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「不都合な片親」によって子どもはたやすく傷つけられている

前回の記事では「片親サバイバー」という名前の由来や背景について書かせていただきました。家庭問題はとかく「夫婦」の問題のように捉えられがちで、「親子」の話も基本的には「親目線」で語れることがほとんどです。

親目線の話では「片親環境」がどれほど子どもにとって過酷なのか、それについて語られることはまったくありません。どんなに子どものことを「考えている風」の親だとしても、「片親環境」で過ごすことによって子どもが受ける不利益やリスクについて想像することは不可能です。

親子が幸せに暮らすためにも、大事なお子さんが健全に成長する姿を見守るためにも、子どもにとって最も危険な「片親環境」について理解を深めていってほしいと思います。

「両親のいない片親家庭」で圧倒的に最大リスクになる

昨今、シングルマザーによる幼児の虐待死事件が連日のようにニュースを賑わせています。これはとても痛ましい事件であるとともに、私たちはちゃんとここに潜む問題点を受け止めなければいけません。

その問題点とは、「ひとり親」の家庭で痛ましい事件が起こっているということです。

正直、私からするとこれらの事件を見ても「そりゃそうだよね」という感覚くらいしかありません。事件の報道にとくに驚きもありません。事件になって驚くのは多くの人にとって「現実離れ」した内容だからです。少々〝のほほん〟とした例えにはなりますが、家にタヌキが侵入してきたら都会の人なら驚くでしょう。しかし、山奥の一軒家に住んでいて毎週のようにタヌキがやってくるような場所に住む人なら驚きはしません。

同じように、過酷な環境で生きてきて、過酷な環境で生きてる友人たちを見てきた私にとっては、虐待死なんて驚くような事件ではまったくないんです。こんな状況、事件にならないだけで、ギリギリの環境で生きている子どもたちはそこらじゅうにいます。虐待なんて平気で起こっているんですよね。

そのなかでも圧倒的にリスクを抱えているのが「両親のいない片親家庭」、つまり一方の親の顔も知らない、顔は知っているけど会うこともできない、会うことどころかもう一方の親の名前を出しただけで叩かれる、そんな家庭に育っている子どもなんです。

両親の話を自由にできるかどうかは大きな分かれ目になる

前回の記事では、「両親のいる片親家庭」と「両親のいない片親家庭」を比較して、後者で虐待リスクが高いことを簡単に書きました。ポイントとしては、

①両親の不仲は必ず子どもにしわ寄せがくる
②両親の親権争いに子どもが巻き込まれる
③連れ去りという虐待に遭う

という環境に身を置かれることになるからなのですが、もうちょっと知りたい人は添付の記事をご覧ください。

子どもにとって親というのは、何があっても「ふたり」です。しかし、いまの日本ではまるで「ひとり」かのように育てられるケースが多発しています。私自身もそうでした。「母子家庭」という言葉にもあるよう、私の親は母親しかいない、まるでそんな状態でした。父親のことを語ろうものなら罵声や手のひらが矢のように飛んできたものです。3回ほど叩かれたあたりで、子どもも学習するので、もう口にすることはなくなりますね。苦い思い出です。

離婚しているケースもあれば、離婚せずに別居しているケースもありますが、まるで両親なんていないかのように「自分」に都合よく、「子ども」にとって都合の悪いことを強いる親、それを私は「不都合な片親」と呼んでいます。

不都合な片親…「自分」に都合よく、「子ども」にとって都合の悪いことを強いる片親

「不都合な片親」は父親のこともあれば母親のこともありますが、連れ去り行為の主体になるのも、実際に親権者・監護者になっているのも母親が多い現状では「不都合な片親」が多いのもやはり母親です。

もちろん、一方の親と別れても悪く言わない親もいますし、夫婦が争わずに協力的なこともあります。離婚したあとでも夫婦仲良く子育てに参加するケースも実際に増えているので(これを共同養育といいます)、「シングルマザー=不都合な片親」という誤解を受けてほしくもありません。しかし、だからこそシングルマザー、シングルファザーと呼ばれる方々も含めて、自分が子どもを育てるときに「不都合な片親」になって、子どもから「もうひとりの親」を奪わないでほしいと強く願います。

親を否定することは、子どもの存在を否定すること

同居していないもう一方の親を否定することは、そのまま子どもの存在を否定することと同じです。子どもは大人のように「あの人はもうあなたのパパ(ママ)じゃないのよ」と言われたってまっっっっったく理解できません!!意味不明です。パニックです。パラッパラッパーです。小学校に通う年齢になっていれば、「えっ、なんで?」と疑問に思い、パパ(ママ)からなんでもいいから直接話を聞きたいなぁと思うものです。

そんなときに、私のように「あの人の話はするな!」と大声を出されたり、叩かれたりすれば、それはもう立派な虐待生活の始まりです。そこから「片親環境」は閉ざされた牢獄のようにつらい環境へと変化していきます。子どもにとって家の中は、つねに緊張感に溢れた場所になるわけです。

そんな状態ですから、子どもの社会性が健全に育まれていくのはかなり難しくなります。具体的な影響についてはまた別記事で書きますが、さまざまな葛藤があるなかで親との距離感も適切なものにはなりがたし。親は「育児がうまくいっていない」との思いから子どもにさらにストレスを向けるようになります。しかし、子どもは親の思い通りになりません。そうして徐々に子どもを思い通りに従わせるために口調が荒々しくなり、やがて手が出るようになっていくのです。

気づけばもう、親子関係が悪化してどうしたらいいかわからない…そうして一人で悩みを抱えて親が精神的に不安定になっていくという、「高葛藤のスパイラル」にはまっていくのです。

ポジティブな言葉でポジティブ子育てを

気づくいてないことが多いのですが、じつは虐待や家庭崩壊の出発点が「自分の感情に任せてもう一方の親を排除したこと」に起因していることがたくさんあると私は感じています。子どものことを思えば(そしてそれが子育てをする片親自身のためにも)、もう一人の親を排除するのはまったくいい選択ではありません。もし思い当たる方がいたら、すぐに止めてほしいと思います。もちろん、それで嫌がる子どもはいないので安心してください。

そもそも人間は、ネガティブな言葉を使うとネガティブな出来事を呼び込むもの。ポジティブな気持ちで、ポジティブな言葉に溢れた親子関係を築いて、子どもの成長を見守りたいものですね。

子どもと会えない親、親と会えない子どもたちの支援を自費を投じながら行っています。少しでも多くの子どもたち、そして親子が幸せになってほしいと願っていて、周知も含めて活動を拡大したいと思っています。共感していただけたらサポートしてくださるとうれしいです。活動の支えになります。