見出し画像

【海外ボランティア】半年間の海外インターンを終えて、今考えていること

約半年間のインターンを終えて、私が考えていることをやっと書きます。
気づいたらもう2024年も半分が終わり、帰国してから7か月も経ってしまいました。本当に時が過ぎるのはあっという間です。
4月からは復学し、大学も最終学年。実習、就活、部活と、多忙な日々に埋もれてしまう前に急いでアウトプットしなくては…。

最初の記事を書き、出国した時からすでに1年以上が経過しているなんて…。興味を持っていただいた方は読んでみてください!

結論から言えば、「途上国医療に若いうちから従事しなきゃ」という焦りは消え、「絶対に途上国医療に関わる!」という憧れも薄れました。一方、「いつかは関わりたいな」という細々とした思いは燃え続けています。

わざわざ休学して、結論それ??と思う方もいるかもしれません。
しかし、昨年度休学してまでインターンに赴いた理由は「見極めること」。
漠然と途上国医療に憧れをいだいていた私が、本当にそれがやりたいことなのか、自分に向いていることなのか、を見極めることが目的だったので、それでも良いのです。むしろ、悔いなく選択できるという点において大きく進歩したのかなと思っています。

以前は、「若い=体力がある、キャリアに有利、適応力がある」などの理由から、なるべく早いうちに!と焦っていた私ですが、現場に赴いてみると日本とはかけ離れた状況。日本での知識のみならず、その現場に合わせて自分の知識・技術を応用していく必要があることを実感しました。そのためには、まずは自分の知識・技術を磨くことが必要不可欠。日本での一人前の医療者となってからでないと、それ以前にもっと人として成長してからでないと、本当に現地のためになる支援は提供できないと私はそう感じました。(あくまで自分の意見なので、もちろん若いうちに挑戦することにもたくさんのメリットがあると思います)

この半年間の中で、自分の心に強く残った出来事があります。
(写真は関係あるものやないものを気まぐれに挿入しています笑)

針刺し未遂 inカンボジア

カンボジアにて農村で健康診断を実施していた際、血糖値測定をするために現地住民に刺した針を自分の指で触ってしまったことがありました。
その時はあまり気にしませんでしたが、看護師の友達に相談したところ針刺しに該当すると教えてもらい、いきなり不安な気持ちに。
その後スタッフにも相談し、該当する現地住民に血液検査を実施。血液感染する感染症の陰性が証明され、自分も帰国後の血液検査で陰性だったため、針刺しによる血液感染はありませんでしたが、この出来事は私が途上国医療について考え直すきっかけとなりました。

遺跡 プノン・チゾール

一般的に、「途上国=危険」というイメージを抱く方も多いのではないでしょうか。たしかに途上国の生活では、事故や治安、戦争、感染症など日本と比べて注意すべき事項が多いのは確かです。しかし今までは、危険な場所に行かず、危険な行為をせずに、しっかりと対策をすれば予防することができると考え、自分の身の安全を案ずることはありませんでした。
しかし、今回の針刺し未遂によって、医療現場ではさらにミクロな単位での危険が潜んでいることに気づきました。当然日本においても、針刺しによる感染の危険性はあります。血液感染する代表的な感染症は、B型肝炎、C型肝炎、HIVなどがありますが、カンボジアやケニアでは感染している患者の割合が日本をはるかに上回ります。さらに、患者の中には検査を実施しておらず、感染の有無が不明な患者も多数います。そのような場合、対応が遅れて、気づいた頃にはすでに医療者に感染が成立していることも考えられます。万一感染してしまった場合、診察してもらうにもやはり現地の医療体制には不安があります。
(現地の病院で活動しているにも関わらず、自分は現地の病院で診てもらいたくないと思ってしまう、この矛盾にはずっと苦い思いを抱いていました)
さらに、ケニアの病院では手袋や消毒液が病棟内に全くないという状況もあり、採血や注射を素手で行うこともありました。素手で行った場合、感染リスクはさらに高まります。

道端に突然現れた東京タワーパネル笑

少し話は反れますが、血液感染だけではなく、結核等の空気感染も実習中はかなり心配でした。ケニアでもカンボジアでも未だに結核がメジャーな病気であり、ケニアでは1つの病室に必ず1人以上結核患者がいました。
結核は空気感染してしまうので、日本では「患者はサージカルマスク、医療者はN95」を装着し、さらに陰圧室に入院することで感染防御を行います。しかし、ケニアでは結核患者はマスクなし、N95など病院に置いているはずもなく、医療者もマスクなし、またはサージカルマスクのみで対応します。
免疫力が正常な場合は感染確率はそこまで高くはありませんが、乏しい感染対策の元、近くで診察を行うのはかなり怖いものでした。

