歴史をたどるー小国の宿命(72)

後鳥羽上皇が島流しになったとき、朝廷ではどんな動きがあったのだろうか。

その前に、天皇がどのように代わったのかを整理するとしよう。

後鳥羽上皇が天皇の地位を譲ったのは、1198年であり、このときに第83代の土御門天皇が即位した。土御門天皇は、後鳥羽上皇の第一皇子である。

そして、土御門天皇は1210年まで天皇の地位にあったが、自分の弟(後鳥羽上皇の第三皇子)の順徳天皇に譲位した。

第84代の順徳天皇は、後鳥羽上皇と土御門上皇のもとで、承久の乱が起こるまで天皇の地位にあった。そして、承久の乱が起こったときは、後鳥羽上皇の意向で、自分の息子である仲恭天皇に譲位した。

第85代の仲恭天皇は4才で即位したが、祖父にあたる後鳥羽上皇が承久の乱で敗れたため、わずか2ヶ月あまりで退位を余儀なくされた。

そして、祖父は隠岐へ流されて、父親の順徳上皇は佐渡に流され、伯父にあたる土御門上皇も土佐に流された。

もっとも、伯父の土御門上皇は、自ら流刑を望んで土佐に流されたのだが、その後、鎌倉幕府に厚遇され、流刑地を京に近い阿波国に変更されている。

しかし、4才の子どもが、祖父と父親が隠岐や佐渡に離れ離れに流されるのを目の当たりにするのは、どんなにつらかったことだろう。

鎌倉幕府は、仲恭天皇に代えて、第86代の後堀河天皇を迎えることにする。

そして、北条義時の長男である北条泰時が、いよいよ登場するのである。




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