見出し画像

★間違った道は間違っている、それが正しい道になるまで。(Epi.2)

先週からはじまった私のアパレル時代を綴ったエッセイ、「Timeless Wisdom」の続きをお届けします。

前回のあらすじ:

2002年、27歳の私は外食産業からアパレル業界へと飛び込みました。前職で培ったマネジメント経験が評価され、東京銀座のラグジュアリーなセレクトショップでわずか2ヶ月で店長に昇格。しかし、新たな業界での接客とマネジメントに四苦八苦し、常に居心地の悪さを感じていました。さらに失恋をきっかけに自分の依存的な考え方に気づき、自己成長を強く意識するようになります。

そんな中、偶然手に取った本田健さんの「幸せな小金持ちの小冊子」により、「好きなことを仕事にする」という新しい視点を得ます。この出会いが、これまでの仕事観を一変させました。さらに、起業家精神に溢れる社長の数々の問い掛けが、私のマインドセットを根底から変えていきます。

苦手意識のあったアパレル業界で、私はこの教えをどう生かしていくのか? 新たな挑戦と自己成長を描いた物語が、今始まります。

今回は、私の人生を最も変えた名言から、はじまります。

1.4 私の人生を最も変えた言葉

ある日のミーティングで社長から、「楽しくやってる? 僕たちは楽しくやってるので!」と言われました。私は接客販売をしているときだけは楽しいけれど、店長としての仕事には楽しさを見いだせていませんでした。スタッフたちよりアパレル経験が少なく、ファッションについての知識も乏しいことが心苦しかったのです。そんな私を気遣ってか、社長は時々1対1のミーティングに私を呼んでくださいました。

社長とのミーティングでは、現在の取り組みや起業家の視点について学ぶことができました。しかし、社長から「何でだと思う?」といった意図を考える質問をされると、私は答えられずに黙って聞いているだけでした。その度に自分が情けなく感じました。

さらに、社長からは時折、斜め上から飛んでくるようなフィードバックもありました。例えば「嫌いな人と仲良くなりなさい」という言葉。最も私の人生を変えた言葉と言っても過言ではありません。

私は話しやすい人や自分に話しかけてくれる人としか話しておらず、オシャレで感覚的なスタッフたちとは共通の話題を見つけられずにいました。自分がオシャレでないことも引け目を感じる理由の一つでした。前職は男性が多く、マニュアルがある左脳的な文化の職場だったため、感性を重視されるアパレルの職場に苦手意識を持っていたのです。私はコミュニケーションスキルが高いと思っていましたが、それは自分のコンフォートゾーン内でのことだったと気づきました。

まず私ができることは、私に歩み寄ってくれている感性のあるスタッフから学ぶことでした。これまで苦手だと感じていた人たちとも話せるように努力しようと決心しました。そうすることで、今まで見ようとしていなかった世界が少しずつ見えてくるのを感じ始めました。

1.5 他者の力を借りることで成功できる

また別の日、社長が私にこう言いました。「僕と堀口さんは似ていると思う。オシャレじゃなくても、アパレルのビジネスはできるんだよ」。オシャレじゃないと言われつつも、社長に「似ている」と言われたことが心の救いになりました。

続けて社長は、「自分の周りにオシャレな人を置いて、その人たちに興味を持って質問し、アイデアを引き出せばいいんだよ」と言いました。アパレル業界にはバイヤー、プレス、デザイナー、VMDなど様々な役割がありますが、社長の仕事は、それぞれの専門知識を引き出し、全体をマネジメントすることです。つまり、社長が言いたかったのは、全体を動かすポジションを目指せということです。苦手なままで終わるのではなく、苦手を超越した先に可能性があることに気づきました。その言葉は私の魂に深く響きました。

1.6 新天地への異動

社長から「オシャレじゃなくてもアパレルのビジネスはできる」と言われて以来、人に意見を聞くことを意識し始めました。

接客に関しては、メンズ接客が得意なスタッフに自分の弱点を尋ねました。彼は個人売上データを見ながら、「あなたの客単価は他のスタッフよりも低い。多く売るよりも、一人のお客様に長く接客して、セット販売できるようになることですね!」と教えてくれました。彼に質問することで、彼はとても嬉しそうでした。こうして、私の課題が明確になりましたが、どうやってコーディネートを勉強すればいいか悩みました。

