現代版・徒然草【43】(第152段・尊い老人)

今日は、兼好法師が生きていた時代の出来事であり、あの後醍醐天皇の倒幕計画に関わっていた日野資朝(ひの・すけとも)が登場する段を紹介しよう。

日野資朝は、後醍醐天皇の近臣であったが、倒幕計画が発覚したことにより、後醍醐天皇の建武の新政を見ることなく、斬首刑で亡くなった公卿である。

日野資朝のほか、本文中には、西大寺の静然上人が出てくるが、西大寺は、奈良にあるお寺である。近鉄の駅で、大和西大寺駅があるが、そこから徒歩3分ほどである。静然上人は、西大寺の長老であった。

また、西園寺の内大臣とは、西園寺実衡(さねひら)のことであり、日野資朝より2つ年下の35才だったのだが、左大臣・右大臣に次ぐ高い役職に就いていた。

その実衡に、日野資朝はイヤミを言ったのである。

では、原文を読んでみよう。

①西大寺静然上人(じょうねんしょうにん)、腰屈(かが)まり、眉白く、まことに徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺の内大臣殿、「あな尊の気色(けしき)や」とて、信仰の気色(きそく)ありければ、資朝卿(すけとものきょう)、これを見て、「年の寄りたるに候ふ」と申されけり。
②後日に、尨(むく)犬のあさましく老いさらぼひて、毛剥げたるを曳かせて、「この気色尊とく見えて候ふ」とて、内府(だいふ)へ参らせられたりけるとぞ。

以上である。

①の文では、西大寺の静然上人が朝廷に来られたときに、その様子が、眉が白く、腰は曲がっていて、たいそう徳が高そうな態度であったので、西園寺実衡が、「ああ、尊いお方だこと。」と拝んでいたら、横から日野資朝が、「ただの年寄りではないか。」と言ったわけである。

今の時代にも、そういう人はいるので、ちょっと笑ってしまう情景である。

それでも、資朝はなんとなくスッキリしなかったのか、②の文にも書かれているように、後日、毛が抜けて老いさらばえた犬を連れて、西園寺実衡の邸宅に行った。

そして、「この犬も、尊いお方であるよ。」と言ったわけである。

自分より年下なのに、高貴な身分だったのが、よほど気に入らなかったのだろう。

西園寺実衡は、この翌年に、36才で病没した。日野資朝は、さらに6年後、43才で斬首刑で亡くなった。




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