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インドで私も考えた 〜小学5年生からの質問状〜

先日、友人の息子くん(小学5年生)が、自由研究で環境問題について調べていると連絡をもらった。息子くんからは、インドが海洋プラスチック問題について熱心に取り組んでいるらしいから、生活者としての感想を教えてくださいと、とてもしっかりした質問書が送られてきた。

私もインドにきてまだ1年にも満たないし、インドといってもデリーのことしかわからないのだけれど、質問を投げかけてくれた小学生にできるだけ真摯に答えてあげなくてはと思い、全力で回答を書いた。せっかくなのでその回答書をここに記録しておこうと思います。

太郎くん(仮名)の仮説

太郎君のテーマ「海洋プラスチックについて;海外では禁止や廃止に動き出しているのに、なぜ日本では有料化 しかできないのか?禁止や廃止にできない理由は何か?」
<太郎君の仮説>                          1. レジ袋を禁止したり廃止したりする国の人は、環境問題に関心の高い人が多い                                   2.子供は学校で習ったりしているが、大人は子供の頃に習ってはいないはず(海洋プラなど)                                   3. 環境問題に関心の高い国では、親子のコミュニケーションが取れている家庭が多く、子供から 親へ情報が伝わったり、親子で環境問題について話し合う機会があるのでは?

まずはじめに、おばさん的には、この仮説をどういう根拠のもとに立てたのかが気になります。

1.について、なぜ、環境問題に関心が高い人が多い国は、レジ袋を禁止したり廃止したりすると考えたのですか?根拠となる事実や研究があるのでしょうか?たとえ環境問題への関心とレジ袋の禁止に比例が認められたとしても、そこにバイアスとなる要因はないでしょうか?(※バイアス、というのは結果にこっそり影響を与えている別の要因のことです。)例えば、環境問題に関心が高い国が、実はプラスチックを安価で製造することが難しく、だから禁止に踏み切った、ということがありえます。このような場合、実際は環境問題への関心の有無ではなく、プラスチックの製造コストが要因になっている可能性があり、この製造コストがバイアスに当たります。

2.についても同じで、大人は子供の頃に習っていないはずというのも、どこかに根拠があるのでしょうか?ちなみにおばさん(34歳)は子供の頃に習いました。おばさんは結構な大人ですから、大人を仮に20歳以上と考え、寿命を80歳とするのであれば、多分1/3くらいの大人は勉強したことがある可能性があります。また、この場合も、子供のころに勉強した、勉強していない、という結果にたいして、学校教育の地域差や経済格差なども影響している可能性があり、一概に「大人が習ったことがある」とも言えない可能性があります。

ただ、1990年代は環境問題が一気に大きく取り上げられ始めた頃だとおばさんは認識しています。おばさんも学校で習ったこと以上にNHKスペシャルなどの映像を見て恐怖にかられていつも何かしなくちゃ、と空き缶拾いをしたりした記憶があります。

3.なぜ、環境問題に関心が高い国では親子のコミュニケーションが取れていると考えたのでしょうか?そう考えるにいたった事実はなんだったのでしょうか?一般的には、「環境問題」と、「親子のコミュニケーション」は一見、まったく関係がないような気がしてしまいますよね。

もちろん、これは仮説ですから、仮の説でかまわないのですが、それでも何らかの事実に基づいて仮説を立てなければ、ただの空想になってしまう危険があります。仮説とは、少ない事実から、最も確からしい仮の答えを設定することだと思います。そこには例え少しの事実だったとしても、事実に基づいたものがなければなりません。なので、どんな事実に基づいて仮設を立てたのか、理屈っぽいおばさんは気になってしまいました。

なんつっちょっとイジワル言ってみました!ごめんね!笑 でも、もし「研究」に興味があるなら、少し考えてみてもらえるといいことかもしれません。

環境負荷の大きさ、どうはかる?

では、質問の回答に移ります。

① インドはプラスチックへの規制が世界一厳しいと知りましたが、生活は不便ではないですか?

