きいろいねこ
ぼくは、早おきをした。
しんじられないくらいの早おきだ。おかあさんはねている。おとうさんもねている。ねいきがきこえてくる。ふたりのへやをのぞいてみた。ねていると、ふたりともちいさくて、まるでねこみたいだ。
まどの外を見ると、やねがたくさんあるもっとずっとむこうの空が、うすいオレンジ色になっていた。上にいくほどに、白、うすいむらさき、うすい青、と、色がかわっていく。朝の空はセロファン紙みたいだ。
とりあえず、外に出てみることにした。
鳥のおしゃべりと、ちかくで川がながれる音しかきこえない。住宅街には、だれもいない。いったい、いまは何時なんだろう。あとどれくらいすると、いつもおきる時間になるんだろうか。
学校がある日には、七時におきる。それも、むりやり、ふとんをはがされておきる。自分からおきられたことなんて、旅行か遠足の日くらいだ。
いまは夏休みだから、もっとおきる時間がおそい。きのうだって、おひるごろまでねていた。だから、こんなに朝早い空気をすうのははじめてだった。
早おきのセミはもうなきはじめているけど、空気はすっきりしていて、すずしいくらいだ。ぼくはどこにむかうでもなく歩いた。パジャマのままだったことにとちゅうで気づいたけど、学校じゃないし、とおくには行かないからかんけいない。
そうだ、学校までの道を歩いてみようかな。
いやいや、ここは、いつも通らない道をずんずんすすんでみようか。それとも……。
「おおい」
声がきこえて、ぼくは、はねあがった。だってだれもいないと思っていたんだもの。
「ひろくん」
しかも、ぼくの名前をよんでいる。
「こっちだってば」
こっちって、どっち? さっきからあたりを見回してるけど、人がいる感じはやっぱりしない。
「もっと、下のほうをみて」
下のほう? 言われるままに、しゃがんで、ぐるりと回ってみた。
あ。よその家にとまった車の下から、きいろいしっぽがはみ出している。うっすらとした、しまもよう。先っぽがくるんとまがっている。しっぽは、ぱたん、と地面をいっかいたたいた。
「コタ?」
よびかけると、しっぽは車の下にひっこんでいき。かわりに、あたまが出てきた。やっぱり、コタだ。三角の耳をぺたんとうしろにねかせて、おおきくあくびをしている。
コタは、ほんとうは虎太郎っていう。
コタに会うのはすごくひさしぶりだ。去年の冬に、死んでしまったから。じゅみょうだったんだね、と、おとうさんは言っていた。おかあさんは、ちょっと泣いていた。つまり、コタがいま、目の前にいるのはおかしいってことだ。
なあんだ。ぼくはちょっぴりがっかりした。だって、せっかく、ものすごい早おきができたと思ったから。でも、つまり、これは夢ってことだ。ぼくはまだ、ねているんだろう。
ぼくの気なんておかまいなしに、コタは全身で車の下からはいでてきて、まだひくいおひさまの光をあび、前足をのばしている。こうやって改めて会うと、みとれるくらいあざやかな、きいろいとらねこだ。すぐに毛づくろいをはじめたコタを見ているうちに、ぼくは早おきなんて、どうでもよくなってきた。
だって、コタがいる!
