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思うこと344

 約五年以上も久しく読んでいなかったシェイクスピアを読んだ。過去、『ハムレット』『真夏の夜の夢』『マクベス』の3つを読んだ記憶がある。
その時は古典や純文学を手当たり次第読み漁っている時期だったので、戯曲だからどうとか芝居だから、という点には全く頓着せず、「シェイクスピアくらい読んだ方が良いかな」という軽い気持ちで図書館で借りていた。
 中身はほとんど覚えていないが、セリフの羅列が全く頭に入らないと感じたことは記憶に新しい。そもそも今でもいわゆる「シナリオ形式」を読むのはまだ苦手である。(自分で戯曲を書くくせにこの体たらく!)何かこう、とにかく人物たちが何をしているのかイメージできないし、漠然と文字を追っているだけになってしまうのだ。
 まあともかく、あの頃読んだ中で一番印象深かったのは『ハムレット』だろうか。うわーろくなことがない、と読後虚しくなった。何かだいたいの人が死んだな、という感じ。

 あのシェイクスピア作品にそんな茫漠とした印象しか抱いていない私だが、今回読んだ『リア王』は中々面白かった。以前よりは戯曲を読むようになって多少は形式に慣れてきたのもあるし、最近はぼちぼちギリシャ悲劇を読みだしているので、「あれよりは何言ってるか分かるな…」的な心の気休めができたからということもある。
 あと、冒頭の展開から「?!」となって慌てて調べたのだが、黒澤明の『乱』は『リア王』のオマージュだったんですね!!そのおかげか導入がすんなり理解できたというか、まあ、『乱』を観てなくとも、王が第一線を退くから娘達に土地をあげるからとりあえず父を称えてみよ、って始まり方はかなり分かりやすい。
 三女のコーディリアは父への愛情を上手く述べることができなかったせいで土地を貰うどころか勘当されてフランスに嫁ぎ、長女と次女はそれぞれの思惑によって、まだ王様気取りの父を疎んでみたり、旦那以外の男といちゃついてみたり…。そんな中、リアはだんだん誰も信用できず気が狂ってしまうが、リアを心配したコーディリアが戻ってきてくれて云々かんぬん。
 正直、道化や変装したエドガーが話す言葉遊びみたいな暗喩みたいなそういうセリフは、相変わらず茫然と読むしかなかったが、全体的に非常に面白かった。面白かったけど、ラストシーンはやっぱり凄い虚しかった。いいのかそれで…!?
 あと、諸事情で貧しい姿に変装して身分を隠していたエドガーが(本当はグロスター伯の長男)、やっと身分を明かして敵対するエドマンド(異母兄弟)と対決するシーンは、いかにもドラマチックでちょっと惚れた。

 そんなわけで結構面白いな、と素直に感じることができた『リア王』だったが、おそらく以前『ハムレット』を読んだ時も面白かったとは思っただろうけど、『リア王』より色々ちゃんと事態を把握しながら読んでいなかったと思う。それは『リア王』が分かりやすいからなのか、私が成長したからなのか?
 しかしながら細かいことを言い出すと、『リア王』は別に全然分かりやすくないと思うし、どうやって翻訳するか(あるいは解釈するか)ということで結構訳者の中では色々揉めているようである。(注釈にそういう事情が書いてあった。)そりゃあ、そうじゃなかったらシェイクスピア研究みたいなのがいつまでもあるはずないもんな。数々の隠された言葉というか、そういうのを探索するのは確かに面白そうである。私はやらないけど…。

 そう思うと、読んだはずの『真夏の夜の夢』と『マクベス』、マジで何一つ記憶に残っていない。これはマズイ。もう一回読む必要がある。


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