これらの経験から、今まで治安や事故などのマクロな視点の危険のみならず、医療現場にはあらゆる感染症というミクロな危険も多数潜んでいることを知り、自分の命をかけてまで本当にやりたいことなのか、と少し自信が持てなくなりました。当然、現地の医療従事者はそのような環境下で医療を行っていますし、国際医療に従事している方にとっては百も承知の事実かもしれません。むしろ、今までそのことを認知せずに憧れていたことを恥じるべきかもしれません。しかし、今回自分が針刺し未遂をしたことで、自分の身に危険が及ぶことを身をもって体験し、再度考え直すきっかけとなると同時に、危険な場において医療に従事する方々への尊敬が深まりました。

カワボジアでランニングイベントに参加

校庭がごみだらけの学校 inカンボジア

カンボジアで新しい活動先を探すため、現地の小学校に訪れた時のこと。
私たちは、金銭教育と個人ファンドを担当するmicrofinance teamと私が所属するpublic health teamでその学校を訪問しました。
私たちの活動内容を事前に伝えていたかどうかは分かりませんが、自己紹介をするなり校長先生が頼んできたことは古くなった窓やドアの修理や、新しいごみ箱や手洗い場の提供でした。こちらの活動内容とは一致しないことを立て続けに頼んでくる校長先生にあまり良い印象を抱くことはできませんでした。

そして、校庭へと出ると、校庭はごみだらけ。ごみ箱のすぐ横にもごみが山積みになっている状況でした。しかし、校長先生や他の学校の先生も気にする様子もなく、支援の話を続けていました。ごみ箱に捨てられない子供が悪いのか、教育できていない大人が悪いのか、きっと、さらに社会レベルの話なのだと思います。

ごみ捨て場の横にもゴミが散乱
あと数センチ頑張って…
明らかにゴミ箱の数は足りてそう笑

さらに、壊れたと言っていた手洗い場も、校庭には古くて使われなくなったものが2つもありました。欲しいと言われた水タンクも、古びて使われていないものが多数放置されていました。
私は、古いものを再利用するという考えもなく、さらに処分することもできていない事実に驚愕しました。同時に、現地スタッフ含め、他国のインターン生もあまり気にしていない様子にとても違和感を抱きました。

古びた水タンク

「相手が欲しいものをプレゼントする」のが支援ではないと私は思います。相手の需要に一致した支援を提供することと、プレゼントすることは違います。「ハード面、かつ足し算」の支援しか考えることができない場合、いくら新しいものを提供しても、将来的には校庭に粗大ごみが増えるだけです。自分たちが善意で行った行為が、環境問題を悪化させてしまいます。そして、現地の人も「壊れたらもらえば良い」と考え、自分たちで解決する術を身に付けることができません。

個人的には、「ソフト面=教育や制度など」の支援が「ハード面=物資など」の支援より大切であり、支援する際には足し算と引き算両方の支援方法を考えるべきだと思います。
例えば上記のケースでは、
・新しいごみ箱を設置するのではなく、ごみ問題についての教育・ワークショップを実施し、必要性について理解してもらう。
・古い手洗い場を一緒に修理し、メンテナンス方法について指導する。
などを提案できるかと思います。
もちろん、物資支援とは異なり短期間で結果につながることは少なく、長期間のフォローが必要なことは承知の上です。そして、長期間のフォローを実施することがいかに難しいかも理解しているつもりですが、「本当に現地の人々のためになる支援」を考えるのであれば、必要不可欠だと思っています。

この経験から、心に残ったのは2つ。
1つ目は、ごみをごみ箱に捨てることさえできない人のために、自分は働けるのだろうか、ということ。
2つ目は、同じ活動団体に属する人々の中でも活動方針が大きく異なる場合があるということ。そして、多国籍であるほどすれ違いが増えるのではないか、ということ。

正直に言えば、今の自分では、ごみさえ捨てることができない人のために全力で働ける自信はなく、すれ違いを上手に解消できる自信もありません。そのため、国際支援に従事している人々を尊敬する気持ちは深まるばかりですが、自分はもう少し成長する必要がありそうです。

