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私とサモサにまつわる小話集

 これは夫に「今夜はサモサにしようかな」と言ったところ、「サモサってなんだっけ」と返された、サモサ好きな私が彼のために書いた、私のサモサの思い出を語っているだけの文章です。いつかあなたの食べるサモサの前菜として、よろしければお読みください。

まえがき 盲腸の手術後サモサ@ナイロビ病院 

 10歳の頃、サモサは、学校帰りなんかに買い食いする大好きなおやつだった。その日はちょっと具合が悪くて病院に来ていたが、診察が終わったら絶対サモサをねだろうと決めていた。ところが、触診を終えたお医者さんは眉をひそめ、「これは即入院ね。今日のうちに手術してしまいましょう」と言い、それまでは絶食と宣言した。え、ちょっと待って、私のサモサ計画は?
 盲腸の簡単な手術とはいえ、輸血が必要になったらどうしようと心配する母の横でサモサの話をするわけにもいかず、連絡を受けた父が近くの職場から駆けつけて来たところで「サモサ食べたいんだけど」と言った。それは退院してからだな、と私の希望をさくっと打ち砕くと、父はフォローのつもりなのか「ここの病院食、美味いぞ。食べたのはうんと前だけど」と付け加えた。20年前に、協力隊員としてケニアに来ていた父は、バイク事故の怪我でこのナイロビ病院に運び込まれたそうだ。そこで出された食事がうまかった、とは確かにそれまでにも聞いたことがあったので、よっぽど美味しかったのだろう。残念ながら私は怪我ではなく、手術のための入院だったため、術後出されたのは回復食のスープだけだった。
 確かに美味しいが、私の食べたいものはこれではない。術後の私は盲腸をなくしても、サモサを食べたい気持ちを手放してはいなかった。頭では固形物は無理、まして油であげたサモサなんて食べれないことは分かっている。が、しかし、ベッドの中の私は、ひたすらサモササモササモサと思い続けた。退院するとそのままの足で、よたよたと売店まで歩いて買いに行った。サモサ。
 以来、一度頭をよぎったら絶対食べたいものランキングの上位にあるサモサ。日本のコンビニでサモサを扱わないのはなんでだろう。ホットスナックとして優秀だと思うのだけれど。ベジタリアンにもミートイーターにも優しい。カレー屋さん行くとナンでお腹いっぱいになってしまい、なかなかサモサまで到達しないのが大多数の人なのではないだろうか。春巻きの皮のなんちゃってサモサを作って気を紛らわせるしか今の私にはできないのがなかなか悔しい。コンビニ各社さん、新商品としてどうでしょうか。サモサ。

