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1999年の「新潮文庫の新刊」の<組版>

白洲正子の『名人は危うきに遊ぶ』という本があります。

この「危うきに遊ぶ」という言葉に妙に惹かれて平成11年(1999年)に手に入れました。帯に新潮文庫の新刊と書かれていますので文庫の初版です。

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文庫本によくあるように、もともとは平成7年の刊行で、きっと趣のある装丁の本だと思いますが、私は見たことがありません。

そしてこの文庫本の最後にこう書かれています。

本書は平成七年十一月新潮社より刊行された。なお、文庫化にあたっての組版は、精興社の電算写植システムによりました。


いまではもう「電算」という言葉はほとんど聞かれることがなくなりましたが、「電算」とは「電子計算機」の略でコンピュータのこと。

そして「写植」という言葉はあまり馴染みがないのですが「写真植字」の略らしいです。

どうして1999年の当時に、新潮社は「わざわざ」このことを書き記しているんだろうと思って「精興社の電算写植システム」で検索してみたら、「1990年代の出版技術」という論文がヒットしました。(最近のGoogleの検索脳の進化はすごいです)

1993(平成5)年に,モトヤが発表した電子植字システム[TREND ACE AEEegro]は,照来の活字組版において使用されたポイント制のなかの伝統的な呼称による植字方式を採用し,伝統的な活字組の植字技術を残していた企業に採用され始めた.たとえば,活版組の書物印刷において傑出した評価を得ている精興社においても採用されるほどの高い機能を持つようになっていた.

論文
『 1990年代の出版技術 − コンピューター技術の進展による影響の諸相』森 啓
より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshuppan/31/0/31_63/_pdf

これによると、精興社は「活版組の書物印刷において傑出した評価を得ている」印刷会社なのですね。だから新潮社は新しいコンピュータの技術を採用するにあたってわざわざ「美しい書体」で印刷している精興社の名前を記したのでしょう。


そして、精興社の工場見学のことを書いていらっしゃるブログもヒットしました。

適宜更新 フリーライター古田の日々あれこれ。「精興社さん工場見学その2」


この記事によると資生堂名誉会長の福原義春さんが選ばれた7色の紅色のカバーと書体のとても美しい『松岡正剛 千夜千冊』(求龍堂)も精興社で印刷されたそうなのです。そうだったんだ。。



1990年代の企業では、電子計算機(汎用コンピュータ)の端末とワープロ専用機を使い分けていた頃で、書類を作成するときには、文章を入力して印刷できるシャープの「書院」や富士通の「OASYS」が会社で使われていました。

でもワープロ専用機の文字のフォントの種類は限られていて、まして業務システムから連続用紙に印刷される日本語の文字に関しては「フォントを選ぶ」ということなど考えられませんでした。

なので、大小さまざまな美しい日本語の文字が、好きな位置に印刷されている「本」と、数字中心の「コンピュータ」の世界は、まだまったく別の世界でした。

唯一、ジャストシステムの「一太郎」がパソコン上で動いていましたが、Windows95が発売されてマイクロソフトのOfficeのWordやExcelがしだいに使われるようになって、コンピュータの中にも「フォント」が広がりつつあった頃、出版印刷業界の中にも、電算(コンピュータ)の技術が広がりだしていたのですね。

そんな中、文庫本に唯一「しおり紐」を今も付け続けている新潮社が「なお、文庫化にあたっての組版は、精興社の電算写植システムによりました」と記しているというのは、この「電算写植」の採用をめぐって、社内で「書体」の美しさのことが大きな問題になったのかもしれない。と想像してしまいました。

そんな経緯(かもしれない)で出版された、この新潮文庫の『名人は危うきに遊ぶ』は、白洲正子の凜としたふくらみのある文章に、文字の佇まいと行間の間(ま)が、とても合っていて、とても美しくて、私の宝物なのです。


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(いまではもう、文庫本で「しおり紐」がついているのは新潮文庫だけ)



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