三浦宏文 MIURA Hirofumi

インド哲学研究者で主に予備校講師で食べています。それで教育論も研究しています。東洋大学…

三浦宏文 MIURA Hirofumi

インド哲学研究者で主に予備校講師で食べています。それで教育論も研究しています。東洋大学大学院文学研究科仏教学専攻博士課程修了。博士(文学)。著書『絶対弱者』(共著)長崎出版、『インド実在論思想の研究』ノンブル社。最新刊『サブカル仏教学序説』ノンブル社絶賛発売中。

最近の記事

「予備校文化」への一考察

 先日珍しく夜休み取れたので、ゲンロンカフェでのイベント「予備校文化(人文系)を哲学する」を観てきた。mixiやTwitterで交流させてもらっていた入不二さんと初めて直接ご挨拶できてうれしかった。なんと5時間近くにわたる熱い対話が交わされ、ぎっくり腰には堪えたが、本当に面白かった。 私は地方出身なので、ここで論じられた「予備校文化」は書物からの想像の産物でしかなかったが、霜先生、大島先生、入不二先生のショートレクチャーを生で聴けて想像を超えるものだと実感した。予備校文化全盛

    • ワンチームの本義

      研究者や教育者をやっていく上でチームスポーツ、特にラグビーをやっていてよかったと思うのは、身体で凄い奴を体験し嫉妬よりリスペクトを感じる感性を養えたことだ。そしてそんな凄い奴でもこちらが乾坤一擲で狙いすましたタックルで倒す事も出来ると知ったことだ。 この二つを知っていれば、端的に研究教育に萎える事はない。自分との差を見せつけられてもどこか別な所で倒せるのではないかと考える事も出来るし、それを教育で教え子に伝える事も出来る。さらに、自分のやるべき役割は何かをあきらめの形ではな

      • 決められた正解とはどのように決められたのか

        日本の教育はあらかじめ決められた正解に迅速にたどり着くためのもので、主体性を育むにはほど遠い。主体性を育むには自分の頭で考え試行錯誤しなければならいという趣旨の現代文の解説にちょっとだけ違和感を表明してみた。では、そもそもその正解とはどうやって決められたものなのだろうか。 私はラグビーをやっていた。 下手くそだったが、自分なりに練習方法を考えたり攻撃のフォーメーションを提案したりしていた。 だが、タックルだけは別だった。 自分なりに試行錯誤してタックルのやり方を考えていたら

        • 実践<感性>批判の可能性

          西洋系の思想で人間存在を考える上で、なぜ理性からスタートしなければならないのか。同様に東洋系の倫理や思想でも、なぜ社会秩序を治めたり煩悩を鎮めたりするところから始めないといけないのか。 東西の哲学思想の巨匠たちがいる時代と現代は異る。 それを踏まえて、もう一度私自身の立場を建て直しておきたい。 理性を批判するという営みは現在進行形で各所でやっている。 それはそれで学びつつ、私自身がやれる事を定義してみたい。 ざっくり言えば東洋思想は世界観を精密に描こうというよりも自分た

        「予備校文化」への一考察

          心を動かす訓練の必要性

          郷里の長崎を舞台にしたドラマ「君が心をくれたから」が最終回を迎え、私なりには満足した読後感(視聴後感)を反すうしていた時、視聴率とからめて賛否両論がでていた。そのいくつかを読んで、感じた事を書き残しておきたい。 批判的な意見は、本来娯楽であるはずのテレビドラマになぜここまで悲劇が連続したことに中心があった。そして最終的にも、解釈が分かれるかもしれないが常識的に考えたらバッドエンドとしかとれない二人の主人公の内の一人が結局端的に死んでしまうという結末だったことに集中していた。

          心を動かす訓練の必要性

          止められなかった人間の苦悩

          私の教え子たちには最後の授業で話していたことだし、周りの人にはいつも話していたから、ああ、あの話しかという話。 それだけ、私には誰かに話さないと、語り続けないと心のバランスが保てない事柄であったし、今もそうあり続けている。 20代後半の頃、大学院博士後期課程に通いながら小さな塾でも教えていた。 大人しい理系男子高校生に数学、やんちゃな小学生女子に算数と国語、ませた女子中学生には英語と、小さな塾だけになんでも教えていた。 その中に、高校生男子の彼がいた。 彼は元々文系で普通

          止められなかった人間の苦悩

          精神と肉体と生き甲斐と

          東京では今日放送だった「探偵ナイトスクープ」が神回だった。 子供の頃からお父さんと一緒に野球に打ち込んできた少年が、少しずつ自分の肉体的な性と意識とのギャップに苦しみ始める。 中学生にはそれが原因で不登校にもなった。 だが両親や学校の先生、友人たちの理解もあり、その子はやわらかく受け止められて育つ。 高校を経て大学に進学し、そこでかつて打ち込んだ野球と再会する。 美大の野球サークルでは、その子は無敵のピッチャーだった。 その子は野球の面白さと、野球選手として向上する充実感を

          精神と肉体と生き甲斐と

          (ブックレビュー)二重作拓也『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』星海社新書

          一言で言えば、「希望と変革の書」である。本書では、「パフォーマンス」という一部の活動に限定された術後を広く解放し、様々な分野で実際に身体を動かしてなにかをなし遂げようとしている人々の未来を変革する。過分にも発売以前に著者の二重作先生に原稿を読ませて頂く光栄に浴したが、小さなスマホで見るPDF画面からこぼれ出る情熱とアイデアがまぶしかった。 本書はまず人間が「動物」と定義される以上免れない「運動」を脳との関係で見直して行く。西洋系の哲学では伝統的であった「心身二元論」という「

