【続編】歴史をたどるー小国の宿命(60)

家綱は、10才で父親・家光を亡くし、自身も短命で亡くなった。

家光よりも8年短い、享年40才で、病没した。

ただ、家綱は、いわゆる将軍のブレーンに恵まれていて、それまでの武断政治とは対照的に、知力で世の中の安定を図ることができたので、幸運な時代に生きることができた。

この家綱の政治手法は、「文治(ぶんち)政治」と呼ばれ、7代将軍の家継の代まで受け継がれることになった。

ところで、この家綱と同時代に生きたのが、あの松尾芭蕉なのである。

芭蕉は、家綱よりも3つ年下であり、家綱が22才のとき、19才で俳諧の道に入ったのである。

芭蕉は1694年に亡くなったのだが、このときは、5代将軍綱吉の時代であった。

実は、家綱は、将軍在職期間が、江戸幕府では歴代3位の長さ(28年9ヶ月)だったのである。

綱吉が28年6ヶ月で歴代4位、家光が27年10ヶ月で歴代5位であった。

では、歴代2位と歴代トップは、誰だろうか。

2位が、8代将軍吉宗の29年1ヶ月であり、人格者だったこともあり、現代の私たちにも、ドラマ『暴れん坊将軍』などで親しまれている。

歴代トップは、愛人40人と贅沢の限りを尽くした11代将軍家斉の50年である。

なんでこんな奴がのうのうと権力の座にとどまれるのかと嫌気が差すかもしれないが、それは今も昔も同じである。

ちなみに、知りたくなかったと思うかもしれないが、吉宗のひ孫である。

改めて振り返ると、芭蕉は良い時代に学問を学べたと思うし、芭蕉の学びのおかげで、現代の私たちは、俳句に親しめている。

さて、歴代トップは家斉で、歴代最短は、歴史好きな人ならお分かりだろう。

15代将軍慶喜は、ほぼ1年しか在職していなかった。慶喜の次に短かったのが、初代将軍の家康であり、2年3ヶ月であった。

次回は、7月10日に第61回から再開する。

芭蕉の晩年にも触れながら、5代将軍綱吉の時代から解説していこう。

綱吉が将軍になった1680年は、今から340年前である。

現代にグッと近づいてきた。7月も引き続きお楽しみいただければ幸いである。








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