ぼくはたまらなくなって、コタをだきあげた。おもたさも、あったかさも、わきの下から持ちあげたときののびかたも、生きていたころのまんまだった。
コタは毛づくろいのとちゅうだったけど、おこったりしないで、まんざらでもなさそうにぼくにだっこされている。
おひさまのにおいがした。
「おおい、いつまでそうしてるの、もうおろしてよ」
コタが身をよじりだしたので、ぼくはコタを地面におろした。また毛づくろいをはじめて、それもすむと、コタはぼくを見上げてきれいにおすわりをした。
「そういえば、コタ、そんなふうにしゃべってたっけ?」
コタはきいろい目をきらりとさせた。
「しゃべってたよ。ひろくんだって、赤ちゃんのころは、ぼくの言うことに返事をしてたさ」
「ええっ、ほんと?」
思い出そうとしてみたけど、赤ちゃんのころなんて、はるか昔だ。
まあ、いまは夢だから、なんでもいいか。
「それより、ひろくん、朝ははじめてでしょ?」
「え?」
たしかに、こんなに早い朝ははじめてだ。
「案内するよ。きょうはそのために来たんだ」
そう言って、コタはくるりとぼくにおしりをむけて、なれたようすで歩きはじめた。
あわてて、あとをおう。コタのしっぽが、ちょっぴりえらそうにゆらゆらゆれた。
コタは、住宅街を道なりにすすんでいたかと思うと、とつぜん家と家のすきまに入りこんだり、橋の柵のすきまをくぐったりするから、おいかけるのが大変だ。コタはときどきぼくをふりかえって、足をとめてくれた。通学路、駅までの道、畑、図書館、公園。いつも見ている景色を、ねこの道から見るのは不思議な感じだ。
それに、どこもかしこも、ぼくの知らない空気でみちている。明るいのに、みんなねむっている。木や家をじっと見ていると、だんだんとうめいになっていく気がした。なにもかも、ゼリーみたいにすきとおっている。これが、朝ってことなんだろうか。
まてよ? と、ぼくは思う。
すきとおった町。すきとっているといえば、ゆうれいだ。そして、生きていないはずのコタ。もしかしたら、ぼくはゆうれいの国にまよいこんだんじゃないか?
でも、コタはたしかにいるのだ。あったかくて、おもたくて、コタのにおいだってした。それなら、なにもこわくない。ところで、コタはどこにむかうつもりなんだろう。ゆるい坂道をくだりながら、きいてみた。
「そりゃあ、ひろくんがよく知ってるようで、知らないところだよ」
ぼくはぼくがよく知っていそうな場所を思い浮かべてみた。小学校? スイミングスクール? 駅前の公園?
「あっ」
思わず声がもれた。ちょっとはずんだ声だったと思う。コタも立ち止まって、ふりむいた。坂をおりたところには、ちいさな神社がある。そのそばに生えた、おおきな桑の木。黒や赤の実をたくさんつけている。
そういえば、これは夢なんだった、と、思い出す。だってこの木は、ついこの間、切られてなくなっていたはずだから。それに、木の実の季節は、もうちょっとはやかったはずだもの。ぼくはこの桑の実がすきで、だから木がなくなったときはかなしかった。
「よりみちしていく?」
コタが言う。うなずいて、ぼくたちは雑草をふみながら、木のふもとまで入った。おひさまは、なかなか高くのぼらない。ここの木のはっぱたちも、まだはんぶんねむっているみたいだ。真上からふりそそぐ光を、ちからいっぱいにあびているところばかりを知っていたけど、いまは、うすあおい、かげのなか。葉っぱのすきまから、うすいきいろい空が見える。
ぼくは木の実のなかから、いちばんおおきくて黒いものをしんちょうにえらんで、つまみとった。自分でたべるためにとったけど、やっぱりコタにあげようと思った。
「コタ、たべる?」
「いらないよ。ぼくは肉のほうがすきだもの」
ちょっとおもしろくない答えがかえってきた。しかたないから、自分でたべる。ぷちぷちとつぶれる食感。よかった、すっぱくない。土と草の味がして、あとはぜんぶあまい。
「ねえ、コタ。ここはふつうの朝じゃないんだね。いったいなんなの?」
「やっと気づいたか。ここはねえ」
コタはもったいぶって、話のとちゅうなのに顔をあらったりしている。
「ここは、生きたあとの世界なのさ」
「生きたあと? 死んだあとの世界ってこと?」
「ううん。生きたあとだよ。ねこは夜を生きる動物だからね。その夜が、終わったということさ。ぼくたちは、生きるのが終わると、朝をむかえるんだよ」
