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青藍スフィア 【#短編小説】(& 100日連続投稿)

『青藍スフィア』



 2020年、夏、真っ盛り。

 ギラギラと照りつける太陽が肌を焼いていくのがわかる。
 マスクの端の方もじっとりと湿ってきていた。
 正直言って外してしまいたい気持ちはある。
 けれどきっとそれをしてしまうと、目も当てられないような状況が

 いつもの夏ならば――。

 今頃はグラウンドを走り回る部員たちを眺めながら、仕事に作業に準備にと、何かと忙しかったはずだ。
 たまに飛んでくる他の部活の声やボールにも気を付けながら、あいつらのことを目で追い続けていたはずだったのだ。

 だけど――。

 登校日、その帰り際に見るグラウンドには誰もいない。

 声もしない、するはずがない。

 飛んでくるようなボールも、あるはずがない。

 ここにあるのは、飽きもせずにギラついている太陽の光と、時折吹く強い風にそよぐ葉擦れの音だけだった。

 重たいクーラーボックスを持ち運ぶことも無ければ、声を枯らすことも無い。

 日焼けに悩まされることも無ければ、何かに心を震わせることも無くなってしまった。

 強いて言えば無味乾燥。
 あるいは無味無臭。

 去年の今頃は、この夏がこんなに色を失ってしまうだなんて思うはずがなかった。

 ひとりの帰り道はいつも以上に暑さが堪える。
 日陰がない河川敷を歩かないと行けない自分の通学路が、少しだけ恨めしくなってしまう。
 日傘なんて持つガラじゃないとは思っているけれど、今日くらいはそんなことを言わずに持ってくればよかった。
 お母さんの言うことを聞いておくべきだったと、ほとんど思ったことの無いことを思ってみる。

 川に近い側は公園のようになっているが、今日も人影はない。
 そもそもこんな炎天下に外で遊ぶのは危険だと言われているのだろうけど、特段暑くもなかった時期もほぼ同じ光景が広がっている。
 さすがに耐えきれなくなって、マスクを外した。

 昔、何かの映画で見たような『死に絶えた街』の風景。
 あそこまで失色しているわけではないけれど、それを目の当たりにしてしまったような感覚には未だに慣れることは無い。

 今は、この空いっぱいに広がる青色だけが頼りだった。

「まぁ、ね。……せめて、ちょっとくらい雲が浮かんでてくれてもイイとは思うけど」

 自分勝手にヒトリゴト。

 でも、全然問題はない。

 だって、この近くに、私の視界の中には誰ひとりとして――――。

「……あ」

 ――居た。

 川縁に近いところにある野球グラウンド。
 去年は草野球や少年野球をしている姿があったが、今はたったひとり。
 バックフェンスに向かってボールを投げ込んでいるひとりの男の子。
 その姿には見覚えがあった――というか、よく知っている人だった。

 足下にはボールが入ったバッグ。
 あまり膨らんでいないところを見ると――案の定、バックフェンスの足下にはたくさんのボールが転がっている。
 もう何往復くらいしたのだろうか。
 相当な回数を投げているような感じがした。

 今はまだ10時を少し過ぎたくらい。
 9時からやっていたとしても1時間以上。
 それくらいの時間ならばまだ涼しさがあったかもしれないが、今はもう夏らしさしか感じられない。

 そういえば、この傍にはコンビニが1軒あったはずだ。
 それを思い出した私は一度河川敷の階段を降りることにした。

              ○


 少しだけ急いだので額に少しだけ汗が浮かぶ。
 もう帰っているとは思えなかったけれど、それでもやはり心配にはなる。
 結局、その心配は無駄に終わってくれたわけだけれど。

「ユウくん」

「え?」

 驚いたように振り向いた彼は、私の幼なじみだった。

「びっくりした……。アヤミか」

「あはは、ごめんね。驚かせちゃって」

 いや、別に。
 そんなことを言いながら、ユウくんは視線を逸らす。
 それだけのことなのに。
 何故だかぎゅっと心臓が掴まれたような気がした。

「投げ込みしてたの?」

「……うん、まぁ」

 歯切れの悪い応え方。
 仕方ないと思う。
 彼のことだ、きっと気持ちの置き所がわからなくなって、家を出てきたのだろう。
 結局はいつものようにボールとグローブを持って、いつものように家からすぐ近くにあるこの小さな野球場にやってきた、ということだろう。

 ユウくんは、本当なら今頃は、夏の県大会のトーナメントを勝ち上がっているはずの強豪校のエースピッチャー。
 私たちが通っていた普通の市立中学校の野球部が易々と全国大会に勝ち上がったのは、間違いなくユウくんのおかげ。
 そこで有名私立高校のスカウトにあって、その学校に特待生で入学したのはもう3年も前のこと。
 今だって、ウチの学校では見たことの無いくらいのストレートを投げていた。

「……残念、だよね」

「仕方ないよ、……こればっかりは」

 口ではそういうけれど、顔に出ている。
 私にはそう見える。
 悔しさというか、無力さというか、そういうものに打ちひしがれているような感情が、手に取るように解ってしまう。
 少しだけできた言葉の間からもそれはよく解ってしまった。

 昔からそうなのだ、この人は。
 胸の奥底で考えていることでさえも、私にはよくわかった。

 本来なら開催されていたはずの県大会は、開会式すら催されず。

 その時点で私たちの代は、部活を引退することを余儀なくされてしまった。
 やり残したことがあるとか、そういうレベルじゃない。
 やり残しだけしか残されていない。

 ウチの学校の部員たちでさえ、ショックでしばらく前を向けなかったくらいだ。
 贔屓目に見なくたって、彼には間違いなく県下ではトップを争える力がある。
 雑誌に特集記事を書かれたこともある人だ。

