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「安楽死を遂げた日本人」を読んだ

「社会的処方」という言葉の、日本での、あるいは医療の世界での扱われ方に興味があった。

社会的処方を研究している医師やそれに関する文章などを調べていると、「宮下洋一」という人物を知った。小学館ノンフィクション賞で優秀賞を受賞した「卵子探しています」という彼の著作タイトルも見たことがあった(読んだことはなかった)。

宮下洋一というジャーナリスト

どうして社会的処方を調べていて、彼の名前にたどりついたのかよく分からないけれど、どんな人なのか調べてみると、同じ長野県出身のジャーナリストだった。(ちなみに多分みんな知ってると思うけど私はジャーナリストではなくてただの主婦)しかも、彼は高校で英語弁論をやっていたとか。

何を隠そう、私、高校時代にチャンドラーというバリバリのブリティッシュティーチャーにそそのかされて英語弁論部に所属していた。弁論部といっても6人ほどの少数部で、チャンドラーがそれぞれ一本釣りで勧誘して寄せ集めたいわばチャンドラーチーム。なんだか濃いメンバーで構成され、当のチャンドラーはいつもせんべいをバリバリ食べながら無理難題をサラリとふっかけてくるという、ちょっと変わった雰囲気の部だった。

変わってはいたけれど、我が部は大会で顔を合わせるようになったY高校の英語弁論部と、とても良い関係を築いたと思う。私は高校時代、あんまり青春ぽい思い出がないのだけれど、大会で白熱のディベートを交わし、でも最後には固い握手をしたY高校弁論部との切磋琢磨の関係だけは、少しだけ青春ぽかったと思う。手元に残っているY高校弁論部との写真もすごく青春ぽい。(中央は私と、のちの夫)

ディベート顔隠し

大学に進学してしばらくした頃、Y高校の弁論部で一番長身で一番イケメンだった男子に久々に連絡をもらって、ウキウキと高田馬場に会いに行ったら、マルチのお誘いだったことには心底がっかりしたけれど。彼は今、どうしているだろうか。

話がそれた。

宮下洋一という人物は、同じ長野県出身で、年齢は少し上だけれど、どうやら高校で同じ英語弁論もやっていて、今はスペインに住んでいるという。数週間前、「Rui、どんな決断を下そうと、きっとすべていい方向に向かうわ。また会いましょうね。」とメッセージを残してスペインに帰国していったバーバラの顔が浮かんだ。夫の上司の妻であり、学校の保護者仲間だったバーバラは、日本人の私にとっても親しみやすく、明るく知的で、包容力のある魅力的な女性だった。そういえば彼女もジャーナリスト専攻だった。

宮下氏の本を読んでみたいと思った。できれば紙で読みたかったのでなんとか入手したいとあれこれ考えていたのだけれど、そうこうしているうちに、京都のALS嘱託殺人事件が報道された。

私は紙の本を入手するのを諦め、e-booksで「安楽死を遂げた日本人」を購入し、1日で読み終えた。

緩和ケアと安楽死

元々、「セデーションと安楽死は何が違うの?」という疑問をもっていた。
セデーションというのは、死期が迫った患者に対し、苦痛を和らげるために鎮静剤を投与して、意識レベルを下げることだと理解している。そうやって意識レベルを下げて苦痛を緩和させることで、結果的に死を導くのであれば、それは一種の安楽死なんじゃないの、と個人的には考えていた。そもそも安楽死の定義ってなんなんだろう。「安」「楽」という字が邪魔をして、イメージが先行してしまう。

本の中では、西智弘さんという緩和ケア医が、こう説明していた。

「セデーションは、安楽死の代替にはならないと思います。要は、最後の数日間を眠って過ごしましょうというコンセプトで、その最期に至るまでの経過にはやっぱり苦しみはあるんです。安楽死は、その苦しみが来る前の段階におこないます」

西氏は緩和ケア医として、終末期を迎えた患者の心身の苦痛を和らげながら、どのように治療をすすめ、どのように最期に向かうのかを支える仕事をしている。一方で、なのか、だから、なのかわからないけれど、社会的処方という考え方についても熱心に発信しているおられるようだった。社会的処方について調べていた私は、西氏の発信の中で、宮下氏の名前を見つけたのである。

本の中で宮下氏は、日本においては、まず安楽死と尊厳死の違いや、緩和ケアの理解を広めることが必要だと言う。その上で、今の日本では、安楽死の議論も土壌も未成熟だし、安楽死を制度化にもっていく体力はまだないのではないか、という立場をとっている。

