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わたしはヴィーガンでアセクシャル


軽めのカミングアウト。
「無」を主張することは難しい。

日本人は無宗教?

何ヶ月も前のこと。日本人の友達が「日本人って無宗教だよね」って言ってて、なんだか違和感を抱いた。私は田舎の出身なので、まだ地元のお祭りとかもあるし、それにはお寺や神社が関係している。特定のお寺に通ったり、宗教が特定できるアイテムががなかったり、1日のうちにお祈りの時間がなくても、実家には神棚があるし、日々の何気ない習慣にも仏教的な要素や神道的な要素を感じているので、無宗教ではないと個人的には思う。

「自分は無宗教です」と言い切れる人は、神様との決別をしている人じゃないかな。何かきっかけがあって、自分の意思で宗教的な思想には従わないという決断をし実行している人だと思っている。だから、自分も含め日本人の多くは、宗教に対して「無学なだけ」「怠惰なだけ」だ。


導入がちょっとヘビーだったけど、「無」の状態のラベリングって、難しいよなと思う。
一般的な例だと、「ミニマリスト」とかもそうかな。彼らは、あえてものを所有しないという選択をしている。だから、ただお金がなくて所有できない人たちは、それには含まれない。ファッションにおいても、意思があってシンプルな格好をしている訳じゃなかったら、ただの地味な人だ。


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(ヴィーガン寿司。普通に美味しい。)


80%ヴィーガン

私は今、ロンドンにあるヴィーガン食品を扱う会社で働いている。働き始めた1年前は、特に食事には気をつけていなかった。肉もファストフードもケミカルなお菓子も卵も牛乳も摂取していた。東京で働いていた頃はもっと酷くて、毎朝のようにチョコを食べて、とりあえず血糖値をあげて仕事に向かっていたし、毎日のようにランチにアイスも食べていた。今思うとどの部位なのかもよくわからないファ○チキとかもめっちゃ食べてた。

今の会社で働くうちに、SNSとかもヴィーガン関連のものをフォローして知識が増えた事もあり、だんだん菜食にシフトしていった。大きく分けて3つの側面からヴィーガンになる人がいて、1. 動物愛護の観点 2.畜産業の与える環境への負担軽減 3. 健康面 なんだけど、私は2つめの環境面において共感している。自分1人で食べる分には、特に卵も要らないし、牛乳の他にも選択肢があるので(豆乳とかオートミルクとか)わざわざ子牛の為のミルクを飲む必要はないと思っている。以前は何にでもチーズをトッピングしていたけど、ほとんどのそれは自分の料理の出来栄えに対する誤魔化し要因であって、チーズ無しの生活でも全く支障はない。

でも「自分1人でなら」というのがポイントで、例えば友人とご飯を食べるときは、普通にお肉とかも食べている。特に無理して食べている訳ではないけど、「実はヴィーガンなんだ」と打ち明けられずにいるということもある。家族に関しては、ロンドンに来てから食生活が変わったので、まだ知らないだろうし、どのタイミングで言えばいいのかな。。。って感じ。ちなみにそういう、基本的にはベジタリアン/ヴィーガンだけど、たまには肉や魚も摂取する人のことを、Flexitarianみたいに呼ぶんだけど、ちょっと格好良すぎるし都合よすぎないか?(自分はちょっと小っ恥ずかしいから言えないな)ロックダウンの前は、友達が少ないなりにも週に1度くらいは、(たしか)誰かに会ったりしていたので、肉を喰らう場面があったのだけど、最近はめっきり口にしていないので、たまにお肉を食べると、(それが100%原因かはわかんないけど)お腹が痛くなる。体も変わってきてるのかもしれない。

さっきの話に戻ると、例えばね、東京にいた頃、食生活がカスだった頃、夜ご飯が芋けんぴみたいな日もあったのね(恥ずかしい)。たしかに動物性タンパク質は摂取していないけど、それは「ヴィーガン」とは名乗れないと思う。そこに「私は肉を食べないんだ」という意思が無いから。それは結果的に野菜(のようなもの)のみを食べていたにすぎない。ヴィーガンの食生活を完全に実行している人からしたら、私はまだ覚悟が足りないのかもしれないけど、自分の意思で選択をしているので、100%ではなくても「ヴィーガンである」というアイデンティティはある。


ここでもうひとつカミングアウト


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(去年のLondon Prideで見かけたクイーンたち)

80%アセクシャル??

