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「多様性」にどこまで配慮できる?

小学校の教室では▪▪▪。

例えば音楽。
簡単な楽譜と難しい楽譜を選べるようにする。歌か楽器か選べるようにする。
人前で発表か、先生に見せるだけか選べるようにする。音楽は、なんとかなりそう。

例えば図工や書写、家庭科の作品制作。
作業が止まっている子にアドバイスしたり、少し手伝ってあげたりすれば、後は自分のできる範囲で楽しく作れば良いので、これも、なんとかなりそう。

例えば、体育の跳び箱。
低い段で跳びたい子と、高い段で跳びたい子のコースを作ることができる。
でも、今の子は骨折しやすいので、教師一人で授業するなら、せいぜい2コース。
低い段さえ跳べない子には、苦痛の1時間になる。
一人ずつ跳ばせれば、跳べない子のコースも作れるが、待ち時間が長すぎて現実的ではない。

少しあやしくなってきた?

国語や算数、理科や社会の主要科目。
話を聞くのが苦手な子に、プリントや提示カードを準備する。こちらに注目できるような話し方や進め方も必要。

黒板を写すことや、文字を書くことそのものが苦手な子に、書く範囲を限定したり拡大したりしたプリントをつくる。

苦手な子と得意な子用に、練習問題を何パターンか準備する。などなど▪▪▪。

主要科目は、それぞれが「理解して覚えていく」要素も多い。そのため、上記のような手立てが必要になってくる(支援学級でなくても、困難を抱えている子どもは少なくないため)。

また、「多様性」が常識になるにつれて、様々な個性▪様々な子育て▪様々な家庭が、昔に比べオープンになってきた。誰もが無理せず、お互いに認めあって暮らしていくことができれば、幸せを感じることが増えるだろう。

しかし、中には「多様性」を履き違え、「うちのやり方だ❗」と、まわりに迷惑をかけても気にしない家庭があるため、そのような家庭への関わり方も考える必要がある。

では、そうしたことに対応できる教師はどれほどいるだろうか?

新規採用や、経験が浅い先生方は、教科書をバタバタと進めるだけで精一杯のようだ。このようなクラスが、学校の半分くらい(それ以上かも⁉️)の現状で対応していくのは、かなり厳しいと思われる。

さらに、教えるレベルの先生方に仕事が偏るため教える時間がとれず、「働き方改革」で就業時間以外は入り込めないため、若手が育っていくには、かなりの時間がかかるのではないかと危惧している。

「タブレットを使って、それぞれが自分のレベルに合わせた問題を選ぶ」などの取り組みも考えられるが、これは、子どもの良心に任せるところが大きいように思う。

TT(担任の補助)としてクラスに入った時に、担任の目を盗んで遊んでいる子▪簡単な問題しかしない子▪やってるふりで進んでいない子も少なくなかった。やはり、全体を見渡すことができない先生方には難しくなる。また、不調のタブレットがあると、そこへの関わりでかなりの時間が割かれることもある。

高校受験や大学受験に対応するには、まだまだ知識の詰め込みも必要である。ところが、小学校では、各学年の最低限度の学力がついてなくても、無理はさせない。
このように、小学校までは、学校ができる範囲で「多様性」を尊重してもらえたとしても、中学校からは、それほど目も手もかけてもらえなくなる。高校からは「去るもの追わず」となる学校も少なくない。

過渡期だから仕方ないのかもしれないが、子ども達も先生方も、どこを目標にしていいかわからないのが現状ではないだろうか。

こうなったら、公立小中学校を根本からひっくり返してはどうか?
教科担任制にした上で(授業準備が、かなりやりやすくなる)
基礎学力を徹底的につけたいならココ
高い学力をつけたいならココ
運動能力を伸ばしたいならココ
芸術的な能力を伸ばしたいならココ
といったふうに分類し、先生方も適材適所で配属し、遠くから通う場合は無料バス定期を配布し▪▪▪。
(私立小中学校のない▪少ない地域に限られるだろうが)

子ども側は、授業も宿題も今より無理のないものになる。教える側は、得意を活かせるので、特に小学校は、なり手が少しは増えるかも⁉️

あくまで、私の理想ですが😅

長々と読んでいただき、ありがとうございました❗



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