死を判断できない医療現場 inケニア

(上の記事に書いたことの再掲になってしまいますが…)
ある日、朝の回診中にあえぎ呼吸を呈する患者が。しかし、病棟には研修医1人と私のみ。必死に他の医師を呼ぶようにお願いしましたが、誰も来ず…。研修医に聞くと、「すでにHIVに罹患していて感染症も併発しているし、精神病もあって薬も飲まないからもういいよ」と言うのです。かなり厳しい状況にあることは分かりますが、そのまま放置することは日本では考えられません。
そして、数分後にはあっという間にあえぎ呼吸も止まってしまったので、さすがの研修医も慌てて心臓マッサージを開始。何分待っても指導医が病棟に来ることはなく、できることは心臓マッサージのみ。その後、研修医がアドレナリンを静脈注射していましたが、変化は見られず…。私は実際に蘇生した経験はなかったので、訳が分からぬまま心臓マッサージを続けました。もう1人の医師もおどおどしていて、どこかに行ってしまい、部屋に1人残されてしまいました。全く生命徴候は見られなくなってしまったのにも関わらず、パルスオキシメーターには心拍数と血中酸素濃度が表示されているという謎の事態に…。装着式の簡易的なモデルだったので、患者が生きているのか、機械が壊れているのか、誰にも分からず…。
約30分後、他の医療スタッフがやってきて、一連の蘇生(心臓マッサージ、人工呼吸、アドレナリン静脈注射)をやりましたが(対応遅すぎ!!)、やはり生命徴候ないままパルスオキシメーターが動き続ける奇妙な事態に変化はなく…結局誰にも分からないまま蘇生は終了され、その後患者はベッド上に放置されたまま医療スタッフは退散してしまいました。

ケニアに来る前から医療レベルが低いことは予想していましたが、「医療現場において、死さえまともに判断することができない」その事実が衝撃でした。

レントゲンもMRIも取れるけど、AEDは使えず、心電図も取れず、死を判断する手段がない。このチグハグな現場で、自分に何ができるのか、自信がなくなりました。

現時点での結論

・目指すのは「現地の人々の自立を助ける持続可能なサポート」

・自分のやり方を伝授するのではなく、現地に合うスタイルを一緒に模索していく。

・win winの関係を構築していく。

途上国の課題として感じる「支援慣れ」。しかし、支援し続けることはできないため、現地の人が自立する必要があり、支援によって自立が妨げられては本末転倒。
そのため、主役は必ず現地の人々であり、常に「現地の人だけで継続できる」ことを目標にしながら、一方的な支援ではなく、一緒に考える協力者という立場で関わっていきたいと思っています。
さらに、継続していくためのコツは、現地で利益を生むことで循環サイクルを作ること。「利益」はお金だけでなく、経験、教育など何でも良いと思います。一方的な支援はいずれ枯渇していましますが、現地で利益を生み出すことで支援の継続、自立促進の両方に寄与することができると思います。
具体的なアイデアはまだないですが、交換留学制度やボランティア事業、インターン事業などは、参加者が自身の経験に支払ったお金を支援に活かしている良い例だと思います。
(参加者の数次第で支援の質が左右するので、安定した仕組み作りは必要ですが…)

・日本で経験を積んでからで良い。

前述した通り、医療者としてはもちろんのこと、人としてもまだまだ未熟であり、途上国で働くための覚悟も不十分であることを実感した半年間。
現在、国際支援の現場で活躍されている方々の偉大さを痛感しています。
そのため、焦ることなく、自分は自分のペースでしっかりと成長してから、挑戦したいなと思っています。
どの道を選択するにせよ、現在は足りないものだらけ。日々向上心を忘れずに歩いていけば自ずと成長していけることを信じて、途上国支援への熱意は細々と燃やし続けながら、今やるべきことに集中していこうと思います。

まだまとまらない部分は多々ありますが、とりあえず書いてみました笑
最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございました!
これにて、【海外ボランティア】シリーズは一旦完結!
また、ふと挑戦したくなったら、再開します~笑

p.s.「行動力あるねー」とよく言われる私も、実際は迷うことだらけ。
4月から大学の同級生が医師として働き始め、焦る気持ちはありますが、休学して海外に挑戦したことは全く後悔していません。と言い切れるくらい、自分にとって貴重な経験だったと思います。そして、たくさんの素敵な出会に恵まれて、毎日を楽しく過ごせたことにも本当に感謝しています。
これからも「やらぬ後悔よりもやる後悔」「思い立ったが吉日」精神を大切に、進んでいきたいなと思います。

大好きな寮母さんと日本人ボランティアの友達
ケニア山の上で誕生日ケーキ♪
一生の思い出です!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?