歴史をたどるー小国の宿命(75)

後鳥羽上皇が承久の乱を起こす6年前、遠いモンゴル帝国で、フビライ・ハンが産声を上げた。

1206年に、モンゴル帝国の初代皇帝になったチンギス・ハンの四男トルイの息子である。

フビライ・ハンは、のちにモンゴル帝国の第5代皇帝になるのだが、あの広大な中国を次々に征服して、「元」という王朝を樹立し、元の初代皇帝にもなった人物である。

フビライ・ハンの指揮により、日本は「元寇」という歴史的大事件に見舞われることになる。

ご存じのとおり、「元寇」とは、いわゆる蒙古襲来事件であり、1274年の文永の役と、1281年の弘安の役の二度、日本は侵略の危機に直面したのである。

このとき、巨大な勢力と二度も対峙したのは、第8代執権の北条時宗であった。

北条時宗は、1268年から1284年まで16年間、執権の地位にあり、蒙古軍を退けた功績は非常に大きい。

時宗が執権に就任したのは、18才のときである。その就任の直前の正月に、「元」の国書が使節の来訪によって届けられている。

国書の内容は、元に服属せよというものであった。

日本の運命がどうなるかは、時宗の判断にかかっていた。

次週は、時宗の時代について解説していこう。




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