法の下に生きる人間〈第37日〉

学校教育法が昭和22年(1947年)4月1日に施行されるまでは、今の時代の小学校1〜6年生及び中学校1・2年生にあたる児童生徒は、「国民学校」の生徒であった。

この「国民学校」は、明治時代から使われていた名称ではない。

昭和16年(1941年)に施行された「国民学校令」によって、それまで使われていた「小学校」の名称が変わったのである。

この国民学校令は、終戦後、学校教育法の施行と同時に廃止されたので、6年間しか存在しなかった。

1941年といえば、日本が太平洋戦争を開始し、12月8日にはアメリカの真珠湾攻撃を仕掛けたことで有名である。

国民学校令の第1条をみると、このときの国家の狙いがなんとなく分かる。

【第一条】
国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス

上記に述べた国民学校令の第1条と、明治時代の「小学校令」の条文を比べてみよう。

明治時代の最初の「小学校令」は、1886年(明治19年)に施行されたが、その後、1890年に第二次小学校令(一部改正)が施行され、1900年に第三次小学校令(全部改正)が施行された。

国民学校令は、第三次小学校令を全面改正したものであるが、この第三次小学校令の第1条は、次のようになっている。

【第一条】
小学校ハ児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並其ノ生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ授クルヲ以テ本旨トス

いかがだろうか。

太平洋戦争のときに施行された国民学校令には、「皇国の道に則りて」や「基礎的錬成」という文言が使われている。

ここで留意してほしいのは、1900年の第三次小学校令の10年前に明治天皇の教育勅語が世に出ている点と、第三次小学校令の施行から4年後には日露戦争が起こっている点である。

それでも、今の時代に受け入れられる条文内容となっていることが分かるだろう。

「皇国の道に則りて」という文言が入った国民学校令は、第2条以降も、特異な文言が目立つ。

いったい、国民学校では、何を重点的に指導したのだろうか。

このモデルになったのは、当時ヒトラーが指揮していたナチス・ドイツの国民学校(=グランド・シューレ)だったのである。







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