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私の漫画道クレイジージャーニー2020(前編)

もう、今年もあと数日で終わりますね。今年は、何だか今まで経験したことのない大変な年でした。そんな年の最後の記事は、長くなるので、前編後編にわけますが、前編は、どうして40代も半ばで急に漫画を描きはじめるに至ったのかを書いてみたいと思います

私の小学校5年生の頃の漫画も後半出てくるのでwどうか、最後まで読んで笑ってくださいねー


漫画を描くには、心に何か熱いものがないと、とてもじゃないけれど続けられないですが、その原動力、やる気の着火点は今から遡ること、2015年の札幌ドームでの、コンサvsカマタマーレ戦だとはっきり断言できます

私の、クレイジージャーニーの出発点は、コンサドーレ なのです

この時のコンサは、J1に昇格できそうなのと、ホーム戦で連勝中だったのもあり、試合に行ってみよう!と夫に何気なく誘われて数年ぶりに行ったのがこの試合でした

それまでも、何度かコンサの試合は行ったことはありましたが、全て引き分けか負け試合で、しかも、選手とサポーターが試合後に言い合っている光景を見てから、何となく足が遠ざかっていたのでした

しかし、この日は、どうにか勝って昇格を決めようという選手とサポーターの思いがとてつもなく熱く、応援のチャントも熱狂的で、当時のコンサのFw都倉選手が目の前で決めたゴールの迫力と、会場の熱気がスパークし、鳥肌が立つほど感動し、もう何が何だか分からないけれど自然と涙がこばれだし心が急にふるえ、あまり物事に熱くならない私の心に、一気に小さな炎🔥が灯ったのでした…長い人生の中で、ついにその時が、きた…という感じでした…

その日以来、コンサのホーム戦はだいたい行くようになったのですが、他の選手のことなども知るにつれ、メンバーがとても魅力的で一生懸命で、それぞれにドラマがあって、自分も頑張らないと…と、自然に思えるようになったのですから、スポーツには力があるという言葉は、本当だと今では心から思います…


そのまま数年が過ぎた2017年、以前から気になっていた子宮筋腫がお腹の上から触っても、シコリがはっきりとわかるくらいまで大きくなっていて、仰向けで寝ることも出来ず、かといって横を向いて寝ても脚が痺れてくる感じで、長時間座ることも出来ず…という状態で、もうコレは腹を括るしかないと病院に行ったところ、検査結果を見て、医師に開口一番こう言われたのでした

早めに、手術しましょう

すでに、子宮は内視鏡手術で取り出せる限界の大きさを超えており、普通は卵🥚くらいの大きさなところ、すでに570g(グレープフルーツくらいの大きさ)までスクスク成長していたうえに、卵巣は左右チョコレート嚢腫で、もうもう…説明を聞きながら目の前が真っ暗に、なった…

何故か医師の説明を聞きながら、ヨガをあんまり熱心にやらなくてよかったな…と、思ったのを覚えている。雑巾のように体を捻るあの独特な運動中に卵巣が万が一破裂していたら、本当に悲惨だった。卵巣破裂は、痛みのショックで気絶してしまう人もいるそうなのだから…

結局、そのままだと大きく切開しなければならないので、ホルモン剤で少しでも小さくしてから手術という流れになったのです

子宮筋腫は、女性の3〜4人に1人はもっているよくある病気とはいえ、この状態はひど過ぎやしないかー!と、空に吠えようと、現状は何も変わらないし、複雑な気持ちのまま、4ヶ月間ホルモン治療を受け、翌年2018年の1月に、人生初の全身麻酔の手術を受けたのだった…

入院中のベッドで、背中の麻酔が外され痛みにうめきながら、その年のコンサのファンミーには行くことができない悔しさと、何か色々な苦しい想いが込み上げてきて、べッドの上で1人ぐぬぬぬしながら過ごすこととなる…

10日間に及ぶ入院もなんとか終わり、退院の喜びを噛み締めつつ、入院中も何度も繰り返し思ったことが

何か、きちんと時間をかけて取り組んでいくことを見つけないと、これからの自分の人生の重みに心が潰されるのではないか?と思ったのでした

でも、そのナニカって何だろう…何だろう…


そんな彷徨う気持ちのなか、ちょうど札幌の芸術の森美術館で、新海誠展が開催されていて、すでに行く前から、これはきっと良い流れに違いないと思いながら行ったのですが、その予感は大大大当たりで、これから先の自分の人生の向かう方向が、スッと決定された運命的な日となったのです

北海道の有名なクラーク博士の銅像は、手で何かを指し示しているけれど、私にとってのクラーク博士像は、新海誠監督で、指し示している方向に広がるビジョンは

子供の頃、夢みた漫画家を再び目指せ!コノヤローw

だった❣️

私は、幼稚園児の頃から絵ばかり描いている子供で、くる日もくる日もキャンディキャンディや、ベルばらのオスカルやアントワネット、エースをねらえの岡ひろみ、お蝶夫人を熱心に描いる子供でした…そんな生活を3年ほど過ごしているうちに、他の子供より、やはり絵も上達し(そりゃそーだ、それだけ描き続ければ)学校の休み時間によくクラスメートにせがまれてゴージャスな女の子の絵を持ちよるノートに描いて、ずぅずぅしくもサインの研究までして、絵の横っちょにそれっぽいサインまで書き添えたりしていたのだった!

アホノコ万歳❗️である

そんな私が、小学校5年生の夏休みの自由研究に提出した漫画が、コレだ!

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てるくれが、お出かけするときたまに、DOKI DOKIするシーンで、背景にダジャレで、土器をときどき飛ばしたりしますが、5年生の時の漫画で偶然、土器を発見するとわねー😅

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今と、背景のレベルが変わらない…wしかも、前方後円墳がチーズトーストじゃんよー。子供の頃から、あんまり進歩していないわけだぬ。このキャラクターは、当時大好きだった、山岸涼子先生の日出処天子の厩戸王子を少し参考にしていました

Gペンと墨汁で一生懸命描いたこの作品を数十年後note でこうして発表する日が来るとは…

子供の私は、喜ぶのかな、それとも困惑するのかなー

そして、この後もやはり漫画は大好きで、高校生の時はキャプテン翼杉浦日向子に夢中になり、同人誌を作って、当時の友人とコミケで売っていた時期もあり、急に40代でゼロから描きはじめたわけではなく、下地はあったわけですが、それでも、わざわざ漫画用の高いタブレット端末まで購入して漫画を描くにいたる過程は、クレイジー度を増してゆくのでありました

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みんな〜!くるしいときこそ、ドキドキ💓すること探そうぞ!

次回、後編へと続く…




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