殺したり、痛ぶったりすることになんの意味があるのだ?全ては無意味・・・。

演出の少しの不満よりも、そのテーマ性を色々考えながら、映画館を後にした。そういう点では、よくできた映画であり、多くの日本の皆さんに観ていただいて、防衛費を倍増するなどというキチガイの戯言につきあわないでほしいと思った。そう考えれば、今、この映画が公開されることは、すごく意味があるのだろう。


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