「ふうん」
つまり、天国みたいな場所ってことか。
「じゃあ、コタのほかにもねこがいるんだ」
「ああ、いるよ。ここには、いろんなねこの思い出がただよっているのさ。桑の木だって、どこかのねこの思い出なんだろうね」
ぼくは、木のみきをそっとさわってみる。そういえば、このちかくでも、ときどきねこを見かけたっけ。
「じゃあ、勝手に食べちゃいけなかったかな」
「気にすることないよ。思い出は、ちょっと食べたって消えないさ」
そんなものだろうか。もうひとつぶだけ、こんどはまだ赤いものを食べた。ううん、すっぱい。でも、すっぱいのだって、ぼくにとっては思い出だ。
ぼくたちは先へすすむことにした。コタが塀の上を歩くから、ぼくも塀の上を歩いた。左手に見えてきた畑には、オレンジ色のコスモスがたくさん咲いていた。まひるのぎらぎらした感じとはちがって、だれかを待っているみたいなさみしさで咲いている。
このあたりは、通学路だ。もうすこし歩けば、学校につく。友だちの家もたくさんある。
あいつ、まだあの窓のむこうでねているんだろうなあ。そうかんがえながら歩くと、ゆかいな気持ちになった。
「ねえ、ぜんぜんほかのねこに会わないけど、みんなどこにいるの?」
「旅立っていったのさ、みんな」
しまもようのある後ろ頭が、さみしそうだ。
「このへんのねこは、もうだいたい日の出を見て、あたらしく生まれていったんだ。朝をむかえたねこたちは、しばらく朝をすごす。でも、やがて生まれかわるのさ。そのために、みんな、じゅんばんで、このまちでいちばん最初のおひさまを浴びる。朝をむかえてから生まれかわるまでの時間は、それぞれさ。今はちょうど、ぼくだけがいるときなんだ」
「じゃあ、ずっとひとりだったの?」
「ずっとってわけじゃない。ついこの前まで、友だちがいた。朝をむかえてから友だちになったねこだった。そいつも、あっという間に生まれていったからなあ」
ゆらゆらゆれていたしっぽが、地面につきそうなほど、くたりとしている。
「でも、いまはさみしくないよ。ひろくんが来てくれたんだから」
うつむいていたコタが、やっとぼくの方を見上げた。
ちょうど、ぼくのかげが、コタにかさなっていた。かげの中にいても、コタは、ぴかぴかのバターみたいなきいろだ。毛並みも、目も、ひげの先まで、とろけそうなくらい。しっぽがちょっとだけ持ちあがった。
そのまま、ぼくたちは道をまがった。もう、目の前に校門が見えている。
「さあ、もうすぐつくよ」
コタはそこだけピンク色をした鼻をたかだかと上げた。
「なあんだ、目的地って、やっぱり学校?」
「なあんだとは、なんだ。朝の学校は、ひろくんの知っている学校とはぜんぜんちがうよ」
そうは言われても、見知らぬ世界をちょっとは期待していたから、力が抜ける。そのあいだに、コタは門のすきまをするりとぬけて、もう学校に侵入していた。
「だめだよ、おこられちゃうよ」
「おこられやしないよ。いまは朝だ、だれも見ていない。監視カメラにだって、うつりはしないさ」
「そうなの?」
ぼくはななめ上のカメラを見上げる。よく、みんなでふざけて、わざとへんな顔をうつしたりしているカメラ。たしかに、カメラも、校舎も、プールも、飼育小屋も、まだねむっているように見える。
「ひろくんもおいで」
コタが門のむこうから呼んでいる。
「むりだよ、そんなせまいところとおれない」
「とおれるよ。やってみて」
コタがそういうならしかたない。ぼくは、プールにもぐるときみたいに息をとめて、目をとじながら、門に近づいていった。すると、門のすきまがひろがっていったのがわかった。それとも、ぼくがひらべったくなったのか、ほんとうのところはわからない。気づくともう、校門の内側にいた。
ひょっとして、ひょっとすると、ぼくもゆうれいになってしまったんだろうか。ふいに、そんな考えがうまれて、からだがふるえる。
「さあ、あとひといき」
コタは校庭を速足でいく。ぼくはあらためて、夏休みの朝の学校を見た。とおくの砂が、うすいきいろで、さくらの木が、うすい青の陰をつくっている。みんな、うすくて白い布をかぶっているみたいに、まどろんでいる。
ううん、やっぱり、ゆうれいの国って感じはしない。コタの言うとおり、ここは、「生きたあとの」朝の世界なんだ。