惚れ薬入りサモサ事件

 ナイロビで私たち家族が住んでいたのは、広い敷地に赤い屋根のレンガ造りの集合住宅が十数棟ほど、ぐるっと二重の円を描くように並ぶ、外国人用のアパートメントだった。敷地の中心には大きな内庭が、建物と建物の間には、ジョギングや散策にぴったりな広い石畳の道があった。そして外側に並ぶ建物の裏手には、私達が外庭と呼ぶエリアが広がる。一棟の建物には12世帯ほどの家族が住んでいたように記憶しているが、まさに人種の坩堝的に様々な家族が住んでいた。
 私たちは外庭側の棟に住んでいた。そしてお向かいの内庭側の建物に「アビーさん」という高校生のお兄さんのいるインド系のご家族がいた。お父様は国連職員で、ケニアの前はフィジーにいたと言っていた。アビーさんはフランス語が流暢で、当時、私の最大のストレスだったフランス語の宿題をよく見てくれていた。
 アビーさんのところのメイドのエラさんはお料理上手で、特にサモサは絶品だった。よく「ママからのプレゼント」と、大量のサモサを我が家に差し入れしてくれた。母は、我が家に勤めていたメリーさんに、彼女からサモサ作りを習ってきてほしいと言った。母自身も習いに行ったが、言葉の壁にぶつかったのだろう。
 事件は、そんな穏やかな家族と我が家の間に起きた。
「ママ」
 メリーさんがある日深刻な顔で母に近づいた。
「ママは惚れ薬を盛られている」
 母は突然のメリーさんの話にびっくり仰天である。相手は真剣で、本気の目で母に告発していた。
「どういうこと?誰が私みたいなおばちゃんに惚れ薬なんて盛るの」
 するとメリーさんは、真剣な目に涙を浮かべ、
「お向かいのメイドだ!」
 と言った。彼女曰く、お向かいのエラさんが運んでくるサモサには惚れ薬が盛られていて、母が食べる度に、どんどんエラさんのことが好きになるそうだ。どんどんどんどん好きになって、しまいには自分を解雇し、お向かいの家族にお宅のメイドを譲ってほしいと頼みに行くのだと言う。
 とにかくそんなことは絶対に起きない、絶対に大丈夫だ、と言っても、メリーさんは続ける。ママは知らないかもしれないが、腕の良いウィッチドクターがいるのだ。そのウィッチドクターに惚れ薬を作ってもらって、それをサモサに入れているのだ!みんなが知っている。みんな、いつメリーがクビになって、エラがあの日本人の家に入るようになるか、興味深々で面白がってる。ママ、あのメイドの作るサモサを食べてはいけない!それがメリーさんの主張だった。
 後日、丁寧に周囲やアビーさん家族と話した結果、我が家のメリーさんは、キクユ族。一方、エラさんはそこと仲の悪い一族出身だったことが分かった。そうした背景があることを知らず、メイドさん同士も交流して仲良くなるといい、くらいに母は思っていたそうなのだが、実はなかなかちくちくした関係になっていたようだ。
 メリーさんがどこで「サモサに惚れ薬が入っている」と思いこんだのかは分からない。そのアパートメントに暮らすたくさんのメイドさんや運転手さんたちのコミュニティの中で、年を取ってそろそろ解雇されるのではないか、と不安に思い始めているお年頃のメリーさんに、誰かがそんなことをささやいたのかもしれない。そうした背景があって、母に訴えることになったとのこと。
 うちにサモサは運ばれてこなくなった。私はちょっと残念に思った。

いちごタルトVSサモサ

 サモサがおやつとしていかに魅惑的だったという話をしたい。私がケニアに住んでいたのは小学校4年生から6年生。一年間で10センチも背が伸びる育ちざかりだった。そして食べ盛りだった。
 小学校の前の道は舗装されていたが、ちょっと曲がれば舗装されていない道もある。がたごとと揺られてたまに寄り道したその施設には、スーパー、花屋さん(主に50本ほどのバラの塊がどどんっと置いてある)、印刷屋さん、お肉屋さん、そしてベーカリーが並んでいた。この施設が大のお気に入りだったのは、このベーカリーが他にないものを扱っていたからだ。そう、サモサ、ではなく、いちごタルト。
 日本のコンビニスイーツに慣れているあなた(※1)にはわからないかもしれないが、クリームの上にいちご、というのは、世界のどこにでもあるというものではない。クリームがバタークリームだ、とか、いちごがジャムだ、とか、そういう変化球はまあまああるかもしれないが、生クリームといちご、しかも、その下にさくさくの甘さ控えめビスケット生地、という形状のものは、珍しい。ナイロビで私が買おうと思える生菓子類はここにしかなかった。そして、生菓子は日持ちしない。いつもあるというわけではない。
 そんなレアないちごタルト、そして割とどこでも買えるサモサ。ベーカリーではどちらも取り扱っていた。いちごタルトがあったなら、購入するものは一択と思うでしょう?でも不思議なことに、サモサを見ると、サモサでもいいな、という気がしてならなくなる。
 いちごタルトかな。サモサかな。そんなことを考えながら二種の全く別物のおやつを交互に見る。それは悩ましくも幸せなひと時だ。
 なお、いちごタルトがない時は潔くサモサなのだが、ベジタブルにするか、ムトンにするか、もなかなか悩みどころだ。二つ食べると夕飯に響くので、どちらか一方しか選ぶことはできない。
 なんだかいちごタルトの描写を長々としてしまったが、そのくらい魅惑的なおやつなのだ、サモサは。

