20世紀の歴史と文学(1970年)

こんにちは、こんにちは、西の国から。

こんにちは、こんにちは、東の国から。

こんにちは、こんにちは、世界の人が。

こんにちは、こんにちは、桜の国で。

1970年の、こんにちは。

こんにちは、こんにちは、握手をしよう。

以上のような、シンプルに「こんにちは」が2回ずつ繰り返される歌『世界の国からこんにちは』を、当時は三波春夫や坂本九、吉永小百合らが歌っていた。

大阪万博は、3月15日に盛大に幕を開け、9月まで半年にわたって開催された。

テーマは、「人類の進歩と調和」である。

当時59才だった芸術家の岡本太郎がプロデュースした「太陽の塔」は、54年が経った今も、万博記念公園内に当時の面影を残しつつ建ち続けている。

期間中にのべ6000万人以上が来場してにぎわった万博だが、開催から2週間後、悪い出来事が起こった。

よど号ハイジャック事件である。

これは、3月31日に羽田空港から福岡空港に向かった日本航空の旅客機が、富士山付近の上空を飛んでいるときに、日本刀の模造品などで武装した共産主義者同盟赤軍派の「よど号グループ」メンバー9人にハイジャックされた事件である。

122名の乗客と7名の乗務員が乗っていたが、最終的には全員無事だった。

彼らの目的は、今の時代の私たちには信じられないかもしれないが、北朝鮮に亡命することだった。

よど号グループは、旅客機の機長に「平壌へ行け」と要求したが、機長は機転を利かせて「そこまで行く燃料が足りない」と言って、なんとか福岡空港で一時的に着陸できた。

給油をするなどして時間稼ぎはしたものの、要求に従わざるを得ず、それでも一直線に平壌までは飛ばずに、「よど号グループ」と交渉する機会を得るため、秘密裏に韓国の金浦(きんぽ)空港に立ち寄った。

「よど号グループ」のメンバーは、飛行機が韓国に降り立ったことに気づいたが、日本政府が派遣した当時の運輸政務次官の山村が乗客の人質になったため、乗客は全員解放されて、残った乗務員3名と山村政務次官が北朝鮮に飛ぶことになった。

4月3日に、北朝鮮の平壌の飛行場に到着した「よど号グループ」メンバーは、北朝鮮当局に迎えられ、そのまま亡命した。

山村政務次官は、当時37才の若さながら、人命救助に大きく貢献し、無事に帰国を果たして表彰された。

9人のメンバーのうち、2人はその後、日本に帰国して有罪判決を受けたが、現在は亡くなっている。

また、残り7人のうち4人は北朝鮮に存命中と見られているが、はっきりとは分かっていない。他の3人は、すでに北朝鮮で亡くなったといわれている。

このメンバーと、北朝鮮による日本人拉致事件との関わりについても、いろいろな情報が今日(こんにち)までに出てはいるが、不明な点はいまだに多く残っている。



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