そこで、私はお客様がフィッティング中にオシャレなスタッフからアドバイスをもらうようにしました。皆さんのおかげで、私の客単価も上がり、一人のお客様が一気に40万円も買ってくれるようになりました。自分が苦手なことを人に頼むと、人は喜ぶものです。

1.7. 不安から挑戦へ:アパレル業界に飛び込んだ理由

ここまで話すと、よく「どうしてアパレル業界に入ったの?」と聞かれます。それもそのはず、不安を抱えながら飛び込んだ理由をお話しします。

大学卒業後、私は世界的に有名なファーストフードチェーンに入社しました。外食産業に関わったのは、大学時代に4年間ウェイトレスのアルバイトをしていたからです。そもそも、キッチン業務を希望していました。人前に出て笑顔を振りまく自分なんて想像もできなかったからです。しかし、面接官に「ウェイトレスの方が向いている」と説得され、渋々ウェイトレスを引き受けました。キッチン希望だったのにウェイトレスに採用されるなんて、自分でも笑ってしまいました。控えめな高校生活を送っていたので、周りの人も私がウェイトレスになったことに驚くと思い、少しワクワクもしました。

人生は不思議なもので、過去の延長線上にない選択をすると、多くの学びがあります。この経験が私の人生を大きく変え、人をおもてなしすることの楽しさを学びました。その結果、外食産業でナンバーワンの会社を目指すことにしたのです。しかも、その会社の創業者と誕生日が同じだと知り、運命を感じました。最終面接まで7ステップほどありましたが、ウェイトレスで培った経験を強みにして、内定をいただきました。

この会社では、ハンバーガーを作ったりポテトを揚げたりしながら、実践的に店舗マネジメントスキルを学びました。しかし入社5年目、業績が悪化し、「30歳までに店長になる」という夢が叶わないかもしれないと思い、転職を考え始めました。

当時はインターネットよりもリクルート雑誌が主流で、その中の1冊「とらばーゆ」が私の運命を変えました。

最初は外食産業の求人を探していましたが、今の会社以上に魅力的なところは見つかりませんでした。そこで、アパレル業界に転職した同期の二人の女性を思い出しました。銀座と原宿で働く彼女たちを訪ねると、生き生きと楽しそうに仕事をしていて、私もできるかもしれないと思いました。ちょっと背が高いからという理由もありましたが。

そして、「マネジメントできる方募集」と書かれた唯一のアパレル会社を見つけました。給与も「30万、40万、50万、60万…」と記載されていて、胸が高鳴りました。

外食産業での3店舗でのマネジメント経験があり、それぞれで成果を出してきたので、内定をいただけるチャンスがあると考えました。ファッションに興味がなくても、人を育てるマネジメント業務ならできると思ったのです。

1.8ファーストコンタクト

書類選考を通過し、いよいよ面接の日が近づいてきました。私は、そのアパレル会社の旗艦店である銀座の店舗を訪れることにしました。インターネットでその店を調べていると、見覚えがあることに気づきました。それは、私が唯一購読していたOL向けのファッション誌に載っていた素敵なお店だったのです。「いつか行ってみたい」と思い、普段は絶対にしないスクラップをしていたのを覚えています。このシンクロニシティーに震えが止まりませんでした。

実際にその店に足を運んでみると、ガラス張りの白く輝く外観が目に飛び込んできました。場違いな感じがしましたが、面接のネタにしようと意を決して入ることにしました。自動ドアをくぐると、一瞬で高級感に包まれました。店内はラグジュアリーな商品と光が反射するシルバーのディテールが目を引き、二階へ続くスタイリッシュな階段が目に留まりました。

私はずっと下ばかりを見ていました。ラックにかかっている服はどれも高級で圧倒されました。店舗スタッフたちは冷たく感じられ、一周だけしてまた階段を下りて店を出ました。完全にアウェイな感じで、一瞬にして自信を失いました。