さらに、本の中にでてきた“安楽死を遂げた日本人”である小島さんは、スイスの自殺幇助機関が定める安楽死の4つの要件の他に、本人が正しく自分の心を見据え、さらにその経過を家族が見て理解し、合意してお互いを尊重することができたからこそ実現したのだと主張する。

スイスの自殺幇助機関ライフサークルが定める安楽死(Assisted suicide)の4要件はこちら
①耐え難い苦痛がある
②回復の見込みがない
③代替治療がない
④本人の明確な意思がある

つまり、上記の4要件は必要十分ではないということだろう。あるいは、たとえば④の「明確な意思がある」のところに、「安楽死を望む意思の陰に、別の感情が隠されていないか正しく把握する」という説明書きや、③の「代替治療」に、「精神的・肉体的苦痛を和らげる治療も含まれる」という説明書きが必要なのではないか。さらに言えば、「⑤残される人たちの合意を得て、彼らとの関係性を正しく終えることができる」という追加事項もあってもよいのかもしれない。

どれも、客観的に判断するのは超難しそうな追加事項だ。だからこそ、寄り添ってきた医療者や家族との対話が重要なのだろうとも思う。

でも、こうやって安楽死の要件を簡単な項目にまとめてしまうこと自体、なんだか釈然としない。

だって、「死」は「死」でしかないし、人の死は、それこそ、その人その人の人生が反映される最たるものだ(と思う)。いくつかの項目で簡単に整理できるようなものではないような気もする。

これについて、宮下氏の言葉でうまく表現された箇所があったので下記に引用する。

肉体的な苦しみをあじわわずとも、精神的な痛みを抱えたまま死にゆくことは、理想的な逝き方と言えるのだろうか。それとも、肉体的には苦しくとも、精神的な喜びを持って自然な眠りに就くことのほうが理想の逝き方なのか。

大事なのは「精神的な喜びをもって眠りにつけるかどうか」ということではないか。小島さんの場合は、安楽死を遂げることが、彼女にとっての「精神的な喜びを持って眠りにつく」方法だったのだと思う。

大前提となる「死」を前に、一般論として「安楽死がいい」とか「緩和ケアがよい」とかいう議論は不毛だ。宮下氏も文中で何度も「人それぞれ」と繰り返しているが、その人その人が、その時その時に、それぞれのやり方で「精神的な喜びを持って眠りにつく方法」を考えるしかないのではないだろうか。

本の中で、西氏は、「癌患者とエイズ患者だけが、保険上で緩和ケア病棟の恩恵をうけられる」と言っている。さらに、「日本では死に直結する病でしか、緩和ケア病棟を活用できない」とも書かれており、近年は「日本でも心不全への緩和ケア対策が始まったが未成熟状態」だという。

うーん、と私は考え込んでしまった。「緩和ケア」というアプローチは個人的にはとても大事だと思う。それが何らかの疾患に限定されるのはもったいないし、実際、今の医療の中にもちゃんとその考え方は広く根付いているんじゃないかなあ、とも思う。誤解を恐れずに言えば、医療とか制度とか、あるいは緩和ケアという言葉自体にとらわれる必要はないし、とらわれずに考える方が自然な気もする。

看取りをするとき、本人はもちろん、家族や親しい人の意見を聞きながら、病院なのか在宅なのか、積極的な治療をするのかしないのか、胃ろうや呼吸器を選択するのかしないのか、リスクを犯して好きなことをやりきるか、最期まで必要な医療を受けるのか、一人ひとり、最期をその人らしくアレンジしていく、ということは、日本中でずっと手探りで目指されてきたことじゃなかったのだろうか。

その病気がなんであれ、必要があれば肉体的な痛みも、できれば精神的な痛みも取り除いていく、それはまさに緩和ケアなんじゃないのか。そうしていつも、そこに関わる人達は「精神的な喜びをもって眠りにつける」ように最大限の試行錯誤をしているように思う。それは本当に地道で、文字通り一人ひとり、根気強く向き合うことで、一つ一つ成し遂げていかなければならない気の遠くなるような地味な作業だけれど、とても誠実な風景だ。もしこういう地道な作業のなかで最終的に「安楽死」が結論になるのなら、それはいいのかもしれないとも思う。その場合、「安楽死」は「緩和ケア」と相反するものというよりは、同じライン上にあるものになるのかもしれない。

