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【海外ボランティア】「支援慣れ」への違和感

約3週間前から、カンボジアでの生活をスタートしている私。
平日は「公衆衛生インターン」に参加し、医師である現地のプロジェクトスタッフと一緒に、貧しい人々に無料で健康診断をして薬を処方するという活動に参加しています。

その詳しい話は今後投稿する予定ですが、日々の生活の中でチクチクと感じることを今日は少しだけお話します。

私が日々チクチクと感じていること。それは「支援慣れ」への違和感です。
カンボジアの病院では、日本から寄付された医療機器や薬がたくさんあります。そして、現地スタッフも
「日本から寄付してもらったんだよ!これからもよろしく!」
こんなテンションで言われます。もちろん誇らしい気持ちもあるのですが、手放しで喜べない自分がいるのです。

今年の3月にルワンダに行った際、現地で活動している日本人などが頻繁に口にしていた「支援慣れ」という言葉。
人々は外からの支援に慣れすぎて、自分たちで解決しようとする意欲が少ないことや、大規模な支援(お金や物など)をする団体にばかり惹かれてしまい、本当に必要な技術や知識の普及には興味を示してくれないことなどを嘆いていました。

ジェノサイドがあったルワンダとカンボジア。
悲惨な出来事があったからこそ、世界の注目が集まり、支援が集まった国。
現在の状況も少し似ているのかもしれません。

与えすぎても、与えなくてもダメ。規模は違うかもしれませんが、なんだか子育てを想起しました。

当然、支援はとても大切です。しかし、それと同時に自主性も育てていかなくては、持続することができません。

まだまだ答えは導けそうにないですが、ぐるぐるしながらゆっくり考えていこうかなと思います。

私見満載の文章ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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