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思うこと256

 ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』(訳・野谷 文昭/白水社/2017年)を読んだ。「老いた若者」が見ている、という恐怖を抱きつつ、過去についての告白をする神父の話のような気はするが、様々な情景が折り重なって、結局何だったのかはよく分からないというか、よく分かる必要もない気がする。しかしながら、アジェンデ政権からピノチェト軍事政権に至る1970年代チリの怒濤の国内情勢を俯瞰したような描き方には感銘してしまった。

 というのは数年前に、同じくチリ出身の監督であるパトリシオ・グスマン『チリの闘い』、そして『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』を観ていたからだ。それまで私は戦後にチリという国があれほどまでに激動していたことを全く知らなかった。世界史の授業(高校時代のもの)でも多少は触れていたはずだが、かろうじて「アジェンデ」「ピノチェト」という名前を見たことがあるな、という程度の認識に過ぎなかった。とはいえ、チリを知るためにわざわざグスマンの映画を見た訳ではなく、ただ馴染みの小劇場で上映するというのでなんとなく観に行っただけで、ボラーニョにしても、その繋がりで『チリ夜想曲』を手に取ったということでもなく、ただなんとなく、の行動であった。だが、チリという国を背負う上であの時代を無視することは不可能であるし、偶然巡り会ったと言っても「ただの」必然と言ってしまえばその通りなので、とにもかくにもボラーニョは面白い、と分かって良かった、などとありふれた感想を抱く。

 あとがきを参照し次に読む本を考えながら、ホドロフスキーの映画も観ていたことを思い出す。『エル・トポ』と『リアリティのダンス』の2本だけだが、私のこの異様な「チリ接触率」。いつかチリに行くことがあるのだろうか、と遠い南米の国へ思いを馳せつつ、スーパーに並ぶチリ産のシャケを眺めつつ。


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