だれの声も、物音もしないげたばこっていうのは、はじめてだ。自分のうわばきが入っている場所も変わっていないし、入ってすぐのおおきな鏡も、いつもどおりなのに、知らないものみたいだった。
校舎の中は、ほとんどがうすぐらい。日のあたらないかべや手すりは、いつもよりひんやりとしている。電気のついていない階段は、ちょっと不気味だけど、先をいくコタがきいろくかがやいているから、ぜんぜん平気だ。
ぼくも、だんだん気がおおきくなってきて、階段をいちだんとばしでのぼった。ひびく足音はぼくのものばっかりで、コタはじょうずに音をたてずにのぼるから、ちょっとくやしい。
ひんやりした廊下にも、ときどき、日のあたるところがある。ひなたは、まどからななめに入る。でも、早い朝のひなたって、どこかよそよそしい。まだクラスになじめていない転校生みたいだ。転校生って、ぼくはまだ見たことがないけど。
ぼくのいつも通う教室は二階。ぼくとコタは、もう三階まで来ていた。ここからは、五年生や六年生の場所だ。だれもいないってわかっていても、きんちょうする。階段がとぎれたので、ぼくもコタも、ろうかに出た。
教室がならぶ壁には、むずかしそうな絵がたくさんかざられている。どれも、六年生がかいたものだ。文字が入っていたりするけど、まだならっていない漢字もおおい。まどからは、うら庭に生えているびわの木がすぐちかくに見えた。
「もうちょっとだよ」
コタのしっぽはあがって、おしりが見えるくらいになっていた。きげんのいい証拠だ。
ぼくたちは、校舎のおれまがったところを、わざとカーブをつけて曲がって、そして、あたらしい階段のあるところまで走った。
「まだのぼるの?」
ぼくははじめて見る階段に、どきどきする。だって、校舎は三階までしかないはずだ。ここから先っていうことは、つまり。
「もちろん。屋上に出るんだから」
コタがけろりとして言った。
あ、そっかあ。またしても、ぼくは拍子抜けだ。もしかしたら、別世界につながる階段? なんて思ったから。でも、やっぱり胸がおどった。学校の屋上って、まんがやドラマには出てくるけど、ほんとうに入ってみたことはない。いつも、かぎがしまっていては入れないってうわさだった。
この階段の先が、屋上なんだ。
「いそごう、もうあんまり、時間がない」
コタはやわらかい足で、みじかい階段をひょいとのぼった。
「なにをいそぐの?」
ぼくも、ひょいとのぼる。ばたん、と、はでに足音がひびく。
「おひさまを浴びるんだ」
屋上につづくドアは、すぐにあらわれた。ドアのすきまから、外の光がもれて、四角いかたちを描いている。コタはぼくをふりむいて、きいろい目をらんらんとさせた。
「さっき、話したでしょ? ねこたちは、おひさまを浴びて、生まれかわるんだよ」
「じゃあ、コタはいまから生まれかわるってこと?」
「そうだよ。さ、あけて」
ドアノブは、コタからはたしかに高いし、開けるのはむずかしそうだ。
ごくり、と、つばをのむ。そういえば、起きてからまだ、ひとくちも水をのんでいない。今までは気にならなかったのに、とつぜん、のどがかわいてきた。
「早くしないと、朝がおわっちゃうよ」
ぼくは、よし、と心をきめて、ドアノブをまわした。おもたそうに見えたドアは、かんたんに、外にむかってひらいた。
朝の光が、のぼってきた階段と、三階のろうかを、みたしていく。パンの上にひろがるはちみつみたいだった。コタはいっそう、きいろくかがやきながら、屋上にとびだした。
屋上は、床がみどり色で、すごく広い。高い柵でかこまれているけど、そんなの気にならない。校庭と、町と、ずっと向こうにある山が見えた。その山の向こうから、おひさまが、はんぶん、かおを出すところだった。ひろい、ひろい世界に、まるで、ぼくたちしかいないみたいに、しずかで、とうめいな朝だった。
「わあ」
こんなにあかるくて、ひろくて、きれいな場所が、すぐちかくにあったなんて、びっくりだ。もしかして、朝って、毎日こんなにきれいなんだろうか。そりゃあ、雨の日だってあるだろうけどさ。
コタは広い屋上を、子どもみたいにかけまわっては、光にじゃれてあそんでいる。きらきらして、まぶしくて、あっというまに景色にとけだしてしまいそうで、ぼくはあわててコタを追いかけた。
「えい!」
家でよくそうしたみたいに、コタをうしろからつかまえた。あったかい、おもたい。ちゃんと、コタがいる。
「ひろくん」
