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連続テレビ小説「エール」。初回にタイトルを後にする、イレギュラーが、かなり気になる。

4月改編期で朝ドラもAK制作「エール」に変わる。今年のオリンピックに重ねて、その行進曲を作った古関裕而をモデルにしたドラマにしたのであろう。それは、ある意味、空振りになったわけだが、音楽家という題材には、興味あるところだ。

しかし、出だしから少し変?音楽は原始から今まで人に寄り添ってきたという感じのこと言いたいのだろうが、ある意味、コントで始まった。それも、演じるのは主人公の二人。必要な意味を感じない。

特に、朝ドラは、今回から週5本体制になり、尺も短いのでこんな余計なシーンは要らないだろう。その後の、オリンピック開会式の始まるところの緊張感からで、まったくもって問題ない。こういう余計なシーンを入れてしまうところにすごく不安さえ感じる。

ただ、主人公の窪田正孝と二階堂ふみは、すごい良い印象。特に二階堂ふみの存在は、すごく画面から飛び出してくる感じは期待できる。男性主役でも、やはりヒロインの存在感が朝ドラの出来を左右するのは、「マッサン」などでも示されたところ。

私が問題にしたいのは、ドラマのタイトルが初回なのに最後になっていたところだ。タイトルバックは良いし、GReeeeNの主題歌も初お披露目なので、やはり、最初につけるべきだったのではないだろうか?最初のコントといい、これといい、どうも演出家は、流れの作り方がへたなのではないか?と思ってしまう。

最近の朝ドラは、最終回でタイトルを最後に持っていって締めるという事をよくやるが、先週までやっていた「スカーレット」では、あえてそれをやっていなかった。全体に余韻を残さずに、時間省略を行なってきたドラマらしく、それは、演出として当然のように見えた。それと比べると、どうも今回はしっくりきていない。

考えれば、映画にしろ、テレビドラマにしろ、昔はタイトルは最初に出て当たり前だった。その後、いわゆる「アバン」をつけることが多くなるも、タイトルはほぼ前に方に出る感じであった。

しかし、最近、映画でも、タイトルを最後に付けるものが多くなってきている。これは、最後にタイトルの意味がわかる的な格好良さをつけたいのだろうが、私的には、それでしっくりきたことがない。まずは、映画なら大きな画面に大きなタイトルが格好いいと思っている感じなのだ。タイトルは、映画やドラマの顔であり、そのスケールやテイストを表しているものだと思う。そういう意味では、様々な形のタイトルを作れる今だからこそ、しっかり見せてほしいのである。

朝ドラを始め、ドラマの最終回でタイトルを最後にして、クレジットを流すのは、私的には、ひとつの格好良さがあるとは思う。ただ、この「エール」の初回は、唐沢寿明が子供が生まれて走ったところで、タイトル。全然、格好良くないのだ。古関裕而という人物がとても興味深いので、明日から、よろしくお願いしますね!といいたくなる初回であった。映画もテレビドラマも、初回が大事なのですよ。本当に!

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