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つわものどもの夢のあと 4
4話
慰霊碑の前では役場の職員たちが簡易椅子を並べていた。マイペースでゆっくりと椅子を並べる職員のそばで、津山真司は忙しなく椅子を並べていた。
「早よせんか!」
「町長、そがいに慌てんでも、まだ時間はありますけん」
「やかましい!」
津山はダラダラと椅子を並べる職員らを一括して、歪んだ椅子を真っ直ぐに正すと満足げに額の汗を拭った。
「よっしゃこれでええ」
「やれやれ」
几帳面な津山を見て職員らが苦笑いした。
旧西外海村で生まれた津山は、地元中学校の校長を定年退職後町長選へ立候補して見事当選し、現在4回目の任期中である。 底抜けの明るさで、誰とでも気さくに接する津山は、町民たちからも親しまれていた。
妻の葉子は特別養護老人ホームで働いていた。葉子との間には津山が40歳の時にようやく授かった娘の真希がいた。真希も役場の職員で、今日は娘のありさを連れて追悼式へ来ていた。ありさは津山にとって目に入れても痛くない可愛い孫だった。
突然、ありさが津山に背後から抱きついてきた。
「じい!」
「ありさ、たまがすな!」
そう言って津山が振り返ると、誠司がバックパックを背負ってこっちへ向かって来るのが見えた。
「また、がいな荷物を持って」
津山が怪訝な顔で誠司を見ると誠司が笑顔で挨拶をした。
「こんにちは」
「バイクで来たんかね?」
「はい、東京から1000キロ走ってきました」
「何と」
年寄りがバイクに乗ることを快く思わない津山は、誠司に説教をした。さすがに誠司も今回ばかりは弱気になっていた。
「ちょっと後悔してます」
「それ見たことか!」
この土地の人間は初対面の人間にこんなにストレートに自分の感情をぶつけるのだろうか。思ったことをそのまま口に出すのは時に人を傷つけることもあるのだ。ふと、誠司は息子のことを思い出していた。自分を心配するあまり息子からも再三バイクを降りろと言われていた。
岬に次々と車が到着して、一台のタクシーが止まった。 タクシーから三人の老人が降りてきた。誠司が三人を見て目を輝かせた。北条正樹、吉田竜也、新川豪の三人は戦争を乗り越えて、それぞれに逞しく時代を生き抜いた、かつての高茂衛所の生存兵だった。
「よっこらしょ」
皆は足腰が達者で自らの足で堂々と地面に降り立った。竜也と豪は地元の志願兵だったが、東京出身の正樹は帝国大学医学部を在学中に久里浜の海軍対潜学校へ入った。水中探信儀と聴音機の技術を取得したのち、特別幹部候補生(特幹)として高茂衛所へ配属となった。
今年で94歳になる正樹は年齢よりもはるかに若く見えた。
正樹より二つ年下の竜也は、豪より一つ年上だった。竜也と豪は幼馴染で、地元を離れることなく、互いを頼ったり鼓舞し合ったり、喧嘩をしながらもかけがえのない親友同士だった。今日の追悼式で久し振りに正樹に会えるのを心待ちにしていたのだ。
津山が急いで三人を出迎えに行った。
「じいちゃんら元気そうやな」
「まだまだ死なんぞ」
正樹が津山にそうアピールすると、竜也が感慨深く言った。
「皆んなの分も生きちょるけん」
その言葉には、若くして死んだ戦友たちの分も、命の火が燃え尽きるその日まで生き抜くのだと言う意味が込められていた。
三人は慰霊碑の前へ行った。
碑(いしづち)には戦没者の名前が刻まれていた。その中に宮村勘吉(享年19歳)の名前があった。正樹が皺だらけの手で勘吉の名前をなぞった。
「勘吉ただいま」
正樹の頬を涙が伝った。勘吉のことを正樹は一日たりとも忘れたことがなかった。勘吉とは対潜学校の同期で正樹にとって弟のような存在だった。
臆病な勘吉はいつも夜勤を怖がっていた。
勘吉の隣には、山倉源造の名前が刻まれていた。 山倉は衛所一の大男で『源さん』と呼ばれて少年兵たちから頼りにされていた。取り分け豪は山倉にいつも助けられていた。
「源さん、もんたで」
豪は懐かしげに山倉の名を呼ぶと優しく碑を叩いた。
誠司はゆっくりと三人の方へ近付いて行った。追悼式には必ず生存兵が来ると信じていた。兄の手掛かりが掴めるかも知れない。誠司の真の目的は彼らと会うことだったのだ。
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