でも、元々可能性が薄いと思っていたので、面接での成功を目指すには自分のマネジメントの成果を語ることに集中しようと決めました。マネージャー職を目指す者として黒のパンツスーツを購入し、面接の日を迎える覚悟を固めました。なぜか、アパレルといえば黒のイメージしかありませんでした。

面接の日はモーニングシフトの後でしたが、勤務時間が終わってもスケジュール作成業務が終わらず、一旦店の事務所を抜けて青山の面接会場へ向かいました。

青山の骨董通りにある黒いビルがそのアパレル会社の事務所でした。事務所へ続くエレベーターに乗ると、居心地の悪さが一層増していくのを感じました。

エレベーターのドアが開いた瞬間、レオパード柄のファーコートが目に飛び込んできて、その威圧感にまず圧倒され、ますますアウェイ感が強まりました。「この空気を早く自分のものにしなければ」と心の中でつぶやきました。

やがて私の番が来ました。面接は5名のグループ形式でした。私は黒のスーツに身を包んでいましたが、他の候補者たちはラフな格好でした。驚いたことに、彼らは普段着のような服装で面接に臨んでいたのです。「なぜ?」と疑問に思いながらも、何とか自分の空気に変えようと、「私はマネジメント候補として面接を受けに来たのですが、ここでよろしかったですか?」と一言発しました。前に座っていたアロハシャツの男性が「ざっくばらんにやっているんで」と答えました。私は一番端の席に座っていたので、質問に答えるのは最後でした。皆の話を聞いているうちに、そのアロハシャツの男性が社長であることが分かってきました。

このアパレル会社はセレクトショップの先駆けであり、皆が憧れて志望していることが伝わってきました。知ったかぶりは通用しないと悟り、逆に正直にカミングアウトすることにしました。「アパレルのことは全く知らないのですが、今日はよろしくお願いします」と言うと不思議と落ち着き、前職での成果を冷静に語ることができました。言いたいことはすべて言えました。それだけで達成感に包まれました。結果はどうなっても構いません。

面接が終わり、再び青山の街に出ると、いつもと変わらない風景が広がっていましたが、自分の中では何かが変わったような気がしました。緊張と期待が入り混じった感覚で、次のステップへ向かう勇気が湧いてきたのです。

数日後の午後3時過ぎ、モーニングシフトが終わった頃、人事の方から電話がありました。「先日は面接にお越しいただきありがとうございました。社長がぜひ一緒に働きたいと申しております」と告げられました。

「え?! 私でいいんですか?」と驚きを隠せずに尋ねると、「ぜひ」と即答されました。本当に驚きました。この店舗勤務から抜けて、マネージャー職として働くことになるなんて、全く想像できない未来でした。

周りの人たちに「アパレルに転職する」と話すと、皆が驚きを隠せませんでした。「え、本当に?」「それは意外だね」と口々に言われました。しかし、そういう想定外の未来こそが私の人生で最も起きてほしいことでした。だからこそ、この決定が自分らしいと感じられたのです。私は自分の想定外の未来が楽しみになり、これからの新しい挑戦に向けて準備を始めました。

まず、有休休暇を消化するため、アパレルで勤務を開始する日は3か月後にしていただきました。約1か月半の有休休暇を利用して、ニューヨークに2週間の語学留学を決意しました。将来店長になるならば、ニューヨーク視察くらいしておいた方がいいだろうと考えたのです。今思えば、これはまさに「引き寄せの法則」だったのかもしれません。

続く…

英語版はこちらです

■編集後記

英国人の英会話の先生から、「漫画のようなストーリーだから、イラストも入れたほうがいいよ」というアドバイスをいただきました。そこで、ChatGPTの力を借りて、挿し絵を加えることにしました!

フィリピン人の先生が、挿し絵がないときに「アロハシャツは黄色地にカラフルな花を想像していました🤣」とおっしゃっていたのですが、実際は青地だったんです。

今の自分からアパレル店長時代を振り返ると、「世界線が変わった瞬間」をたくさん体験してきたからこそ、自分が自動的に変化したのだと気づけました。最近は、「引き寄せ」から「意識で世界が変わる」という考え方にシフトし、いろいろなことが説明できるようになりました。とても面白いですよね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?