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la la la 16. ”執着”を手放し、新たな扉を開く(By ラム子)

こんにちは。” la la la 11”でプロセスのことを書いた時からこのことを考えていました。la la la 11で書いたのは、何かを始める際に完璧を求めすぎると、「完璧な状態かどうか」を見極めているうちにスタートがどんどん遅れてしまうから、大切な「こだわり」以外はある程度手放して、7割くらいの完成度(本人採点)で始めるといいですよ〜、という話でした。
その時ーーいろんなものを自分の心の琴線の中のふるいにかける時ーーその”心のふるい”がフラットかどうかって結構重要だなあ、と、11を書いた時から考えていました。つまりこれは「こだわり」なのか「執着」なのか。

”東の魔女”の知恵を授ける、というようなことでやってるマガジンですので、さて、どうでしょう? ということで終わってしまったら読んでいる意味じゃないじゃない、と思う不器用さんがいらっしゃると思うので、
ラム子的な一つのラインをもうけるとすると、他者や世間の目のないところーー今ここに自分が世界にひとりきりだとしてーー誰も見ていなくても、誰も評価をしてくれなくても、自分はこうしたいし、そうするというのが、基本的には「こだわり」かな、と思います。売れようが売れまいが、小説というのはこういうものである、とか、いつ何時も僕にとって、鏡は完璧に磨かれていなければならない、とか、来客があろうとなかろうと家のトイレは毎日ピカピカに掃除する、とか。

もちろん接客業やサービス業なんかで、ゲストありきのこだわりはありますよね。例えば、4名席に座っている2名様のテーブルを半分お借りしたら、今来店した2名をご案内できるとしても絶対それはしないというこだわりのあるオーナーとか、どれだけ暇でも絶対営業メールはしない、という、
クラブのママさんとか。

ただ時にそのこだわりが”執着”に変化していることもあるなあと、わたしは思います。かつては確かに”こだわり”だった。でも今は”執着”に形を変えてしまっていること。なのにじぶんでそれを気づけていないこと。

「こだわり」発で始めた習慣がもう時代と合わなくなっている、または今のじぶんの状況と合わなくなってきているのに、それを「執着」ではなく「スピリット」だと考えて手放せない。など。
ここに関しては、見極めが本当に難しいところだと思います。
例えば今までSNSは一切やらない頑固店でやってきたお店が、ちょっとこれまでより数字が凹みつつある場合にどうするのか。など。

例えばわたしも、幼い頃から本を愛してきた人間として、印刷された本以外のものでお金を頂くのはちょっと違うという”こだわり”がありました。(出版社が刊行本の電子配信をするのは別)なので、毎週更新しているエッセイももちろんフリーで読めるようにしていたし"note"に対しても抵抗がありました。(書いたものを100円とかそういうので全部売るのはちょっと・・・そういうところで”ちまちま”稼ぐのではなく本になった時に印税を大きくもらえる作家を目指すべきでは)
そういうこだわりです。(もはや”ちまちま”と考えていた時点でわたしは今の時代の流れを全然汲み取れていなかったのですが・・・ががん!)
そのこだわりのあまり、わたしはnoteのことをきちんと調べもしていなかった。だから無料公開もでき、場合によっては投げ銭なんかもできる仕組みだとは全く知らなかったのです。

「ラム子さんは大手出版社からもたくさん本を出しているんだし、noteとかを絶対活用すべきです」そうアドバイスをくれたのは12歳年下の詩人の友人でした。「ふつうはそういうところからは本を出せないのだから、そういう実績をちゃんと生かしてもっと活躍の場を広げた方がいい」彼女は真剣にわたしの生活や仕事のことを心配してそういったことを伝えてくれました。
その時にわたしは2つのことを学びました。1つは、友人とはいえ12歳も年上の人間にこういうことをアドバイスするのは勇気もいるだろうに、ちゃんと言葉に出して伝えてくれたことのありがたさ。
もう1つはじぶんは割とアンテナタイプでいろんな新しいものを見逃さず、すぐにチャレンジしてきた「斬新派」だったはずなのに、知らないうちに「頑なガンコ化石人種」になってしまっていたこと。

その2点にハッとしたわたしは直ちに「紙」への「執着」を捨て、彼女への感謝の気持ちを形にあわらすべく使い方もわからぬまますぐにnoteを始めました。まずは作家名の方で。そしてそのあと、じぶんも予想していなかった夢の実現が待っていました。
そう! このアカウント、”la la la 世界”の開設です。

執着を捨てた先にはいつも予想外の景色が待っています。
アラビアの人たちが言っていました。

「一つの扉が閉まる時、神は必ず新たな扉を開きたまう」

アラビヤの人たちは昔、真珠を採って生活をしていました。それがもう難しくなった時、神は石油という新しい資源を彼らに与えてくれたそうです。

神、という無条件に信じれるものがないわたしたち日本人にとって、
必ず新たな扉が開くことを信じるには大きな勇気が要ります。でもその先に、何かあるはずだ、そう考えじぶんを信じて1歩を大きく踏み出すしかない。その体験から、その考えを確信に変えていくしかない。

10年前、役者を目指していたわたしは一度その執着を捨て、小説を賞に出してみました。いろんな人が「書くのが向いている」と言ってくれたことに初めて耳を傾けたのです。執着は捨ててみましたが、役者を諦めたわけではありませんでした。作家で有名になって逆輸入で役者になろう(安易 笑)、
そう思ったのです。ともあれまでと全く違う方向に踏み出した1歩は、わたしの安易な予想とはまた全然違う、小説家としての、新しい世界、新しい毎日を運んできてくれました。今回もそうです。小説家名でnoteを始めたわたしは「この場所でならずっとやりたかったラム子のマガジンを誰に許可を取らなくともできる!」ということを発見しました。
それは一度「紙」というものへの極度なこだわり(執着)を捨ててみた先に見えた新しい景色でした。

結果わたしはまだ1投稿も有料設定にできていません。笑。
でも一周回っての今のこの状況はこれでいいって思っています。
「こだわり」と「執着」
あなたの大切なものを、一度この角度から仕分けしてみてはどうでしょう。
その結果、やっぱり手放せないものがあるのは、わたしは全然いいと思います。一度、フラットな視点で、見直しを。新しいラララ抜け道が、見つかるかもしれません。そして意外とその”抜け道”が、あなたの王道になったりなんかして。


ラララ世界の中心はあなたであって、いつどんな瞬間からも、その一瞬先の未来の時系列を変えることができます。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
「東の魔女」に聞きたいことがあれば、気軽にコメントしてくださいな。
それをテーマに次の記事を書くなど、一緒にこのマガジンを作っていきたいと思っています♪ la la la♪


嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