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つわものどもの夢のあと 3

3話

 ようやく二番山のバス停まで来た誠司はバイクを止めてそこへ降り立った。この最果ての地の更なる先に高茂岬はある。兄のことを知りたい一心でここまで来たが自分の体力を過信した無謀な旅だったと後悔を過ぎらせた。

「飛行機と汽車を使うべきだった」

 以前ならこんな弱音を吐くことも無かったが、やはり年には勝てないのだろう。誠司はペットボトルの水を飲みながら農漁村の風景を感慨深く見つめていた。まるで何十年も時間の流れが止まっているような村だ。灼熱の太陽が降り注ぐ海は、透明度を更に高めていた。

 岩場の近くで数人の子供たちが泳いでいるのが見えた。こんがり日焼けした子供たちが水中眼鏡を付けて次々と海へ潜っていった。

 戦時中この入江には『人間魚雷回天』の秘密基地があった。この美しい海で特攻作戦の訓練が行われていたのだ。リアス式海岸に隔てられた近隣の村の住人たちはここに基地があったことさえ知らずに暮らしてきた。

 知る人ぞ知る回天基地。海の特攻兵器が潜んでいたこの場所で無邪気に遊ぶ子供たちを、誠司は複雑な思いで見ていた。

「この子たちは知っているのかな」誠司はふと呟いた。

 海に浮かび上がる子供たちの手に何かが握られていた。誠司が双眼鏡を取り出して見てみると、その手には大きなサザエが握られていた。

「ほう」誠司は思わず口元を綻ばせた。

 子供たちが岩の上に置いてあった籠の中へ次々とサザエを入れると、たちまち籠はサザエで一杯になった。

 誠司は疲れていることも忘れて子供たちへ向かって叫んだ。
「お〜い!」
 誠司が子供たちへ手を振って見せると、子供たちも一斉に返してくれた。
「お〜い!」
「お〜い!」
 子供たちは無邪気に手を振りながら、どこぞから来た気さくなお爺さんとの暫しのやり取りを楽しんだ。

 やがて誠司は二番山を後にした。

 再び、誠司とヘアピンカーブとの格闘が始まった。同じようなカーブが幾つもある道を走っているうちに意識が朦朧としてきた。自分は本当に高茂岬へ辿り着けるのだろうか、身体の疲労も限界に達していた。

「そろそろ着いても良さそうだが」

 終わりのないヘアピンカーブにすっかり手も痺れてクラッチが上手く操作出来なくなりバイクの前輪が蛇行した。


「いかん!」
 そう思った次の瞬間、目の前に一羽の鳶が舞い降りて来た。驚いている誠司に鳶は動じず、そのまま誠司のバイクの前方を地面すれすれに飛んでいた。その姿はまるで誠司を先導しているかのように見えた。道路のすぐ上を飛んでいる鳥など見たこともなかったが、誠司は夢中で鳶を追いかけた。
 すると、鳶を追いかけているうちに少しずつ元気を取り戻していった。



 遂に誠司は高茂岬へ辿り着いた。百メートルを超える断崖の上では、無数の浜木綿が風に揺れていた。浜木綿を見ると亡き母を思い出す。浜木綿は温暖な海浜に咲く花で、誠司の母、真由が好きな花だった。誠司がまだ幼い頃に、一度だけ母と総一郎と三人で海へ出掛けたことがあった。母の作った弁当を皆で食べたことが誠司の記憶に鮮明に残っていた。



『足摺宇和海海中公園』の看板の前で、誠司はハーレーのエンジンを切るなりヘルメットのまま芝生の上へ転がり込んだ。


「やっと着いた」

 誠司にとってこんなに辛い旅は初めてだった。

 天を仰ぐと、青く澄み渡る空を鳶が滑空して行くのが見えた。
「さっきの鳶かな」
 誠司には自由に大空を舞う鳶が、まるで兄のように見えた。兄は鳥になったのだろうか。そんな気がしてならなかった。


 母は兄を愛していた。いつも兄のことばかり話していた。兄も母と自分を大切に想ってくれていたと、誠司は子供ながらに分かっていた。兄のことは一日たりとも忘れたことがない。

 かつてここにあった衛所で、兄はどんな日々を過ごしていたのだろう。戦争が終結して何一つ手掛かりが掴めないまま歳月だけが過ぎた。だが、今なお誠司は諦めきれずにいた。

「おじいちゃんどがいしたの?」


 子供の声がして誠司が顔を上げると、少女が心配そうに誠司の前でしゃがみ込んだ。突然の可愛らしい訪問者に、誠司は思わず笑顔になった。


 吉田ありさは地元の小学校の一年生。知らない人にも物おじせずに話すのは田舎の子ならではで、都会ではあまり見掛けない。

「大丈夫だよ」

 誠司は起き上がってヘルメットを外すと、バックパックからありったけの水を取り出して自分の頭の上に次々とかけた。

「世界一の水だ!」

 元気になった誠司を見てありさは安心したようだった。

「どこから来たん?」


「東京だよ」

「あっディズニーランドや!」

 ありさの方言が誠司の耳に心地よく聴こえた。誠司がありさに慰霊碑の場所を聞くとすぐに教えてくれた。
「あっち!」

 ありさが指差した先に慰霊碑があった。今もこの海を護っているかのように遥か大洋を見渡す慰霊碑が潮風を受けて聳え立っていた。慰霊碑の前には人が集まっていた。
 誠司はまるで何かに引き寄せられるように慰霊碑へ向かった。ありさが誠司の後を追って慰霊碑の方へ走って行った。


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