「ラブリー」 3
第3章 結婚ってなんですか?
私とみはるんは、時々私の仕事帰りに待ち合わせをして落ち合うことがある。
みはるんは大学院で勉強したあとだから、私の仕事が早く上がれる時にはちょうどよく会うことができるのだ。
「毎日暑いよねえ」
みはるんは長い髪をくるりと夜会巻きにまとめて、首筋を扇で仰いで涼を取っている。
「それ、色っぽいね」
「女の子に言ってもらうと余計嬉しいな、ありがとう。…ただの暑さ対策だけどね…」
そうは言っても、扇ぐたびに髪留めのクリスタルが揺れるのはとても素敵だ。
この頃自分がイライラしているような気がすることをみはるんに話すと、分かるわーと彼女も首を縦に振った。
「私なんか酷いもんよ。だって、双子の姉が幸せを振り撒いてるんだから」
みはるんは実家にみのりんと一緒に住んでいる。確かになあ。
「正式に婚約をするわけだから、真夏が終わる9月ごろには両家の顔合わせ会をやるんだって。私も出なくちゃならないのよ」
「まあ、そういうのは親同士の約束事みたいなもんだからねえ。頑張れみはるん」
「親同士かあ…」
みはるんはちょっと考え込んだ。
「薫ちゃんの家、お父さんは離婚していなくなっちゃったし、お母さんと薫ちゃんは関係が良くないし、どうするのかしら…」
「薫ちゃんの場合、なんかそういうの全部やらなさそう。あの人、成人式も馬鹿馬鹿しいって出なかったじゃん」
私たちはもう、長い付き合いだ。お互いのことも、お互いの彼氏のことも、よく知っている。
「彼の渡米が決まればそのまま結婚になるんじゃない?あなたたちの場合は」
「そうなのかしらねえ…」
みはるんはちょっと考え込んだ。
「結婚なんて話、ハタチ超えてから一度も出てないや…」
「え、そうなの?」
「うん、大学に行く前に、将来は私と一緒にアメリカに行って研究をする、って言ってもらったことはあったんだけどね」
ふう、っとひとつため息をついて、みはるんが目を伏せた。
「ねえねえ」
私は、ここのところ疑問に思っていることをみはるんにぶつけてみた。
「みはるんはさ、結婚すると何がいいんだと思う?」
「え?」
私は、今現在本当に好きな人と一緒に住んでいるわけだし、一緒にご飯も食べて一緒に寝て、休みの日は一緒にお出かけしたりしている。
「私さ、今でも結婚しているようなもんだしさ」
私は右手薬指の指輪を外しながら言ってみた。
そして、その指輪を左手の薬指にはめてみた。可愛い灰青色の石は、角度によっては色が全くなくなってグレーになる。その二面性が本当に魅力的な石だと思う。
「…結婚って形をとる以上は、意味がないとできないのかもなって思って」
「そりゃあ」
みはるんは人差し指を立てた。
「同棲なんて解消するのはすぐだけど、結婚したら簡単には別れられなくなるわよね」
そして、自分で納得するみたいに首を縦にふる。
「結婚って自分たちだけのためのものじゃないからさ」
私はみはるんの美しい茶色の目をじっと見つめる。
「家同士の結びつきって意味は、今日びだってあるわけだからさ」
「ああ、そうか」
私は左手薬指のアイオライトを日に透かしながら呟く。
「そうよね、長山さんのお父さんとお母さん、私の義理のお父さんとお母さんになるんだもんね」
「その約束ができる相手だ、ということが結婚の意味じゃない?」
ふーむ。私は唸った。
「それに、家族じゃないと、もしも聡太さんが入院でもしたら入院の同意書が書けないのよ?瑠璃ちゃんは」
「じゃあやっぱり、結婚って大事よねえ」
「それだけじゃないよ」
みはるんは私の目をじっと見つめ返した。ドキッとする。
「結婚って、一生あなたを大事にします、っていう、二人の間での約束じゃない」
そして彼女は、私の目を見つめながら首を縦に振った。つられて私も首を縦に振る。
「だから、私は、結婚しない限りは薫ちゃんとアメリカには行かないつもり」
「そっかー!」
私は、みはるんの肩をガッツリ掴んだ。