あまり不便は感じません。プラスチック製品は基本的に高いので、あまり買いません。実は、必要なサランラップやジップロック等は日本からたくさん買ってこっそり持ってきて使っています。もちろんインドにもありますが、質が悪く高いのであまり買いません。そのせいか、インドの人はあまりサランラップを使いません。食べかけの料理の上には別のお皿をおいて保存するのが一般的ですし、半分に切った果実もそのままポンっと冷蔵庫に放り込みます。食べ物を扱うお店でも、ビニール手袋もサランラップもあまり使っているところを見かけません。だからすぐに食べ物が悪くなります。サランラップを使って保存性を高めたほうが無駄になる食物廃棄が減るのではないかという気もします…どちらが人間にとって幸せなのかわかりません。

お弁当箱などのプラスチック製品は高いのであまり買いませんし、インドの人もプラスチックのお弁当箱よりもステンレス製のお弁当箱を使う人が多いようです。インド料理は油を使ったカレー料理が主なので、プラスチック製品で保存して温めると溶けてしまう恐れがあるからというのも一因かもしれません。

野菜屋さんなどに買い物に行くときは、多くの人がマイバックを持っていきます。環境問題に対する問題意識から、というよりは、それが一般的だし運びやすいから、ということだと思っています。インドのプラスチック製の袋は質が悪いのですぐに破れます。もちろんマイバックを持っていなければ袋をくれますが、すぐに破けたりすることを考えるとマイバックを持っていったほうが便利、ということなのでしょう。持ってくるのを忘れてもちゃんと無料でビニール袋をくれるので特に不便に感じません。

野菜屋さんではすべての野菜が計り売りなのですが、おくらやいんげんなど、バラバラするものを買うと、新聞紙で作った手作りの小さな紙袋に小分けにして入れてくれたりもします。それは無駄がなくていいな、といつも思います。

大手スーパーや雑貨店などでは基本的に布バックを用意していて、有料で布バックをつけてくれます。そういう場所で入手した布バックを、野菜屋さんなどに行くときのマイバックにしている人が多いようです。いろんなお店の布バックはデザインもとてもかわいいので、保存しておいて様々な場面で使えます。小さなお店の場合は、広告や新聞紙で手作りのバックを作って用意しているところもあり、そういうのもまた可愛らしさがあっていいなと思います。

それが環境問題に対する意識からなのかどうかは不明です。それがそのお店のブランディングになるから、ということもあるでしょうし、何度も言う通りプラスチック製品の質が悪く高価だから、ということもあるでしょう。そのかわりというかなんというか、インドは綿製品がとても安いので、高価なプラスチック製品を使うよりは綿製品を使ったほうが実際に低コストということもあるのかもしれません。

② 周りの人でプラスチック製品が禁止になることについて文句を言っている人はいますか? (日本では「科学的根拠がない」「マイバッグを作る方がエネルギーを消費する」と言っている人 がいるみたいです)

推測ですが、インド政府がじきにプラスチック製品を禁止にすることについて正しく認識しているインド人は少ないと思います。それから、インド人は「あと10分」と言ったら「あと半日くらいかな」と思っておくような人たちです。「2022年までに」、ということは、「2100年くらいまでに、というつもりなんだろうな」、とみんななんとなくのんびり考えているのかもしれません。

また、①でも何度も書きましたが、基本的にプラスチック製品の質が悪くコストが高いので、もともとあまりプラスチック製品を使っていません。石か木かガラスか陶器か綿製品が日用品のベースです。なので実際あまり困らないのかもしれません。ただ、その禁止しようとしているプラスチック製品がどこまでを指しているのか私もわからないのですが、たとえば洗剤や食料品のパッケージまでだとしたら、インドでもかなり広く使われているので、そこまで禁止するのはきっと難しいんじゃないかな、という気はします。

ちなみに私は、日本で「科学的根拠がない」とか「マイバックを作る方がエネルギーを消費する」と言っている人たちの意見も実際正しいのかもな〜という気がします。科学的根拠は実際どこにあるのでしょう?

インドでは綿製品の方が安くてプラスチック製品の方がコストがかかるように、日本では実際マイバックを作る方がエネルギーやコストがかかるのは事実のなのかもしれません。ぜひ詳しく調べてみてください。

例えば環境問題の意識が高いとされる人ほど、マイ箸やマイお皿を持ち歩いたりする傾向にあるようですが、際、使い捨てのお皿を使うのと、陶器のお皿を繰り返し使うために洗剤を使って洗うのと、どちらが環境負荷が大きいのでしょうか?

科学的根拠は大事です。説得力があります。

インド社会に根強く残るカースト制度と環境問題

③ 日本では「男性(特に1人で買い物に来ている人)」のマイバッグ利用率が極端に低いのですが、 インド ではどうでしょうか?