カメレオン捕獲ブームとサモサ

 サモサがおやつとして優秀だという話もしたい。そう、やつは揚げ物。腹持ちがいいのだ。
 私が当時住んでいたアパート「リバーサイドパーク」には、小川が流れ、色とりどりの花々、アカシアやジャカランタの木々、そこにまたいろんな種類の鳥が集まる、素晴らしい環境の庭があった。
 だが、私が上記で話しているのは中庭であり、外庭は、芝生と背の高い黒々とした木々、そしてその一番奥に厳重な柵がある、ちょっと怖い場所だった。柵には電流が流れていて、危ない。柵の間からは車が走る道路が見え、そこから侵入者が柵を超えてこようとしていないか、電流だけではいけないと、レンジャーさんがジャーマンシェパードと定期的に見回りをしていた。
 外庭は私たちにとって魅力的なものは長らくなかった。私たちは中庭に十分満足しており、花をつんだり、魚を捕まえたりして遊んでいた。親も外庭に行くのはいい顔をしなかったので、誰も行かなかった。
 それなのに、どうしてだろう。ある日、外庭にカメレオンが生息していることに、気づいた男の子がいた。カメレオン。一日一匹、大きいのでも、小さいのでも、捕まえたいカメレオン。なんだか愛嬌のある、カメレオン。カーテンをのぼらせたり、中庭に連れて行って虫を捕まえるのを眺めても楽しいユーモラスなカメレオン。
 そして空前のカメレオン捕獲ブームがやってきた。
 外庭に行く、というのには、二重に試練がある。割と私の遊び仲間は聞き分けの良い子供が多かったので、親のいいつけを破る、というのが第一にちょっとした心の試練だった。そして第二に、中庭ほど手入れがされておらず、斜面になっている場所もあり、広い外庭を歩くと疲れる、という身体的な試練があった。
 そんな試練に立ち向かう前、ぜひ食べておきたいのが、サモサだ。サモサは揚げたてはもちろん美味しいし、冷めていてもスパイシーなおかげで、なかなかいける。そしていっぱい歩くとお腹が空きがちだが、冒頭で述べたように、腹持ちが良い。私は母に、ちょっと外に行ってくる、これもらっていくね、とサモサをひとつ持って、外に繰り出したものだ。残念ながらほどなくして、外庭に行っているのが友達の親にばれ、改めて外庭行きを禁止された。カメレオンブームはそれでもしばらくは続き、キャッチ&リリースがモットーだった私たちは、レンジャーさんにカメレオンをもしみつけたらで良いから渡してほしいと懇願するようになった。とある兄弟がカメレオンを長期的に飼いだすと、捕獲ブームは終息した。
 この兄弟とカメレオンと私にはまた違ったエピソードがあるのだが、趣旨が変わってしまうため、ここでは語らない。サモサとカメレオンの話は以上だ。

譜面とサモサ

 いちごタルトの買える例の施設には、印刷屋さんがあった。そこに本を持って行き、どのページを何部コピーしたいか伝えると、期日までにコピーをしておいてくれる。この印刷屋さんは、バースデーカードなども豊富に取り扱っており、当時の私にとって楽しい場所のひとつだったが、私はここで小さな失敗を一度やらかしたことがある。
 その日は、知り合いから借りたフルートの譜面がコピーされ、冊子として出来上がる日だった。私は冊子を受け取ってからサモサを買えば良かったのに、待ちきれず、サモサを買って、半分くらい食べ、それをわらばんしにくるんで、印刷屋に入った。印刷屋さんのサービスは今思うと本当にありがたいものだったのだが、いつも一冊分の譜面の印刷を頼むと、譜面が一枚逆になって閉じてあったり、ゆがんだコピーで読めないこともあったので、その場で一枚一枚めくって確認作業をする必要があった。まあケニアの小さな個人商店なので、それでも期日に仕事が終わっているのが素晴らしいし、言えばすぐ直してくれた。
 それで私は、その日も一枚一枚譜面をめくり始めた。最初はなんだかめくりやすくて、最後はめくりにくかった。ふと、自分の指先を見た。そしてめくっていたページの端を見た。
 あっと思った時にはもう遅い。サモサの油がべっとりと譜面についていた。どう見ても私の指の形で。新しい譜面なのに、やってしまった。車に戻って、もう半分のサモサも食べきったが、あちゃーと譜面の端っこをしばらく睨むこととなった。

