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4.家族として一番苦しかったこと

久しぶりに父の写真を見返すと、亡くなる半年ほど前から、やはり顔が、表情が曇っていたということに気づきました。

恐らく、当時も気づいていたとは思いますが、何となく知らないふりをして、今日は元気だね、今日は気分が良さそうだね、今日も明日も最高な1日になりそうだね、とその一瞬一瞬だけを切り取って生活をしていました。

私が父の病気で一番悲しかったことは、あんなに強く、前向きだった父が「もうダメかもしれない」と弱気になり、痛そうな悲しそうな、そして覇気のない表情へと変わっていたことです。

でも一方で頭はキレきれで、何というか、体の不健康さと脳の健康のバランスがあっていない状態、そして本人がコントロールできないその状態を苦しそうにしているにも関わらず、何もできない家族、というのがとても苦しかったです。

私は正直、毎日父を励ます役割というか、明るくなれるように振る舞っていました。でも、それでも、なかなか病気というものは苦しい存在です。辛い時に明るくなれ、なんて言えませんし、自ら同じ病気にかかっているわけではないので、100パーセント共感することもできません。

それでも寄り添い、痛みを分かち合い、お互いに励まし合う。ある意味で、私も父を励ましているようで、父から元気をもらっていたのかもしれません。

今、思い返しても、やっぱり当時は辛かった。それぞれが想いを抱えて、でも前を向いて懸命に頑張るしかなくて。気持ちが少しでも弱くなると、死が近づいてくる気がして怖くて。

そんな繰り返しでした。

正直にいうと、このアンコントロールな状態で生き続ける方が、父にとっては苦しいのではないか、と考える日もありました。もちろん、少しでも長く一緒に過ごしたかったですが、それでも苦しそうな姿を見ると、生きることにすがるのは間違っているのではないか、と考える日もありました。

人生での最も苦痛なこととは、死ぬことではなく、自分でコントロールできない状態に陥ることなのかもしれません。

ただ、だからこそ、自分の視点を変えて、そのコントロールできないかも、と一見感じる中で、楽しさや工夫を凝らすことができれば、そこに豊かさが生まれることも感じました。

父の自由が効かないからこそ、その不自由さを一緒に解消するために支え合った時間も増えましたし、コミュニケーションの量も増えました。

もし、病気になっていなかったら、ここまで深い濃い時間を過ごすことはできなかったと思います。苦しかった、けど、そこには豊かな時間があったのかもしれません。

家族、というのは病気の痛みを持っている人ではないので、正直何もできない気持ちになります。そしてその手助けできていない状態に打ちひしがれます。

特に、スキルス性胃がんのような症例が少なく、かつ死亡率が高いと出てくるような病気は本当になすすべもなく、相談する相手も少なく、もうどうしようもできなく、涙で溢れる日が増えることも多くなります。

それでも、家族として、同じチームとして
私は前を向くことが家族としてできる最大の力なのではないかと、振り返って感じます。

病人と呼ばれる人が弱くなるのは当たり前です。不安になります。
そして家族が不安になって、弱くなることもまた当たり前です。

でも、それでも、家族だけは前向きに、共に強い存在として、鼓舞できるような人としてありたいと、私は感じました。

チームメンバーが弱くなっているなら、誰かが背中を押したり、肩を貸したり、包み込むことが必要なのです。それが、家族と呼ばれる強い繋がりのことであり、人として豊かに生きる瞬間なのだろうと感じました。

今でも思い返すともっと何かできたのではないかと、考えてしまうことがあります。やり切った、とは言うことはできません。だって、本当は生きていて欲しかったから。

それでも、家族として向き合えたその時間はずっと忘れることのない、瞬間です。
今、病気と戦っている皆様、ご家族の方、そしてご友人など、さまざまな関係の中で苦しい思いをしている人がいるかと思います。

1つだけ私がお伝えできることがあるとするなら、何もしなくていいから、ただ一緒に同じ時間を過ごしてほしい、ということです。

病気と向き合うのは怖いですが、一緒に過ごして、同じ瞬間を刻んでください。
それが支える人たちのできることであり、それぞれの痛みを和らげる唯一の方法だと思います。

頑張れ、とか
病気に打ち勝とうねという言葉ではなく、
言葉にできない、その想いを、一緒に分かちあっていただければと思います。


取り留めのない文章になってしまいましたが、誰かの気持ちを少しでも軽やかにできたら、嬉しいことです。


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