          (ブックレビュー)二重作拓也『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』星海社新書

          代弁者と当事者

          もう20年以上前になる。 私が大学院の修士課程を終わるぐらいの年、私は自分の興味で色々な学部学科の授業に出たりしていたことで、他学部他学科の先生方とも懇意にさせて頂いていた。 そんなある時、いつも仲間たちと行くカラオケに見知った他学部の先生がいた。 その先生はお仲間とカラオケだったようで、会釈して自分の部屋に行こうとしたが、手招きされてその部屋に誘われた。まあ挨拶だけして帰ろうと思って入り、いつものようにギャグで笑わせながら自分は歌わず先生方の歌を拍手やカラオケで盛り上げた

          愛の原型

          テレビ東京の2時間ドラマ「駐在刑事」は毎回面白くて観ているのだが、今回も色々考えさせられた。 憧れの日本に夢を見て来日した韓国人青年が、隣人のシングルマザーの娘と仲よくなる。シングルマザーはDV加害者から逃げるために戸籍を替え娘を学校に行かせることが出来なかった。そんな事情を知った韓国人青年は、そのシングルマザーが亡くなった後、残された娘の父になろうと決意する。 ネタバレを最小限におさえてかくと、こういう感じで韓国人青年は日本人の無戸籍少女を思いやることになった。 この青年

          その恩師凶暴につき

          もう20年近く前になってしまったが、私がまだ30代で博士論文を書いていた時の話。 厳しいことで有名な教授が私の博士論文の副査(副審査委員)になった。 そこから地獄が始まった。 横浜の予備校で午前中の授業を済ませた後、東海道線に乗って東京都にある大学に向かう。その東海道線の時点で胸がバクバクする。その教授に博士論文の出来た分をその都度もってこいと言われていたからだ。 私の直属の恩師になる主査(研究指導者)の先生は、サンスクリット語の権威だったので語学的な部分と原典をしっか

          その恩師凶暴につき

          うちの父ちゃん

          戦前に朝鮮半島で毛糸の卸屋をやっていた祖父母の家が、祖父の戦死と日本の敗戦でまずい状況になった。未亡人の祖母と当時3歳の母は、幸いにも家族同然のつき合いをしていた朝鮮半島出身の店員さんたちの助けもあり、命からがら祖母の実家の島原半島に帰ってきた。 その後、祖母の弟が戦地から帰ってきた。母には叔父に当たる人で、背が高く颯爽とした将校の姿で帰ってきた。母にとって祖父は生まれる前に出征し赤ん坊の時に一度だけ再会しただけで、記憶にはなかった。そんな母には初めて会う大人の肉親の堂々と

          大家はなぜ「正解はない」と言いたくなるのか

          現代文や小論文の課題文で著名な論者の「世の中には正解などない」という主張を散見するが、時折その論が大上段からすぎて違和感を感じることがある。スポーツや武道をやっている人は分かると思うが、「ルールがはっきりしている勝負に勝つ」という目的であれば正解とは言わないまでも最適解はある。 世の中にスポーツや武道の絶対的強者がいるのが証拠だ。その人たちは闇雲に自己流で正解を見つけ出したりしない。先人が見つけた最適解をもとに周囲の人たちと協力しながら強者という立場にたどり着く。それまでの

          大家はなぜ「正解はない」と言いたくなるのか

          性自認に対する哲学的一考察

          今話題にっている性自認の問題について考えたことをまとめておきたい。 性の自認重視の問題は、西洋的な心身二元論の伝統と東洋的な心理重視の伝統のキメラ的な結合だという感想を持っている。 性同一性障害は身体と精神を一体化させようという心身一体の素朴な人間観に接続していて、理解も共感もしやすい。だが肉体と精神が別であり、かつ精神が優位だという思考はそれとは異なる思考だ。 この思考の構造をシンプルに考えれば、心身二元論を前提にしつつ、そこに肉体への精神優位説を接続しての立論になっ

          性自認に対する哲学的一考察

          風流のポテンシャル

          今日帰りに満月が出ていた。 合わせるように、虫の音が聞こえていた。 一番稼働時間が長い火曜日に、この二つに出会えたことで なんだか、心がゆったりとなれた。 ふと思ったのだが、風流という概念を思いついた人ってこういう気持ちだったのかではないか。 風流は、自然や物資的なものに出会って、その美しさやかわらしさやのどかさで、自分の感情の刺(とげ)や欠けをゆるやかに埋めて行く体験を指すことばではなかったか、と。 純粋に美しいものは、時に攻撃的でもある。 深みのある物語や哲学思想に感

          風流のポテンシャル

          会ったことのない祖父へ

          母から聞いた祖父とのエピソード。 お腹の中に母がいた時に、祖父は海軍に招集された。 だから母は父の、私の祖父の顔を写真でしか知らない。 だが、本当は一度だけ母は父である私の祖父と会ったことがあるらしい。 これは祖母から聞いた話だそうだ。 招集で海軍軍人になった祖父が、休暇で家に帰ってきたのか、祖母と母で休暇の祖父を訪ねたのか定かではないそうだが、とにかく祖母と母と面会したことがあったらしい。 面会に来た美人の祖母を見て、 「おい、こんな美人、周りがほっておくわけがな

          会ったことのない祖父へ