インド(デリー)では、本当の意味で完全に一人で野菜や肉の買い物にくる、という人は少ないのかもしれません。

インドではカースト制という身分制が色濃く残っていて(法律上は廃止されているけれど、まだまだ生活の中には根深く残っています)、運転手さん、お手伝いさんなどが経済的により恵まれた人たちのもとで働いている場合が多いです。買い物はそういった人たちがこなすことが多いので、ぱっと見一人で買い物をしている男性でも、たとえば働いている家族に頼まれて買い物に来ている場合などは専用のバックを持ってくることが多いです。

それから、完全に一人暮らしのひとは、あまり食材の買い物をしないかもしれません。外で外食をしたほうが絶対に安いからです。一食20ルピー(約30円)くらいから食べられます。

(↑30ルピーのダルとサブジ。3人でシェアした)

ただ私は、実際じっくり観察したことがないので、本当のところはよくわかりません。一人暮らしで仕事をしている男性はきっと昼間は出歩かないで夜買い物をして帰ることが多いのだと思うのですが、私は基本的に昼間しか買い物に出かけないので、あまり出くわすことがありあせん。わからなくてごめんね。

④ インドの国の人は環境問題に関心の高い人が多いと感じますか? 感じる→どうしてだと思いますか? 感じない→ではなぜプラスチック製品を禁止することができるのか?

個人的な感想ですが、環境問題への意識は低いと思います。前述した通り、インド社会にはカースト制という身分制度が根強く残っています。掃除は掃除をするカーストの人がするもの、という意識が社会全体にあり、自分で汚したものを自分で片付ける、という当たり前のような考え方がまったくありません。

たとえば日本の学校では清掃の時間が必ずありますね?自分で汚したところを自分たちできれいにしよう、というとてもよい取り組みだと思います。ところが、インドの学校には「ディディ」と呼ばれるいわゆる先生たちとは別の職員が必ずいます。ディディさんたちが、時間になるとかならずきれいに掃除をしてくれるので、掃除をするという意識が子どもたちに育ちません。放っておけば学校のゴミ箱は溢れ出るし、子どもたちは(先生たちも)当然のようにゴミを床に捨てておきます。そうすればディディさんが片付けてくれるから、です。

こうした意識は街全体でも感じられて、たとえばインドの人はチャイという甘い紅茶を飲む習慣がある人が多いのですが、お茶屋さんで飲んだチャイの紙コップなんかを、これどうすればいい?と聞くと、そこら辺に放っておけばいいのさ。とみんな普通に言います。街中が常にゴミだらけです。官庁街はおそらくお金をはらって掃除を委託しているのでしょう、割と道路もきれいですが、大体の道路はものすごくきたないです。私達が住む地域はデリーの中でもとても治安がよく、いわゆる高級住宅街と呼ばれるような地域ですが、それでも一歩足を踏み出せばゴミだらけです。どうしてここまでゴミが外に捨てられているのか不思議なくらいにゴミが落ちています。それを野良犬や野良牛たちが突き回して歩くので、さらにぐちゃぐちゃになります。

我が家の裏門出てすぐの道

このような現状を鑑みると、インドの人たちが環境問題に関心が高いとは言い難いと思います。富裕層の人たちは口をそろえて、地球環境は大事だ、と優等生的にいうけれど、印象としては口だけで、このインドに根強く残っている階級制度と合わせて社会や教育を根本から変えていかない限り、インドのいわゆる一般的庶民に対して、環境問題への意識と行動を変化させていくのは難しいのではないかと思います。

環境問題の“環境”は、誰にとっての環境か

⑤ 大人の人が環境問題について知ったり、話し合ったりするきっかけは何だと思いますか? 全体的に「子供から聞く」ことがきっかけになっていると感じますか? それよりも関心を持つことになるきっかけがありますか?

私の子供は9歳と7歳と4歳と2歳ですが、子供から聞く、ということがきっかけで環境問題について知ったり話し合ったりすることはあまりありません。限りある資源を無駄にしたくない、という意識は常識的に私達の中にいつもある気がします。ですが、環境問題を環境の問題としてだけ取り出して語り合うのは限界があると私達夫婦は感じていて(インドのカースト制しかり)、だから多分、「環境問題」だけを取り上げて語りあうことはあまりありません。

インドには、路上生活者がとてもたくさんいます。物乞いをして、ものすごく汚い格好で道路で生活をする子どもたちもたくさんいて、その人達を前にして、環境問題を語ることはなかなか難しいような気がします。この感覚が、日本に住む太郎くんに伝わるのかちょっとわからないのですが…。まず、目の前で飲水がなくて困っている人たち、食べ物がなくて車の窓をノックしてくる人たちとの向き合い方、ということを考えずして、どうしてプラスチック製品の削減について語れるだろうか、と思ってしまうのです。もちろん環境問題の重要性は理解しているつもりです。けれどその前に、どうしても人間の命にかかわる問題を考えずにはいられないのです。

