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「前科者」演出と役者の演技が見事に嵌って、重厚にテーマを紡ぐ。そこにあるのはリアルな日本の姿

SNSで好評な意見を見て、ほぼ、情報を入れずに見た。思う以上にしっかりとした良い映画だった。役者たちの演技がとても印象的。全ての演者が有機的に映像の中に存在する。そして、日本という国のなかなか成長できない部分を見せつけられた感じもした。

そして、情報をほとんど入れないでみたせいで、この原作がコミックであるということも知らなかった。コミック原作でこういう話ができるんだと思うと、本当に日本のコミックの内容の幅の広さというか、世界の広さはすごいなとも思うし、これだけ映画として作り込むことができるのだねと思ったりもした。

とにかく、役者たちが皆すごかった。森田剛という役者がこれだけ重い役をこなせるとは思っていなかったし、それに対峙する有村架純も今までにない存在感があった。ラスト、有村が森田に話しかけ、彼の未来について語るが、その厳しくも優しい言葉に、ボロボロな気持ちをなんとか持たせようとする森田の表情がとにかくすごかった。

そして、ここに描かれるテーマは、昔からずっと我々が抱えている問題だ。他人を殺め刑務所に入る人間は、幸せの生活を送るための何かがかけ、また、弱みに漬け込まれ、何かに怯えたりして、人として扱われなくなる人たちだったりする。そういう根源的な意味合いを強く感じさせられるようにドラマは仕組まれ、犯罪を犯す若葉竜也の夢遊病者のような演技もまた、その世の中の矛盾を大きく映し出している。

昨年の映画「護られなかった者たち」も、役に立たなかった生活保護担当者を殺す話だったが、多分、こういう公による雑な行為が人に対し怒りのエネルギーしか産まないことは、今現在、パンデミックの中でさらに多くなっていることだと思う。そしてまた、そんな中で受刑者がいくら頑張っても、いわゆる普通の人に戻ることは難しいというのも確かなことだ。このようなことはずーっと未来まで同じように繰り返されることにも思える。だからこそ、こういう映画で皆に考えてほしいという部分は大きいと思う。映画を見終わった後でさまざまに皆が考えても変わらないところは多いが、まずは、隣にいる人が悲しんでいないか考えて、役に立つように生きていくことなのだろう。まさに、有村架純の役はそういうことを突き詰める役である。

そして役者のことについて。昨年の今頃は、有村架純は「花束みたいな恋をした」、磯村勇斗は「ヤクザと家族」、石橋静河は「あの子は貴族」と、それぞれに印象的な役を演じていたが、それらとは全く違った役柄の彼らがここにいる。その芝居には、確かな成長が見えるし、若い演者たちが頼もしく見える。いつも書くが、昭和の俳優と比べ、今の俳優は、それらしくないという方々がいるが、私は今の役者たちの方が器用にさまざまな役をこなしているようにも見える。まあ、時代が違うプレイヤーは比べても仕方ないが…。そして、脇を固める、リーリー・フランキーや木村多江、中村優子など演技派たちは、ワンシーンでも印象深くさまざまなことを語ってくる。この木村多江主演で法廷映画も見てみたくなる感じは映画全体の作りの硬質さを表している。そういう部分は演出がとにかく明確であり、作りたいものがチームとして同じという感じだからなのだろう。

この映画の前振りになるドラマはまだみていない。この映画を見たので、アマプラで見ようと思っている。保護司という仕事に関してもあまりよく知らなかった私である。とにかくも、今日、隣に悩んでいる人がいないかという気遣いは少し増えるのかもしれない。そんな気持ちにさせた作品であった。辛い人はより辛くなるかもしれない。その辺りは残酷な映画でもある。


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