 そんな人の歩いて行くべき道が、唐突に、だけれども確実に少しずつ、無くなっていった。

「……飲む?」

 ペットボトルのスポーツドリンクを見せる。

 彼は小さく頷く。

 手渡そうかと思ったけれど、彼は小さく手でバツを作って、こちらに投げて寄越せと合図をする。
 まったく、そういうところは昔から、頭に『ばか』が付けられるくらいにマジメというか、真っ直ぐというか――。

 そんなことを思って、ちょっとだけ眉間が痛くなった。

「はい」

「ん。ありがと」

 ユウくんは、近場にあるベンチに腰を下ろした。
 弱々しいながらも一応日陰になっている。
 私もいっしょに座ることにした。

 けれど、4人分くらいの幅を開けて座る。
 ユウくんのことだ、真横になんて座ったら何も言わずにサヨナラになる。

 それに――。

「調子はどう?」

 余計なことを考えつく前に、適当な言葉を口にした。

「とくに。コレと言って」

「……そっか」

 昔からあまりしゃべるほうではない彼だけれど。

「私は、……全然。この前もフラれちゃったし

 いつも余計なことも言ってしまう私だけれど。

「ふぅん……」

 素っ気ない彼の反応に文句なんて言えるわけがないから、心臓のどこかが軋むような音を立てた。


         ○


 知ってる――。
 そんなこと、イヤでも知っている。
 忘れることなんてできない、去年の春。
 偶然にも県大会のトーナメントで、ウチの高校とユウくんの高校が対戦して、当然のように彼の学校が勝ち上がった、その後。
 球場の裏手口付近での光景。
 大人っぽい雰囲気の――きっと、先輩マネージャーさんだろう――女の子に、キスをされていた、あの光景。
 その後のふたりがどうなったかは知らないし、私が知る権利も無かった。

 私も、あの後で何人かとお付き合いはしたけれど。
 やっぱりそういう気持ちは相手にもバレてしまって、うまく行かないことだらけだった。
 やっぱり、キレイさっぱり忘れるコトなんて、できるわけがなかった。

         ○


「……そろそろ帰るかな」

「あ、うん」

 彼は静かに立ち上がる。

「ねえ、ユウくん」

「ん?」

「次、いつここに来る?」

「え?」

 何を訊いているんだ、と言う顔をされる。
 でも、ここでめげたら絶対にダメだ。

「……お願い、答えて」

「毎日、やってるけど」

「わかった」

 私だけがこの話の流れを理解できている。
 彼の眉間の皺がさらに深くなった。

「私が、ユウくんの専属マネージャーになってあげるから」

「……いや、イイって」

「良くないって。今日みたいな日にひとりで倒れたりしたら、みんなが困るんだから」

「そうかもしれないけど」

 これはきっと、自分に対しての宣言。

 もう、止めない。

「むかしからそうだよね、本当に自己主張しないもの。……ボール投げるときだけだよね、ぐいぐい来るのってさ」

 少年団に入っていた頃からずっとそう。
 野球をしているときと普段ではまるで別人。

「良いんだよ、もっと。ワンサイドゲームみたいな感じで良いんだよ」

 今まで誰にも言われたことが無かったのだろうか、今度はハッとしたような顔になった。

「だって、迷惑だろ」

「私、迷惑だなんて言ったことないよ?」

「……そりゃ、アヤミはそうかもしれないけど」

 視線を外される。


 やっぱりそうだ。

 ここで引いたら、きっと私は。

 ――この夏を、一生残る傷といっしょに記憶することになってしまう。


「私じゃ、ダメなのかな……?」

「……え」

 彼との距離を、一気に詰める。

 ピッチャーがそんなに長い間視線を外すなんて危険なこと、本当なら絶対にやってはいけない。
 けれど、今だけはそんな無防備なユウくんに感謝してしまう。

 ユウくんの胸元に顔を埋めて、思った以上に大きな背中に腕を回して、震えそうになる声で私は言う。

「私は、来て欲しい。言って欲しい。ユウくんは我慢しないで、何でも私に言って欲しい。……昔から、思ってた」

 言い出せないまま、こんな風になってしまったけれど。

「私なら、全部。……あなたの全部、受け止めるよ」

「ぁや……み……」

 苦しそうな前傾姿勢になった彼の声が震える。

 私の頬に、彼の頬が触れる。

 彼の頬から、汗と、土と、涙の匂いがした。

 これがきっと、今年の夏の匂いだ。

 これがきっと、一度きりの夏の匂いだ。

 そしてこれが、ひと夏の思い出っていうものだ。

 そしてこれが、この夏から始まった新しい恋心っていうものなんだ。





あとがき

 タイトルを先に考えてからその雰囲気に合うモノを紡いでいくシリーズ。
 難しいけど楽しい。

 ときおり出てくる画像の万年筆は愛用品。
 インクは絶対にブルーブラック派。
 ということで『青藍』。

『スフィア』に関しては完全に語呂だけで決めました。

 

 ということで、夏物語風の作品に。

 ※下記には出していましたが……結果はお察しください。
 ※リリースが遅いとやっぱりダメですねえ。

https://kakuyomu.jp/contests/kakuyomu2020summer


 いわゆる『夏の甲子園』大会は無くなってしまっていますが、練習も再開され、代替大会の開催も検討されているそうですね。『春のセンバツ』出場校による交流試合もあるとか。
 この物語で描かれているような世界線にはならなくてほんの少しだけほっとしている高校野球好きが書く夏物語でございました。




 あ。
 それともうひとつ。
 この記事をもちまして、100日連続投稿達成となりました。
 これからもよろしくお願いいたします。

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