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思うこと260

 『グレート・ギャツビー』(村上春樹訳ライブラリー/中央公論社/2006年)を読む。きっかけは母の推薦である。常々「村上春樹の面白さ(あるいは面白いと言われる由縁)は何か」を、彼の著作を読むことで探り合ってきた我々親子。ちなみに、初期短編集の『納屋を焼く』(新潮文庫/1987年)は母も私も納得の面白さであった。ところでその母がある日「グレート・ギャツビー良かったよ。」というメールを送って来た。「村上春樹はこれがやりたかったんだ〜と納得。」と続く報告。そんなに言うなら読まなくては、と意気込み、早速図書館で借りた。

 主に通勤前後のバス停で毎日のように読み続け、あっという間に読了。
村上春樹自身の翻訳だからか、非常に読みやすく、期待通りの名作に思えた。母からは翻訳も春樹であることは聞いておらず、他の訳はたまたま手に取らなかった。だが、実際訳者が違うとどうも読みづらい作品であるらしい。確かに冒頭の出だしはかなり抽象的で、一体何の話が始まるのかかなりイメージしずらかった。しかしながらそこは村上春樹の「力量」とでも言おうか、「ああ〜分かる〜」となんとなく理解できてしまう。物語はよくありそうな(表面上は)男女の浮気話なのだが、それだけでは片付けられない人間のすれ違い、ギャツビーという男、愛の限界、終わり行く景色。簡単に言えばハッピーエンドではないかもしれないが、読み終わったあとの爽涼感は格別である。丸。

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