「アセクシャル」という言葉はどれだけ浸透しているんだろうか?ざっくり言うと、LGBTQIAの中でもあまり恋愛とかに興味がない人のことを指す言葉。(似たものにノンセクシャルというのもあるけど、まあその辺の違いはググって)私がこの言葉に出会ったのは、もうかれこれ7年前かな?私は今月で28歳になるんだけど、未だ誰ともお付き合いをしたことがない。割と今では開き直っているんだけど、21歳の頃は「どうして彼氏ができないのー!」「みんななんでそんなに簡単に人を好きになれるの!!」とか本当に疑問に思ってたし焦ってたし、とてもそれがコンプレックスだった。時折悲しくなるし、たまに矛先の無い怒りが芽生える「別にそんなにブスじゃないし。ちゃんと人の話で笑うし、たまに笑わせるし、まあまあ賢いし。なんで!!!」みたいに笑「彼氏いたことありません」というと「レズビアンなの?」ってほぼ100%聞かれるんだけど、どうやらそれも違うみたい。


初めてその言葉に出会った時、「私は一生誰も好きになれないのかも」と思うと怖かった。でもなんだかちょっと安心した。他にも同じようなことを思っている人がいるみたいだし、そういうカテゴリーがあるということが、とても慰めになった。ありがちだけど「彼氏 できない」みたいに検索したらあるサイトに行き着いたから、チェックテストみたいなのをやってみた。だいたいそのサイトに行き着いた時点で、ほぼ「あなたはアセクシャルです」と認定されるようにできていたんだけど。でも、その時点では、まだ自分はアセクシャルだと名乗ることはしなかった。「もう21歳だけど、まだ21だし。もしかしたら、明日にでもいい人が現れるかもしれないし。」とか思ってね。よっぽどLGBT関連に興味のある人以外には、この言葉を使うことは避けていた。さっき言ったように、自分自身をそうラベリングしてしまいそうで不安だったのと、軽い感じで「アセクなんだー」みたいに言われるのが嫌だったから。


今でこそLGBTQIAの中に仲間入りしているけど、7年前は全くと言っていいほど、そんな言葉は知られていなかった。たしかカナダの大学の教授が書いた論文が1つヒットするだけだったかな?LGBTQIAの中でも、アセクシャルはあまり研究も進んでいないし、有名人で公表している人も少ないように思う。なぜならそれが、好きになら「ない」という現象だから。語弊を招くかもしれないけど、ゲイやレズビアンは「同性を好きになる」という、わかりやすくヘテロセクシャルと異なる現象があるし、だから本人も自覚しやすい。「無」の現象にははっきりとした境がない。ただ時間が経過しているのか、「無のための無」なのか。境界線があるとしたら、それは本人の意思かなと思う。正直ここまで書いておきながらなんだけど、まだ私は「アセクシャルだ」と名乗る覚悟はできていない。まだ自分のアイデンティティではない。結果的に28年間フリーなんだけど、それは28年間ただモテなかっただけかもしれないし、好きになるとかいうタイミングじゃないだけかもしれないし。でも本当にアセクシャルなのかもしれない。まだわかんない、というか決断を下すのを先延ばしにしている。


本当に生きづらい世の中だと思う。サステナブル / エシカルに興味があるから、服を買うにも簡単じゃないし(ファストファッションはできるだけ避けたいし)、コスメも「動物実験していない」とちゃんと書いてあるものじゃないと使いたくない。最近は食事もできるだけヴィーガンにしたいから選択肢が少ないし、それに加えてアセクシャルですなんて言ったら、周りの人はついてこれるんだろうか。。。私はまあまあお腹いっぱいだよ。


*追記*
2021年3月現在、もう一度このことについて考えてみたんだけど
私は完全にヴィーガンにはなれなかったし、どうやらアセクシャルでもなさそう。

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