「日本沈没〜希望のひと〜(第3話)」災害は突然襲ってくるから、静かな東京?
「災害は突然襲ってくる」と小栗旬は言うわけで、田所博士が大変だと言っていたり、島が一つ沈んだ割には、今回も地震が起こらない。これは、「突然襲ってくる恐怖」を強く描くためなのか?どうも私的には納得いかない。まあ、描きたいのは、そんな地下で起こっていることよりも、地上で起こっているリスク回避の流れなのだろう。地震が頻繁に起こっていたら、事を先延ばしにするわけもなく、という脚本家の論理なのだろう。
今回は、そんな煮え切らない楽観主義の人々に対し、小栗旬と杏が、新聞社にリークしたと言うことなのだろう。ラストで新聞の一面に大きく「関東沈没危機」のニュースが出て終わる。ただこの様相は、この原作が書かれた70年代初頭のあり方のように感じる。今は、マスコミは雑誌と新聞だけではない。インターネットがある意味、一番力を持っているわけで、インサイダーでもはやゼネコンに話が流れている以上、その時点でネットには噂がどんどん配信されていそうなものだ。そういう現代の情報の流れや早さみたいなものが、このドラマにはない感じがする。
まあ、とことん決断力のない仲村トオルの総理は、実に現代的で、映画の丹波哲郎のような大きさはない。それを操るような石橋蓮司は、麻生や二階のような胡散臭さを感じるのも現代的なものなのだろう。だが、実際の社会はそんなものだけに動かされているわけではない。そう言う意味では、あまりにも話をシンプルにしすぎている感がするのである。
そう、石橋が、雑誌のリークは押さえつけるも、新聞は全く押さえつけていなかったと言うのも、笑い話にしかならず、そこまで今の政府がばかではないだろうと思わせられるとこともあったりする。大体、新聞にリークさせて、公開に至るスリリングな場面を映像化していないのは何故だ?ここ、すごくみたいのだが!
この話の中心にいる、小栗旬、香川照之、杏、松山ケンイチの描き方自体はしっかりしているとは思うが、ここからは、関東沈没に巻き込まれる庶民が主人公になっていく。その辺がしっかり描けるのだろうか?という不安はちょっとある。そう、主人公たちの交わりより、対国民という部分をどう描くかがこのドラマのポイントだ。タイトルにある「希望のひと」とは、国民すべてのこととして描かれなければいけないと思う。
次回予告を見ると、やっと、沈没現象が始まり、一気にパニックムードになっていくということなのだろうが、そこで、遅かったでは、ただ地獄絵を見せられても納得はいかないだろう。そう言う意味では、この3回目までドラマの時間を止めたままにしてしまったのはちょっと不可解だ。
次週は、選挙でお休み。その前にパニックで政府が何もできなかったらその結果に影響するとでも言いたげな今までの展開であった。(まあ、選挙日程が決まったのは突然だったのでそんなことはないでしょうけどね…。)
しかし、関東沈没、ドラマの中の話であるが、こうすれば被害を最小限にできるというシミュレーションみたいなものは見せていただきたいと思うのは私だけではないだろう。
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