“絶対的”など存在しない
小さい頃、親は絶対的な存在だと思っていた。
もちろん、頭で「親は絶対的だ!」と思っていた訳ではなく、ただ親しか知らなかった。 だから親の言うことには知らず従っていたし、ただ他の家庭も知らずに「うちはいい家庭だ」と思っていた。
それでは違うと気づいたのは、自分で金を稼げるようになってからだった。
大学の頃からバイトを始めて、実家に窮屈さを感じ始めた。
社会人になって、親とは価値観が違うと分かった。
同じように、前は「国の認定」とか「○○賞受賞」とか、そういったものはなにか確実なものだと思っていた。
「国家が認めていればきっと安心」、「賞を受賞してるってことはいいものなんだきっと」と子どもごころに思っていた。
でも、大人になって、国家も、賞も、人が造り出したものだと理解する。
人が造り出す、完全無欠のものでは無いことを知る。
その時に気づいた。
この世に、“絶対的”なものなど存在しない。
とは、よく言ったものだ。
この世で信じられるのは自分、今ここで考えている自分しかいない。私もそう考えた。
それを他人がどうとか世間がどうとか、基準の軸を自分の外に持っていこうとするから苦しくなる。基準が崩れた時に、変わった時にどう生きればいいか分からなくなる。
そうは思っていても、なかなか他人に基準を預けていた人間が自分を基準にして軸にして動くのは難しいものがある。
まさに、私のことだ。
だから私は今、自分が何をしたいかとか、何が好きかとか、じっくり見つめ直しながら自分の声に耳を傾ける練習中だ。
練習を重ねて、もっと自分の声を大事にしてあげて自分らしく生きていけるように。
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