「大事だから結婚したいんだよね!?したいって思ってもいいんだよね!?」
そして、もう一回首を縦に大きく振った。
「そうよね…瑠璃ちゃん、結婚したいよね…」
「うん!」
力一杯頷いたあと、私は力を抜いた。
「…もう、裏も表もだらけてるところも何もかも、全部知っちゃってるから」
そしてドリンクを…もう氷が溶けて水みたいになっているそれを、ストローでぐっと吸い込む。ゴクリ。
「今更どう言ったらいいのかわからなくなっちゃってて…」
「もうさ、それこそ長い付き合いなんだから」
みはるんが笑う。
「本人に聞いちゃうのが一番だと思うけど」
とはいえ、本人に直接聞くのはなんとなく怖かった。
「今が楽しいならこのままでいいじゃん?」って言われるのはとても怖かった。
それを言う人じゃないのはわかってる、そして、遠い昔の…7年も前の約束は、まだ有効だということもわかっていた。
今でも覚えている。はっきりと覚えている。まだ大学生だった聡太さんが、こんなことを言っていた。
「今高校1年生の瑠璃ちゃんが大学入って出るまでで6年でしょ、それから、社会に慣れるまでに2年くらいかな、そうしたら結婚しよう」
あの時は、なんとも遠い話だと思っていた。
今、まさに、社会に慣れる2年目を過ごしている。
彼もきっと、それを忘れていない。
だから私は「そろそろどうするの?」って焦れている。言い出してもらうのを待っている。
家に帰ると、いつもの如くゆるっとしたスタイルで、彼が「おかえり」って言ってくれた。
「っていうか、その格好で宅配便とか受け取るのどうかと思うんだけど」
「えー、着てるからいいじゃん」
「そういう問題?」
とか言いつつ、私も乾いた洗濯物の山からヨレヨレのΤシャツを引っ張り出して着るわけだが。
本来一人用の、狭いアパートなので、隠れて着替える場所なんかない。私は彼に背中を向けて着替える。
こんな姿まで見せちゃってて、今更改まって…って話に、なるのかしら…?
その日は残業になってしまい、私は会社で夜の7時までウンウンと唸りながら翻訳をしていた。
そろそろ帰ろうかな、と思った頃、スマホが白く光った。
「あ、聡太さんだ」
いつもの通り、文字を読もうとして、目を疑った。
「○○出版の××賞事務局から、内容証明が届いたよ」
私は慌てて帰り支度をすると、走って駅に向かった。今日はスニーカーでパンツスタイルだ。走れる。
焦れながら、普段は避けている満員の特急電車に乗った。チビの私は満員電車では押しつぶされてしんどいのだ。でも、今日は早く帰らなければ。
電車の待ち合わせ駅で各駅停車に乗り換えてアパートの最寄駅に辿り着くと、そこからまた走った。
「早かったね」
聡太さんは私のことをじっと見つめながら、封筒を渡してきた。
「これ」
「うん」
私は息を整えながらレターオープナーを手にし、チリチリとそれを切っていった。
手が震えて、封筒を落とす。彼が拾い上げてくれる。そしてまた私の手へ。
封筒から中身を出す。白い用紙が三等分になっておられている。広げる。
「××賞入賞について」
私はそれを、震える声で読み上げた。
「藤崎瑠璃様。貴殿の作品『向日葵の素描』は、本賞において優秀と認められたため、銀賞を授与するものとする」
私は、呆然として、聡太さんの顔を見上げた。彼も私の顔を見下ろしていた。
彼がこくりと頷いてくれたので、やっと私は声を上げることができた。
「…やった…!」
「よかったね!銀賞だって!」
「どうしよう…びっくりだ…」
「これって、銀賞になるとどうなるの?」
「賞金20万円と…単行本化…」
彼は。
私を抱き上げて、くるりと回った。
「やったじゃん!デビューだ!」
私は、全く実感がわかなかった。でも、どうやらデビューということになったらしい…。
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