路上生活者の寝床。

環境問題、は、実は環境だけの問題だけではなく、社会や場面によって、様々な別の問題と大きく関わっていることがあります。たとえば我が家の4歳の娘は重い障害があって、毎日3回、ビニール袋に入った薬を飲まなくてはなりません。彼女は4歳になった今も、そしてこれから先もずっと、紙おむつが欠かせないし、薬の保管や食事の管理のために冷蔵庫・冷凍庫・電子レンジが欠かせません。治療のために大量の油を食事に使うので、しっかり落とせる化学洗剤も必要不可欠です。それらが環境にとって良くないことは重々承知していますが、それをやめることはできないのです。彼女が今必要な生き方をするために、それらは必要不可欠だからです。

では、彼女のように環境負荷をかけなくては生きていけないような生き方をしている子どもたちは、生き方を変えるべきなのか、一体どのように生きていくべきなのか。そもそも、医療の現場で彼女たちはどのような治療を受けるべきだったのか、受けないべきだったのか。これはもう、ただの環境問題ではありませんね。

ごめんね、話が大きくなってしまいました。私達は、環境問題、についてだけを話したり話題にしたりすることはありません。ですが、いろいろな側面から環境問題と密接に結びついた様々な問題について話題にすることはよくあります。環境問題は様々ある世の中の問題のなかの一つであり、それだけで考えるのは難しいと思うからです。

社会の中の問題について話すのは、子どもたちが毎日の生活のなかで具体的に気がついたことを質問してきたことがきっかけになることもあるし、学校で出た宿題で考えることもあります。余談ですが我が家の息子と娘が通う学校では、考えないとわからない、答えがない宿題ばかりが出ます。「植物ってなんだと思いますか?」とか、「サイエンスとはなんですか?」とか、「意見と事実は何が違うと思いますか?」とか、「自分の国の食文化について紹介してください」とか、「もし一つなにかやりたいことができるとしたら、何をどうしてやりたいですか?」とか。そういう宿題を一緒に考える中で、世の中の問題について気づいたり話し合ったりすることは割とあります。

あとは、夫の職場の話だったり、インド人の友人との意見や考え方の違いではっとさせられることもあります。共通しているのは、人との関わりの中で生まれる疑問、ということでしょうか。答えになっていないかな???

逆に質問してもいいですか?太郎くんは、どうしてこの問題に関心をもったんですか?なにかきっかけがあったのですか?

「環境問題」の「環境」は、誰にとっての環境だと太郎くんは考えていますか?

私は、環境問題の「環境」は、人間にとっての環境だと考えています。そうではなく、野生動物にとって、と考える人もいるでしょうし、地球の歴史にとって、と考える人もいるでしょう。その問題の中心に考えるべきものがなにかによって考え方が変わると思うので、議論する上でこの定義は結構大事だと思います。

私も実は小学生のころからとても環境問題に興味があって、いろいろ活動をしたり調べたりしていました。そして大学生のときにいろいろな学問に触れる中で、「あ!私が考えたかったのは、私が問題にしたかったのは、“人間”にとっての環境問題なのだな」とだんだんわかってきたのです。

私のきっかけは、小学生の頃に見た地球環境破壊の映像への恐怖でした。こんなふうに破壊されていく地球の中で、私は幸せな気持ちでは暮らせない、という恐怖だったのだと思います。

私は、人間にとって、環境がどうであると人間は幸せでよりよく生きられるかを考えたかったんですね。たぶんだから、環境問題を考えるときは、いつも人との関わりから疑問がうまれたときや、人が関わる問題がある場面を見た時、なのかもしれません。

経済格差と利便性と環境問題

⑥ 日本に比べて、親子がコミュニケーションを取る時間があると感じますか?(親子のコミュニ ケーションを大切にする家庭が多いと感じますか?)