とんびとおやつサモサ

 私の小学校の予鈴は8:07に鳴った。そして授業を二コマ受けて、10:15からはブレイクタイム。そうおやつの時間だ。
 20シリングをにぎって売店に行くと、あつあつドーナッツに粉砂糖をまぶしたおやつが買える。本当にシンプルなおやつなのだが、あれもサモサに負けず劣らずの私のお気に入りだった。
 それを食べながら校庭をうろうろしたいところなのだが、私たちのおやつタイムには敵がいる。とんびだ。やつらはドーナッツを持った学生に急降下し、ぱっとドーナッツを奪う。
 私もまあ、残念ながらおっとりというか、どんくさい学生であり、とんびの良いカモだった。一回、ドーナッツが消えた!と思ったら、隣の子に、とんびが持ってったよ、ほら、と指を指されるまで気づかないことがあった。実に鮮やかな技である。
 売店で買わないで、家からおやつを持ってくる子も多い。ある日、下級生がタッパを持って校庭を歩いていた。何を思ったか、タッパを一度芝生に置き、彼はとことことそこを離れた。すると、ぱっととんびが急降下し、かっかっとタッパを蹴飛ばした。
 おにぎりころりん、ではなく、サモサころりん。タッパから出たサモサはそのまま何度かトンビに蹴られ、中味がこぼれつつも、とんびに攫われていった。「あーあ、取られちゃった」と友達が下級生をなぐさめに走った。おやつの時間は楽しいが、常にとんびとの戦いの場でもあるのだった。

留学時代の冬のサモサ@英マンチェスター

 正直、マンチェスターには二度と戻りたくない。なんだかみじめな気持ちになることが多くて、思い出すと心が弱る。
 特に寒い冬の夜。そんなに遅くなくても、冬はすぐまっくらになる。私は図書館の自習室をぐずぐず片づけ、外に出て、家路につく。Red Hot Chili Peppersのsnowをイヤホンで流しながら、機械的に足を動かす。無心にリズムに合わせてアスファルトを踏む。
 寒さと暗さ、それにやわやわとする頭痛に、抜け落ちる髪。大きな課題はまだ出ていないけれど、チュートリアルの資料が用意するだけでも面倒だ。先のことはあまり考えたくなくなる。他のコースメイト同様、私は自身の置かれている状況にストレスを感じていた。
 顔をあげると、右手にぼーっと赤く光る看板が見える。キオスクだ。図書館と家の中間地点。お金はなくなる一方だし、今度あなたが来る時に観光するためのお金を残しておきたい。でも…。
 中に入ると、もわっとした空気が頬を撫でる。やる気のなさそうな店員がカウンターで携帯をいじっている。
 ぷらぷらと店内を歩く。紅茶とクッキーとチップス以外は、美味しくないのはもう経験済みだ。ここで果物は買ったことないけれど、どうなんだろう。オレンジがなんだか毒々しく見えるのは照明のせいなのだろうか。
 早くも店内を一周して、入り口付近に戻ってきてしまった。このまま帰るかと、足を元居た場所に運びかけるが、ドアのすぐ横につけられた、ホットスナックコーナーに目がいった。サモサがある。揚げてからだいぶ時間が経っていそうだけれど、サモサだ。
 小銭を店員に渡し、そのまま包装紙に包まれたサモサをもらう。あたたかい。
 手は洗っていないし、歩いて喉も乾いている。でもとても家に帰るまで持っていたら、せっかくのホットスナックなのに冷たくなってしまう。家の電子レンジがすぐ使える状態に、ハウスメイトのアドナンとメガンがしているとも限らない。昨日はメガンのレンチンしたトマトとチーズの何かが電子レンジ内で爆発していた。
 サモサを口に運ぶ。白い息と共に、スパイスの香りがふわっと空気に流れる。
 サモサは、なんだか幸福で、懐かしい気持ちにさせてくれる。
 ぎゅっと目をつぶると、目の周りも冷たくなっていることに気付く。帰ったらシャワーを浴びよう。絶対それだけじゃあたたまらないから、紅茶もいれよう。はやく部屋に引きこもって、ベッドから旦那さんに電話をしよう。まだ寝ているだろうけれど、彼の出勤前に少し話したい。
 さっきより少し元気な足取りで、家に戻っていく。明日もこの道歩けるかな。なんとか学校には通い切らなくては、と思いながら。

