月モカ_180402_0069

プロローグ3. そこに「在る」ということ(by東の魔女)

こんにちは。真摯な想いを具体的に表現するためにはと考えて、とにかく毎日、更新していこうと決めました。第3回目の今日です。世界の「ラララ」を伝えていくのですが、誰かに何かを教え伝えたりできるほどのじぶんは人間だろうか? と思ったりもする。でも例えば誰かがこの3年間、日本中のラーメンを食べ歩いてきた人がいたら、その人はやっぱりラーメンのスペシャリスト(研究家)だと思うし、絶対じぶんより詳しいから、見解を語ってくれるなら聞いてみたいなと思います。そういった意味ではこの3年間、じぶんは日々「世界の声」のことを考え研究し続けてきたわけであるから、ほんの少しみんなよりわかっていることがあるかもしれないと思い、偉そうにならないようにしながら続けていきたいと思います。

さて、昨日はウエサクの満月でした。わたしは占星術はそんなに詳しくないので「ウエサクの満月」という言葉も昨日知ったのですが、
「曇っていても問題はない」ということだったので、
昨日の夜中、ベランダに椅子を出して月光浴をしていました。
その時に強く思ったのが、
「見える見えないじゃなくて、在るということ。そこに在るということをじぶんは知っているということが、大切なんだなぁ」ということでした。

きのうは雲が分厚く、帰り道でぼんやり見えた月も、帰宅時にはどの方角に出ているのかわからないくらい隠されてしまって、まず、月の出ている場所がわかるまで待たなくてはなりませんでした。
場所がわかってからは、薄い雲間に月が煌々と現れるのを、ただじっと、
待つ時間が続きました。その時になんだか、人生にもこういう時間ってすごくあるんだろうなと思ったのです。そういった中で「見えない」と思ってその場を去るであるとか「その先に光はないのではないか」と思って諦めてしまうようなこと。

昨日が満月であることは絶対的な事実でしたから、分厚い雲の奥に月が在ることをわたしは知っていました。だから辛抱強く待っていていれば、そこに光が現れることも知っていました。けれど、どうだろうか。そこに、在るかもしれない光の存在すらも、ふたしかであったとしたなら。

例えば新しく始めたこのラララ世界を、毎日紡いでいったその先に、何が在るのか、とか。例えばこの人を愛し続けたその先に何があるのか。
「そうするとどうなるの?」と聞く人がいますが、どうなるかなんて本当は誰にもわかりません。世界は前提約束はしません。しませんというかできません。それは時間の秘密と関係があって、その約束の仕方が”さかさま”だからなのですが(だから実はその逆の約束はできるのです)、
時間の秘密はいちばん難解なことなので、それに関してはおいおい語っていこうと思います。

金脈を掘りあてるように「そこに在るであろう」という予想が前提となりアプローチをしていくやり方ももちろんあるのだろうけど、それは「在るんだったら探す」という”さかさま”の約束のギリギリのところになってしまうケースがあるので、わたしはla la la世界でもっとも大切なことは「そこに月はあるのだ」とじぶんが強く思うことだと考えました。思う、というか、それでは少し弱くて、つまり「在るもの」として扱うということなのです。絶対的に「在るもの」として扱うことなのです。

そう過ごしていくうちに、そこに月がやってくる(量子力学的にいうと発生する)、それがラララ世界だと思います。
じっと待ち続けた月が、雲間から現れた時、それはとても美しくて、在ると知っているものが現れた瞬間もこんなに夜は美しいのだとわたしは思いました。だとしたら、ふたしかなものを心の中に「たしかに」過ごし続けて、その雲間から光が見えたとき、
生きているという喜びは、どれほどのものでしょう。

わたしはそういった風に生きていきたい、そんなことを思わせてくれた、
ウエサクの満月です。


ラララ世界の中心はあなたであって、いつどんな瞬間からも、その一瞬先の未来の時系列を変えることができます。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
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