もちろん、この地道で地味で、ある意味で実に人間的な作業を制度化することはきっとものすごく困難だし、だから「安楽死」を制度化するのも難しいのだろうとは思うのだけれど。

ばあちゃんのこと

3年前の7月、祖母が亡くなった。共働きだった両親に代わって、私や3つ上の姉の面倒をみてくれた、慈愛に溢れた人だった。私の子供たち、つまり祖母にとってはひ孫にあたる彼らも「おっきいばあば、だぁい好きだった」と、亡くなって3年たった今でも懐かしむ。

「ぜーったいに私のこと怒らないんだもん。たとえば転んで机に足をぶつけて泣くでしょ、そしたら『この机がわりいな!』って机のこと怒るんだよ。おもしろいよね。あと、ママに怒られておっきいばあばのところにいくと、『ないしょ』って言っていつも氷砂糖くれたんだよ。だから氷砂糖だぁい好き!」

不思議なことに祖母が亡くなった命日が近づいた先日、長女が突然そういう話をはじめた。

「子どもは宝だよ、るいちゃん。こんなに玉のようにいい子たち、そんなに怒ってダメにしちゃいけネ」と祖母は口癖のように言っていた。ハルが生まれて、ハルが重い障害をもって生まれたことや目が見えないことは祖母には伝えていなかった。それでも何かしらうっすら感じ取ってはいただろうけれど、「こんなにキレイな子は見たことね」と言って目を細めてかわいがり、抱っこさせてあげると、嬉しくて泣いた祖母。

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祖母は持病があって、祖父がなくなってから10年以上、長男である私の父が介護をしてきた。父には二人の妹がいて、亡くなる前、苦しむ祖母のもとに妹たちも遠方からやってきて、父と二人の叔母は揉めた。

「もう無理に頑張らせなくてもいい」といって医師と話し合い、鎮痛剤を入れる決断をする父と、「一秒でも長く生きてほしい」と言いながら必死で高カロリードリンクを飲ませ、鎮痛剤の増量に反対する叔母。

祖母は病院で「苦しいから楽にしてくれ」と言っていたようだし、父も最初から「苦しみを取り除くことだけを本人も望んでいる」「無理な延命治療はしない」と言っていた。私も姉も、最期の10年を一緒に暮らしてきた父と祖母の関係を信頼したかったし、父の言葉を尊重したかった。何よりも、苦しむ祖母を見ているのは辛かった。私達姉妹は、なんとか父と叔母たちがもっと話し合ってくれないかと気を揉んだ。

ところが父はあまり多くは主張せず、「本人の前で兄妹が争う姿は見せたくない。危篤になるまで病院にはもう行かない」と言って引き下がった。私も姉も「ばあちゃんには苦しまずに安心して逝ってほしい」と思っていたし、叔母にも直接メールをしたりしたのだけれど、父は何も言わず、病院を離れた。

叔母が思った通りにやらないと、叔母は母の最期をきちんと受け止められないし後悔が残ってしまうのだろうと、父は理解していたようだった。これまでもずっとそばで看てきて、思い残すことがなかった父と違い、叔母は、今からこそ自分が看たい、と思っていたのかもしれない。

そして父はこう付け加えた。

「本人もわかっていると思う。今ご飯を食べさせられるのも生かされるのも親の努めであり、最期の子育てをしているつもりなのかもしれない」

この父の言葉に、はっとした。死は本人だけのものではないということを、祖母はわかっているだろうと、父は言ったのだ。

幡野広志さんのこと

「安楽死を遂げた日本人」の中で、多発性骨髄腫で余命宣告を受けた写真家、幡野広志さんが登場した。note上ではもはや知らない人はいない有名人だ。しかも宮下氏が幡野氏に出会った場所が、昨年デリーの我が家に泊まりに来てくださった占部まりさん宅だと書かれていてのけぞった。お米や梅干しをしょって、朗らかな笑顔で我が家を訪れた占部さんの顔が浮かぶ。初対面なのにまったく壁を感じさせず、うわー美味しそう!と言いながらインドカレーやパラタを写真にとって、気持ちよく料理を平らげながら話をする彼女は、人とつながったり人を引き合わせたりするのがきっと上手なんだろうな、と思う。

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昨年日本に一時帰国した際、成田空港の本屋で幡野氏の本が平積みされていた。にわかにメディアで話題になっていた幡野氏に興味があったので、1冊手にとって購入した。納得できる部分や共感できるものもありつつ、読み終えた後、なんとなくの気持ち悪さが襲った。

