アコンカグア6

僕がラグビー登山家になるまで 19歳 | 浪人時代の話。

僕がいた明和高校は愛知県下でも有名な進学校であった。部の方針として、「文武両道」を目指していたのだが、恥ずかしながら、当時の僕はその理想とは全くと言っていいほどかけ離れていた。

当時の様子を素直に話すと、勉強しようと机に向かうと、他の仲間が自主トレに励んでいる姿をどうしても想像してしまい、罪悪感みたいなものを感じていた(もちろん、そうではないことを今では充分に理解している)。決して器用ではないと自分自身のことをわかっていたからこそ、高校の3年間は勉強は一旦置いとき、ラグビーに全てをかけていた。

そのためか、引退して初めて受けた11月の模試では散々たる結果であった。確か偏差値は40前後。父親を亡くした事が理由で医学部を目指すことだけ決めていたが、全くもって論外であった。ラグビー部を引退してからセンター試験までの間は確かに真面目に勉強をしていた。しかし、2ヶ月でどうこうなるものではなく、絶望的な結果を受け、これは長期戦になるとの予想があった。そのため、まずは予備校に通うまでの間、自動車学校に通うことにした。

周りの同級生が大学受験を直前に控え、ソワソワしているところ、僕は交通安全の勉強をしていた。いい迷惑であったと思う。


高校を卒業し、それから予備校生活がはじまった。愛知県に住んでいたこともあり、僕は河合塾の医学部クラスに入ることにした。現役時代から医学部を目指し、真面目に勉強に取り組んでいる者に焦点を絞ってカリキュラムが組まれている中、これから勉強しようと思っているゼロの状態の僕には全くもってついていける内容ではなかった。ちゃんとレベルを下げて基礎から学べば良かったのかもしれないが、当時の僕のチンケな自尊心がそれを許さなかった。秋ぐらいまで予習をしようと思っても問題が難しすぎて、何から手がつければいいのか分からなかった。それを周りにバレたくなく、誰とも話さず、ずっとふさぎ込んでいた。悪循環に入っていたと思う。

1年目は惨敗。

そして、2年目。この年を元々ターゲットにしていたのだが、それでもずっと模試ではE判定であった。医学部を舐めていた。僕は当初、勉強時間と成績は比例するものだとの思いがあり、勉強に時間を費やさないから、僕の成績は悪いのだと高校時代は思っていた。しかし、決してそうではなかった。僕の偏差値は頭打ちしており、奇跡的にC判定をとった時もあるが、それでもC判定であった。

この時、母親と喧嘩をしてしまっており、色々と考えた結果、医学部だけの受験は苦しいとの思いに至った。私学も併願せざるを得ないと、この時の選択は結構辛いものがあった。

11歳の頃に父親を亡くしてから僕は医者になるものだとして、ライフプランをデザインしていた。幼き頃の「夢」を達成してこそ、カッコイイ人生なのだと元々考えていた。

しかし、多くの人がそうであるように「夢」を諦めなければならない時というのは現実にある。「切り替え」が必要であり、僕はこの時がまさにそうであった。この悔しさを自分が将来、何かを成し遂げたいと思った時の養分にしてやろうと心の中で誓っていた。



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