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思うこと304

 久しくギリシア悲劇を読んでいないので、図書館の棚で何か借りようかと悩んでいた。オイディプス三部作とオレステイア三部作は読んだので、次はどれにして良いものか全集をパラパラとめくっていると、だんだん読む気が削がれてしまった。思えばあの時は一応なんとなく目的があって積極的に手が伸びていたが、一旦その目的も霧散してしまうと、急に及び腰になってしまう。頑張って読めば「ほぉー」と思えるけれども、だけど、まあ読みづらい。
 なので急に興味が削がれ、同じ棚を物色していると、足元に近い下段に、小規模な感じでアイルランド系の本がまとまっていた。たまにはこっち方面もよかろう、と何の気なしに手に取ったのが『ヌーラ・ニゴーノル詩集』(土曜美術社出版販/池田寛子訳/2010)。
 アイルランドでは昔から妖精だけでなく、人魚の存在も身近なものだったらしい。そんな人魚という不思議な存在を取り扱った37篇を収録した詩集だ。作者はアイルランド語で詩を書く女性で、アイルランドの国内では有名だそう。現代とおとぎ話が入り交じったような語り口と、生命に対する温かい眼差し、それでいてシニカルな感じもあり。詩の感想を述べるのはなかなか難しいけれども、何だか自然と「原文で読んでみたいなぁ」と思ってしまった。きっと英語でも表せないアイルランド語特有の魅力が文章の中に詰まっているに違いない。

 18番目の詩、『とっておきの告白』に何とも素敵なフレーズがあったので引用。浜辺の老人が少女に言う。

「陸にいる動物で」
「海に自分の片割れを持たないやつはいない。
猫、犬、牛、豚
どれもみんな海にもいる。
人間だって同じ 海にもいるんだ。
そいつの名は人魚。」

 ごくシンプルな言葉の中に、彼の国の人たちが海とどのように関わってきたかがじわじわ伝わってくる感じがして、何だか嬉しく思った。やっぱりテクストの力は凄い、とニヤニヤしてしまう一冊になった。本棚で起きる偶然の出会いも良いもんである。

追記。

ところで丁寧に書かれた解説文を読んでいると、キリスト教の到来などで失われて行くアイルランド固有の文化への懐古や憂いも色濃いようだ。確かに詩の中にはいわゆるネガティブな悲しみや虚しさ、時に残酷ささえもあるけれども、しかしながらそういう全てをもひっくるめた人間、あるいは人魚への温かいまなざしが残る感覚がある。というわけで、とにかく素敵な詩集です。

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