日本人が、日本にいるときと比べて、なのか、日本人が日本にいるときの過ごし方と、インド人がインドで過ごす過ごし方との違いなのか、どっちかな?日本人が日本にいるときと比べて、なのだとしたら、お手伝いさんを雇いやすいので圧倒的にコミュニケーションを取る時間は多くなったと思います。

インド人の家庭がどうなのかはわからないけれど、これも多分にカースト制度と深く結びついている気がします。カーストの位が高い、あるいは経済的に豊かなインド人家庭はたいていナニーさん(子供のお世話係)がいて、こどもとの関わりはそのお世話係が一番多いのではないでしょうか。そしてその分、経済的地位が低い人達は親が働きに出てしまうことが多いので、必然的に子どもたちは長時間親と離れて過ごすことが多い気がします。

インド人の家庭に共通しているのではないかな、と感じるのは、とても教育に熱心なことです。良い学校に入れるためにとても努力をするし、そのためにたくさん子供に勉強させたり、テレビを制限したり、体を動かす時間を意図的にとったり、チューターと呼ばれる家庭教師をつけたりと、子供に良いとすることを一生懸命やっているような印象があります。良い学校に入れることが、そのままよい職業につけるかどうかに関わってくるからだと思います。

あとは、家族のことを大事にしているなあ、という気もします。宗教上のお祭りや大きなイベントがあると、家族で集まって歌ったり踊ったりするのが好きなインド人が多いような気がします。

ですが、家族とのコミュニケーションの中で環境問題について語り合っているかというと、かなりの確率でNOではないかと推測します。経済的に裕福で教育にも余裕がある家庭では、優等生的に親が子供に地球を大事にしなくちゃね、という話をしているような印象はありますが、、、、

あまりたくさんのインド人家庭のことをしらないので、なんとも言えず、ごめんなさい。

⑦ 子供たちは環境問題について関心を持ったり、勉強したりしていますか?

学校では、表面的な勉強はしている気がします。アースデーが近づくと地球についての学びを劇にしたり、絶滅危惧種についての宿題がでたりすることはあります。

ですが、具体的な環境問題についてそれぞれ深い学びまでは到達していない気がします。9歳の長男は、科学や歴史の本や漫画を読むのが大好きなので、それなりに自分で本を読んで知識を仕入れているようです。が、それがどう行動につながっているのか?はちょっとわかりません。

⑧ 環境問題について関心のある人が多いとは言えない日本で、関心を高めていくにはどうすれば いいと思いますか?座光寺さんや子供たちのアイデアを聞かせてください。

環境問題についてだけの関心を高めるのはなかなか難しい気がします。環境問題が、いかに様々な問題と関わっていて、自分の生活とどう関わってくるのかを知る必要があるのではないでしょうか。

それから、環境問題よりももっとさし迫った問題を抱えている人(病気や経済的困難など)に、環境問題について考えろと言っても無理があると思います。鬼気迫った生活をしている人を前に環境問題を説いても、ただの幸せな富裕層の戯言だと言われるのがオチではないでしょうか…

だから、問題意識や関心の高さとは別に、自分の幸せを考えて行動することが、自然と環境問題に対しても良いアプローチにつながる、という方が、現実味があるような気がします。

今ある資源をどのように使い、どのように付き合っていくのが、環境にとっても、そして自分たちにとっても幸せになれるかを理解し、実際に実感として得られなければ、なかなか問題意識だけでは行動には移すのは難しいんじゃないかな。。

太郎くんは、どうして日本での環境問題への関心を高めたいと思っているのですか?太郎くんは、プラスチック製品を禁止や廃止にしたほうが良いと考えているのですか?だとしたら、それはなぜですか?

もしプラスチック製品を禁止や廃止にしたら、私だったら結構困るかな、と思います。なぜなら、我が家にはオムツが半永久的に取れないであろう障害児がいます。オムツは結構、ニオイます。特にうんちをしたオムツはとても臭いです。なので、いつもビニール袋に入れて口をしばってからゴミ箱に捨てています。インドにきてから、買い物をしたときにビニール袋をもらうことが少なくなったので、実はビニール袋を買いました。いつも飲むお薬もビニールに入っていないとすぐにしけってしまいます。ビニールがないと、我が家は結構困ります。環境に優しくて、しかも高性能な代替品があるなら別です。誰かがより便利でかつより環境に優しく低コストな何かを開発して、自然とそちらを使うことが私達にとっても幸せにつながるのであれば、きっとそっちを選択すると思います。

私は、プラスチック製品を無理に廃止にするのではなくて、上手に付き合っていく方法をみんなもっと考えたらいいのではないかな、と思います。特に、ゴミを正しい方法で処理する、片付ける、ということですね。ゴミを正しく処理することは、空間を美しく気持ちよくすることにつながるので、シンプルにみんなの幸せにつながってわかりやすいはずだと思うのです。

だって、今の所、プラスチック製品って便利なんだもん。










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