唱歌の架け橋(第20回)
今日は、長崎原爆の日である。
1949年、古関裕而の作曲によって誕生した『長崎の鐘』は、1951年の第1回NHK紅白歌合戦のときに、白組のトリを務めた当時の人気歌手の藤山一郎によって歌われた。
【1番】
こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめはげまし 長崎の
ああ長崎の 鐘が鳴る
【2番】
召されて妻は 天国へ
別れて一人 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き 我が涙
なぐさめはげまし 長崎の
ああ長崎の 鐘が鳴る
【3番】
つぶやく雨の ミサの音
たたえる風の 神の歌
耀く胸の 十字架に
ほほえむ海の 雲の色
なぐさめはげまし 長崎の
ああ長崎の 鐘が鳴る
【4番】
こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめはげまし 長崎の
ああ長崎の 鐘が鳴る
以上である。
この「長崎の鐘」というのは、旧浦上天主堂の鐘のことを指している。
私も若い頃に訪れたことがあるが、浦上天主堂はキリスト教の教会である。
もともと大正期に建設されたものだが、原爆によって建物が破壊され、鐘楼も鐘もダメになってしまったので、1959年に再建された。
今の私たちが知っている建物の外観は、さらに20年後の1980年に改装されたものである。
この曲の作詞担当者は、知る人ぞ知るサトウハチローである。
戦後に作詞されたとはいえ、原爆のことは歌詞からは伝わってこない。
当時、この歌の発表の前後に、永井隆による随筆『長崎の鐘』と、それがもとになった映画『長崎の鐘』が世に出たのだが、GHQの検閲を受けていた。
永井隆は、長崎医科大学の助教授だったときに被爆したので、自身の被爆体験や思いを記録し、これからの原子力時代を懸念して随筆作品を書いたのだが、映画化されたときも、原爆が真正面から描かれることはなく、永井隆自身の生涯という形で発表された。
おそらくサトウハチローも、自身の作詞が検閲されることを想定して、無難な表現にせざるを得なかったのかもしれない。
サトウハチローの弟は、広島で被爆していた。
永井隆もサトウハチローも、さぞ悔しかっただろう。
彼の随筆『長崎の鐘』は、ネット検索すれば青空文庫でも無料で読める。
そして、古関裕而によって生まれた歌のほうも、格調高いメロディーに癒されるので、ユーチューブでぜひ聴いてみると良いだろう。
原爆の犠牲者に哀悼の意を表しつつ、『長崎の鐘』を読んで、聴いて、口ずさんではいかがだろうか。
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