コタは、こんどはとちゅうでいやがることなく、ぼくに語りかけた。
「ぼくは、これから生まれかわるんだ」
ぼくはなにも返さなかった。コタのおなかをかぐのに夢中なふりをした。
「ぼくね、今度こそ、この姿とおわかれしないといけない」
「おわかれ?」
コタはさみしいことを言うわりに、ぼくのうでにかるくつめを立てて、のどをならした。
「ひろくんとおわかれするのは、二回目だね」
朝日が、ぼくとコタのあいだにわりこんできた。
そうだった。ぼくは、もう、コタとおわかれをしたはずなんだ。
去年の冬に……。
死んでしまうまぎわのコタは、スプーンですくったさとう水をなめるのがやっとだった。ダンボールの箱にもうふをしきつめて、そこでまるくなって、いちにちじゅう、うごかずにいた。ああ、よわっていくんだなって、ぼくでもわかったけど、どんなふうにいたわったらいいのかわからなかった。学校から帰ったら、まっさきに、コタをなでた。日に日にやせていっている気がした。
コタが死んでしまったのは、真夜中のこと。ぼくがねむりにおちたあと。
ぼんやりおぼえている。まだねむっているぼくを、おとうさんがかるくたたいて、
「コタ、死んじゃったよ」
って、ひとこと、おしえてくれたこと。
ぼくはねぼけていて、またすぐにねむってしまった。それから、火そう場というところにコタをつれていって、コタのすきなちくわを一本買った。コタとちくわは、いっしょにいなくなってしまった。
ぼくは、ぜんぜん泣かなかった。
泣かなかったのに。
「ねえ、ひろくん」
きいろい光がまぶしくて、ぼくはあまり目をあけていられない。でも、がんばって目をあけた。光が、目にすごくしみた。
「ぼくは、きいろいとらねこ。虎太郎。コタだよ。ぼくは、おひさま。ぼくは、バター。ぼくは、きみのおとうとだよ。きみより先に大人になったとしても、ずっと、きみのおとうとさ」
コタはわかりきってることを、しつこく言った。
まだあったかい。まだおもたい。まだにおいもする。でも、それはもうないはずのものだった。
ぼくは、あったかさと、おもたさと、においを、全身にきざみつけるみたいにコタをだきしめた。
「ひろくん、どうか、わすれないでいてね」
元気なすがたのコタは、ぼくのうでの中で、だんだんやせていく。
「ねえ、コタは、生まれかわったら何になるんだろう」
「それはわかんないな。生まれてからのお楽しみだよ。ねがわくば、ひろくんの近くにいられたらいいな」
コタは目をほそめて、きもちよさそうに、光になっていった。
それからのことは、あんまりおぼえていない。学校からあるいて帰ったような気がするけど、気づいたらふとんの中だったからしかたがない。なれない早おきだったから、帰ってから、またねむってしまったんだろう。
次に起きたときは、七時だった。
めずらしく自分から起きてきたぼくに、おかあさんは目をまるくしている。
「どうしたの、はやいじゃない」
「べつにはやくないよ」
もっともっと早くてあかるい朝を知ってしまったから、ほんとうにそう思って言った。
八枚切りのトーストを焼きながら、居間のすみを見る。コタのお気に入りだった場所に、コタのお骨と、写真がおかれている。
写真立ての中にいるのは、ぼくにだっこされているコタだ。ぼくのうでがちょっとだけうつっている。こうしてみると、さっきまで会っていた姿みたいなきいろではなくて、もうちょっとくすんだ色をしていた。あれは、朝のとくべつな姿だったのかもしれない。
あつあつのパンに、おかあさんが、うすく切ったバターをのせてくれた。バターはとけてやわらかくなり、白かったものが、どんどん、こく、きいろくなっていく。
あ、と、ぼくは思った。コタだ。コタとおんなじ色だったのだ。コタは、バターになってしまったんだろうか。
ううん、まだわからない。ぼくは、これから、あたらしいコタに出会うのかもしれない。
それはもうコタではなくて、でも、おひさまで、バターで、きっと、ぼくのおとうと。
パンをかどからかじる。とけたバターがじゅわっとはじけて、おいしかった。
朝のおひさまが、コタの写真をてらしていて、この時間の朝もわるくないなって、思った。
ぼくにあたらしいおとうとができるとわかったのは、季節がもうひとつめぐってからのこと。
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