幡野氏は、「一分一秒でも長く生きていてほしい」という考えは「家族のエゴ」だと断言している。より良い検査結果を祈った母を負担に感じてて絶縁し、妻を通じたお見舞いの申し出も断っているという。母が看病をしてあげたいと思うのは勝手だが、それは自分がしてほしいことではなく、ありがた迷惑だとさえ言う。同様に、励ましや心配の連絡をくれた友人たちとの関係も切り捨てていったという。「それは僕が求めているものではない」と言う。

その気持ちは、分からなくはない。第三子のハルが重い障害を持って生まれたあとすぐの頃、良かれと思ってかけてくれる「大変だね」「かわいそうだね」という言葉を負担に感じてしまうことがあった。「ハルちゃんはこのファミリーだから生まれてきたんだね」とか「神様は乗り越えられない試練は与えない」とか「神様からのプレゼント」とか言われたときは、「そんなわけあるか!」「神様なんているか!」と心の中で悪態をついた。私にとって、当時それは「求めているものではな」かったから。

でも、今はそういう言葉も普通に受け取る。声を掛けてくれる人は、皆私達家族に寄り添おうとしてくれているのがよく分かるから、ありがたく受け取る。言葉だけで相手を捉えることはしないようにしている。多くの場合、声をかけてくれる人たちは、ハルや私達ファミリーを温かい気持ちで想ってくれ、つながろうとしてくれている。それはとても幸せなことだと思った。

「かわいそう」と言われれば、確かにできないことが多いのはかわいそうだなあと思うけど、そのかわりハルにしか分からない世界もあるんだよ、と思う。「大変だね」と言われれば、確かに大変なことも多いから助けてね、と思う。神様からのプレゼントが、できないことの詰め合わせだとしたらそれはちょっとひどいんじゃないかと今でも思うけど。

自分の意にそぐわない言葉や態度の人は、たとえ家族であっても「捨てていい」と言う幡野氏の発想は、一部の人を苦しみから解き放ってくれるのも事実だろう。それでも、彼の本を読んで感じたなんとなくの冷たさ・気持ち悪さのようなものを、この本のなかで宮下氏は上手に言葉にしてくれていたように思う。

「幡野は、本当は寂しさを抱えて生きているように、私には見える」
「彼に寄り添おうとする人たちの気持ちが退けられてしまっていいのか」

さらに、今も頻繁にメディアに登場する幡野氏を見て、私は下記の宮下氏の言葉と同様の感想を持っていた。

「私には、幡野が生きがいを持って生活しているように見える」

幡野氏は、本当に安楽死を選択するのだろうか。

幡野氏の生き方は、清々しいと思う。強い人だな、とも思う。
彼が、精神的な喜びをもって眠りにつけることを、心から願っている。

「医療」の視点すぎる医療の世界

本の中で、一つ気になったことがあった。
宮下氏が「一般人の生死観」としてご自身の親戚の方のことを書かれていたのだけれど、「一般人」という書き方に疑問を持った。同じように生きる人に、一般も何もないのではないか。そして何より、「一般人の生死観」として紹介された「おじさん」ご夫婦の運命の受け入れ方は、とても美しいと私は感じた。

医療の問題を語る時、医療のエキスパートやその周辺の人達は、ちょっと医療の視点すぎるのかもしれない、と最近思う。医療を医療の視点のみで語らなければいけない理由なんて無いはずだ。むしろ、「一般人」の視点をもっと大事にしたら良いし、地に足をつけて生きている全ての人から学ぶべきだ。この世に生きる多くの人は、「一般人」なのだから。

今回報道された嘱託殺人事件。京都のALS患者だった女性は、どのように生きてきたのだろう。そして、どのような葛藤を辿ったのだろう。それに寄り添った人はどんな人達だったのだろう。どんな風に寄り添ったのだろう。彼女の生死観はどんなふうだったのだろう。

「安楽死」を議論する前に、知るべきことや想像すべきこと、ほかに議論すべきことがあるはずだ。

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西智弘氏の本を読んでみたいと思ったのだけれど、どれもインドからオンラインで読めなかった。気軽に日本に帰れなくなってしまった今の海外在住者向けに、ぜひオンライン化を希望します。…とここに書いてみるテスト。どこかの決定権のある人に届け〜





























































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