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「妻、小学生になる。(第10話)」このドラマの中心にいたのは、貴恵さんだったということですよね。

先週で、憑依した霊は、天に帰って行こうとした。そう、話は一つの区切りをつけていた。そして、堤真一と蒔田彩珠の心にはぽっかり穴が空いたままだった。ということで、石田ゆり子が毎田暖乃の承諾の元に、もう一度憑依してアンコール。それも、結婚記念日の日にというラストストーリー。全てがほっこりまとめられたストーリーの中心は、あくまでも石田ゆり子だった。

まず、家に帰って、最後の1日を過ごすことを宣言、そして、娘の恋人(杉野遥亮)に結婚をする挨拶をさせる。もう、ここから主導権は石田ゆり子にある。番組の途中途中で、今までの昔のモノローグみたいな映像ではなく、蒔田の花嫁姿が出てくる。ここは、未来の絵だ。ある意味、この映像は石田の夢の映像だったりするのだろう。ずーっと、今まで、この8mm風の映像を見て、そんな昔の映像ではないだろうと思い、こういうエフェクトの掛け方は時代錯誤ではないかと思ったりしていたが、そう、夢の中の映像ならわかる気がする。ちなみに私の見る最近の夢は、昔より画質が良くなっている気がします。でもね、こういう、画像の画質で昔を表すのが意味をなさなくなるのはすぐそこまできているとか思ったりします。

そして、今回のメインというか、最終回に全員集合の場面を作るためか?自宅で夢のレストランを開くという設定。ここは、賑やかでなかなか良かった。料理も美味しそうだったし、ホームドラマのこういう和やかさは、私はとても好きだ。そう、こういうのは長いスパンで見せていくテレビドラマでこそ映える。2時間程の映画の文法の中には、あまりないものですよね。

そんな、祭りの後で、農園がダメになっている話から、そこへみんなですぐにいかなきゃという堤。ある意味、朝まで妻と活動していたいという思いもあるのだろう。そして、夜が明け、新しい人生が始まるという最終回。

そこにあるのは、石田ゆり子が天に戻るための思い出作り。そこで、考えたのだが、初めから、石田ゆり子の一人称で、ドラマを進めていった方がわかりやすかったのではないか?天に戻れずにいる石田が毎田の中に憑依して、家族を蘇らせるというようなストーリーにすれば、また違った味わいが出てきたのではないか?ファンタジーとしてうまくいかせるには、最初から思いっきりファンタジーでやるべきではないかと思ったりするのだ。どうも、このドラマの脚本はイマイチ、何が言いたいのかわかりにくいところがあったし、10話という時間をうまく使えていなかった印象がある。

そんな中で、毎田暖乃の演技によって救われた部分は大きいし、蒔田彩珠や森田望智がなかなか女優として印象的だった。この三人は今後もっと様々な役をこなして、良い女優さんに成長していくのだろう、注目である!

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