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法隆寺ウラ



聖徳太子は 厩戸皇子に 尼寺(橘寺)生まれ(要するに処女懐胎) というキリストまるパクr・・・かと思うような逸話があるし、仏教説話のいくつかは原始キリスト教の教義や例え話と酷似しているし、サブリミナル的にキリストを想起させるものすらあるように思えます。(例えば33代推古天皇と33年のイエスの生涯)


これ、初期の仏教伝来過程からであろうところと、その相当あとからイエス物語をアレンジしてつけられてるようなところとが、あるようです。

ま、私の勝手妄想的なところもありますが、しかし私以外の人もけっこう考えているらしいことは、ところどころで耳にしますね。




🦌さて法隆寺はこれまで何度か来ているけれど、これまでは学校行事で連れてこられるとか、同行者がいるとかの理由で、実はこの地域、法隆寺以外をゆっくり見たことがありません。



中宮寺への入口

おとなり、(というかほぼ同敷地内の)中宮寺は 太子の母・穴穂部間人皇后 発願の、尼寺。


中宮寺は正面から撮ってはいけないって看板に書いてあります。


本堂に入ると、「案内テープ流します~。5分くらいです~。」と言われてテープをかけてもらえます。

・本尊の如意輪観音は、もとは彩色されていたけれども灯明やお香でその色は黒くなってきた。(←こういうの、経年美化っていう)

・複製の天寿国曼荼羅刺繍(本堂内の掲示は複製)は高松塚古墳の壁画とよく似ている。月面に兎がいる。

だとか、そういう案内が流れます。


中宮寺のパンフより。


梅原猛氏の法隆寺本「隠された十字架」は

「法隆寺は非業の死を遂げた聖徳太子の怨念を封じ込め、祟りを起こさせないようにするための建造物だ」

ってのがだいたいの内容です。この本に対する炎上ぶりはなかなかで、確かに梅原氏の事実誤認かと思われるところもあるのですが、

私が妙に納得している説が
太子の「二歳像」「十六歳像」は、太子本人ではなくて亡くなった太子の子(血縁)の享年像である  ってとこ。


「二歳像」は聖徳太子が二歳の春に東方を向いて合掌したら手から舎利が・・・って話ですが、信心のない標準的な感性でこの話をきいたら、正直、ありがたいというよりもホラーだと思う。

「十六歳像」も、父である用明天皇の病気(天然痘?)平癒のためにに祈祷してるという話ですが、病気治らず、崩御されてますから。やはりありがたみはないと思う。

「二歳」と「十六歳」ありきで、ストーリーは後付けというか、妙な感じがする。殺害された子の中に二歳と十六歳が実際にいたのだという方が、自分は腑に落ちます。


太子は蘇我対物部の丁未の乱では蘇我軍として物部氏と戦っているわけですが、そういう像とか画とかって見たことない。私が見たことないだけかもしれないけど、深刻な表情の二歳や十六歳ばかりが圧倒的に多いのでは?

聖人君主の如き書かれ方ばかりの太子ですが、教科書的には大化の改新で悪者の蘇我の血筋(父の用明天皇は蘇我稲目の孫)なのですよね。 義務教育的には「和以貴」ばかり強調されていて、戦う太子は教えらえてない。  この人のイメージの作為性は異様な気がしています。

私が太子の実在性が怪しいとすら思えるのは、あまりに話が後から盛られすぎていて、どこまでが一人の人の話として採用できるのか。  蘇我一族の複数人分の功績や逸話を背負っているのではないか。  と、そういうことです。






中宮寺から北に800m程度のところに法輪寺と法起寺。


法輪寺。



法輪寺内、お地蔵さまと羅漢。
ご近所の参拝の方があるだけ。

法隆寺からここまで来る人は、少ない様子。



絶対に迷わない0.6Kでした。


法起寺パンフ。


私のほか、参拝客は、おられませんでした。

法起寺、入ってすぐのところに撮影禁止看板がありました。
何をどこまで禁止??
水連は禁止ではないと思う。




法隆寺の塔や西伽藍からは鬼門方角に位置しているのは斑鳩神社


天満宮
天満宮と言えば当然に祭神は原道真ですが、 ここでも蘇我「ソガ」のちかくに菅「スガ」があるのです。(個人的には 斑鳩「イカルガ」と (蘇我)入鹿「イルカ」の音の近さも気になっていますが・・・)


斑鳩神社の社格は「村社」。信仰対象(神仏)に政府が格付けしてるのは違和感がありますが!これによって、(明治)政府側から見たその寺社の立ち位置がわかる気も、します。



境内には、天満宮お約束の「撫牛」(撫でると御利益のある牛の像)もいました。

地図を確認すると近隣に「素戔嗚神社(牛頭神社)」や、「菅原神社」もあります。

 大和長谷寺 に 輿喜神社(天満宮)、素戔嗚神社 が近接しているという関係性と、通じるものがあります。

そして「撫牛」「牛頭」というように、牛は何かの象徴。

「牛鬼」と忌避する地域もありますから、この両義性も気になります。


天満池が見えます。


書き換えられるものと、書かれなかったものと、書き足されるものと。ノンフィクションは書き手のフィルターを通した、フィクションかも。かも🦆





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