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「妻、小学生になる。(第5話)」魂は混沌と人の身体を渡り歩きどこにいくのか?

話は折り返し点。毎田の本当の母である吉田羊も、この小学生の中身が変わったことを認識し出すラスト。ここでも、冷静なのは毎田だけ。そう、当事者は毎田だけなのに、周辺の方が大騒ぎになる事象なのである。よく、母親はもっと「素直な子になればいい」とか「もっと勉強ができる子になったらいい」と思うが、本当に一瞬でそうなると、戸惑うのは親の方だったりする。それは、その子供が自分達の子供だからだ。

今回は、吉田羊に対峙する石田ゆり子という芝居が出てくるが、その場が一瞬、緊張感をもつ感じが興味深かった。やはり、子役の目力と石田の目力は明確に違うということだ。毎田の芝居の力はすごいのだが、やはり子役は子役という部分が垣間見られるのはそれでいいのだろう。

そして、毎田の本当の魂は、女子高生から次の人物に渡ったようだ。こういう現象って本当にありうるのか?ちょっと興味を持つようになってしまった。神のみが知ることだが、脳に格納された記憶が全て波動ということならば、それはないことはないだろうというのが私の認識でもある。ただ、その魂と身体がどうやって一緒になり、どうなって離れるのかの道理がわからないので、難しい。そう、これがわかったら「死」というものもわかるはずなのだ。身体だけ残って、魂はどこかに行ってしまうのだから。

でも、この原作漫画はどこのところをテーマにしているのだろうか?と考えれば、そんな魂が彷徨うことよりも、この事象でポンコツに戻った、堤真一や蒔田彩珠がどう未来を掴むかというところなのではないか?それが普通の人の考え方だろうと私は思う。

だからこそ、蒔田の元に、誠実な青年の杉野遥亮が出てくるのだろうと思ったりする。都会に馴染めないが、素朴な優しい青年という姿を、おばあちゃんのこぼしたみかんを拾うところで示す感じも良い。そういう優しい波動が蒔田を包み込むことで恋は生まれるのだ。

それと同じように、石田に魂の生まれ変わりが、堤の仕事にもハリを生んでいる感じ。そして、その周辺の波動も変えていく感じが面白い。だから、森田望智の恋心も成就しないこともないだろうという気がする。

ここから、後半なわけだが、毎田の本当の魂は、どううろついていくのか?というのは、この本質の話とどうシンクロしていくのだろうか?子供の魂だからうろつきやすいということなのか?まあ、普通に考えれば元の鞘に収まるということなのだろうね。

本当に問題なのは、成仏できないでいた石田ゆり子の魂のわけだ。それがちゃんとお墓に入って終わりという単純ストーリーなのかもしれませんね。まあ、そんなに「すごい!」というようなラストは期待していないが、自分自身、成仏できるような死を迎えたいものだとかいうことを考えるドラマなのかもしれませんな。


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