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「罪の声」後味に人生の様々なものを感じさせる佳作。脇役陣の豪華さが映画をしっかりしたものに導いてる。

今から36年前に起こった「グリコ森永事件」をモチーフにした塩田武士氏の小説の映画化。この事件、2000年に時効になってからも20年が経つ。当時、私は新入社員時代、会社に森永がお菓子詰め合わせを直販しにきたのを覚えている。騒ぎが大きかった割に、見た目は金銭授受も成功せず、死者も出ていない。未だに、ここに出てくる子供の声に関しても不明の事件の小説化は、それなりによくできているものだった。

ただ、小説を読むと、いわゆる人を訪ねていっての推理解決ものであり、映画としては難易度は高いと思った。いわゆる画で見せて観客に伝えられる話ではないからだ。多分、どうしても説明臭くなるという印象だった。そして、そんな原作に、今テレビドラマを書かせたら一番面白いと言える野木亜紀子氏の登場。それなりに期待。

結果的には、やはり前半は説明くさい部分が多く、どちらかといえばテレビドラマでゆっくり見せたほうが面白いのだろうと思えると共に、脚本の原作の端降り方はかなりうまい。主人公の星野源と小栗旬が一緒に動き出してからは、なかなか映画的にまとめられていると思った。この作品、142分という、少し長尺だが、飽きることなくみられた事は、脚本力によるところが大きいと思う。野木さん、映画の脚本家としてもこれから期待できますね。

主人公の星野源と小栗旬は、いう事はない。原作の雰囲気を見事に演じている。二人のコントラストも好印象。また、最後にたどり着く、犯罪に使われた声の主を演じる、宇野祥平も、その暗い様相の中に人生を感じさせる好演。彼がいる事で、この話の意味合いが見えてくる。

そして、この映画、ベテランの脇役陣が映画自体を骨太にしている。梶芽衣子、堀内正美、宮下順子、桜木健一、塩見三省、佐川満男など、それぞれののシーンがそれぞれに重厚だ。最近の日本映画でここまで贅沢な脇も珍しいが、それぞれのシーンが、ドラマのテーマの重みを増幅させている。

結果的に、犯罪の糸が繋がって、その起因が学生運動にあるというのは、少し残念な原作なのだが、それよりも、犯罪に巻き込まれた人間たちが、36年経って、その現実を知り、罪の意識をもったり、逃げて生きた人生を悔やんだり、そういう運命的なものが、いかに人生を左右するかというところがテーマなのだろう。そこの部分は、かなりしっかりできている映画だった。

実際の犯人は見つかっていないし、ここに描かれることと近い部分もあるのかも知れないが、とても正解だとは思えない。犯罪に使われた子供たちが今生きていて、この映画をみたらどう思うのだろうか?多分、生きていても、知っている事は墓場まで持っていくような感じなのだろう…。普通に生きていくのも大変な今日この頃だが、このパンデミックの町の片隅で、また唐突に新しい形の犯罪が動いていたりもするのだろう。しかし、甘い話の先に良い事はないという事は確かだ。

ラストシーン、小栗が星野を訪ねてくるシーンは、なかなか気持ち良いラストである。そこにクレジットが流れ、Uruの「振り子」という主題歌が流れてくる。とても、映画をみた後に身が締まるメロディーであった。


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