小話 ナイロビ病院での質問

 ラオス時代(※2)は英語ビギナーだった私だが、ケニア時代は中級くらいからスタートできたので、人との意思疎通は割と問題なくできていた。だから、盲腸の手術が終わり、私が入院していた個室に出入りしている看護師さんたちとも、母がいなくとも会話はしていた。
 そう、問題なく会話していたと思う。
 看護師さん「手術の直後で、シャワーも浴びれないのは嫌でしょう。自分で動くのは無理でも、私たちが身体をふいてあげましょう」
 私「ありがとうございます」
 看護師さん「石鹸は好き?」
 私「はい、好きです」
 看護師さんは丁寧に私の身体を濡れたタオルで拭いてくれた。自分で動いても術後で痛いのに、うまく拭いてくれるおかげで痛くない。さすがプロだ。
 看護師さん「はい、じゃあ石鹸ね」
石鹸を丁寧に塗ってくれる。泡立てるというより、塗ってくれる。
 私を見て、看護師さん「うんうん」とうなづき、どこかへ行ってしまう。そして戻らない。
 母が来ると、私は石鹸を塗られた状態でベッドにいた。私はこんなものだろうか、とぼーっとしていた。母は絶句した。プロではない母にその後、石鹸はしっかりと落としてもらったが、なかなか大変だった。
 あの状態で看護師さんが消えたのは、ミスだったのだろうか。いや、多分、好意で塗ってくれて、終わったんだな。私自身はこの話はあまり記憶にないのだが、強烈なエピソードとして、その後も母から時折話される。


おわりに なんちゃってサモサ

 私のなんちゃってサモサは春巻きの皮を使って作る。本当は皮も作りたい。そんなに難しいものではないと思う。皮自体は。
 でも皮を作ったら、もっと中味もこだわりたくなるに決まっている。ひつじのサモサは、美味しいんだ。あのクセのある歯ごたえと匂いを嫌う日本人は多いけれど、スパイスと一緒に炒めて、包んで揚げれば、そのクセこそがうまみだと分かる。
 豆のサモサも美味しい。豆にもいろんな種類がある。ひよこ豆がメインであっても、その他の組み合わせで食感も味も変わる。私は豆にさほどこだわりはないけれど、鎌倉のお土産屋さんを見ると、日本人も豆が好きだよな、と思う。豆のサモサも日本人受けする味にしたらヒットしないだろうか。
 種類で言ったら、スパイスも種類豊富だ。マンチェスターのアラブストリートで買ったターメリックとカレースパイスを今回のなんちゃってサモサには使っているが、あそこにあった他のスパイスも混ぜれば、一味違うサモサができたに違いない。
 じゃがいもオンリーのサモサも美味しいし、じゃがいもにちょこっと肉が入ってるサモサも楽しい。カレー味のコロッケと何が違うのかと言われると困るが、食べ応えがあって良い。チキンサモサもビーフサモサもみっちり肉が入っているのが美味しい。ビーフは中味がこぼれやすくて、グリーンピースが入っててもアクセントになって悪くない。チキンはコリヤンダーが入っているのもあったはず。どこかさわやかで、でもこってりで、美味しい。
 春巻きは実は中味は申し訳程度にいれれば体裁が整ってしまう。でもサモサは中味がみっちりであればあるほど、嬉しい。だから具材も多めに作る。今回もちょこっと余らせてしまったので、それはスープにした。
 この小話集は、あなたがサモサってなんだっけ、と言ったことによって書き始めて、まあいわゆるサモサを食べるための前菜みたいな位置づけとして書いたのだけれども、やや長くなってしまった。サモサの具材のように、私はまだ加減をしらないのだと思う。
 でも、なんにせよ、ひとまずあなたには私の作ったサモサを召し上がっていただきたい。私の人生がもうちょっと続き、何かご縁ができたら、サモサの作り手として、もっとサモサを探求しようと思う日がやってくるかもしれない。そしたら本場に負けないサモサをごちそうしよう。私にとってサモサは良き子供時代の象徴であり、あなたにそれをシェアしたいと思ったように、自分の子供に食べさせたいと思うこともあるかもしれない。そしたらたまねぎを甘く炒めたサモサを作ろう。
 そして、今回のこのなんちゃってサモサが美味しかろうと、お口にあわなかろうと、覚えておいてほしいことは、今私はサモサが作れて幸せだということだ。私に幸せなサモサを作らせてくれてありがとう。



※1 語り掛けているあなた=夫です。

※2 筆者はケニアに住む前はラオスに三年半住んでおりました。

#キナリ杯 #エッセイ #食べ物 #サモサ #思い出 #幼少期の思い出

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