うちの父ちゃん

戦前に朝鮮半島で毛糸の卸屋をやっていた祖父母の家が、祖父の戦死と日本の敗戦でまずい状況になった。未亡人の祖母と当時3歳の母は、幸いにも家族同然のつき合いをしていた朝鮮半島出身の店員さんたちの助けもあり、命からがら祖母の実家の島原半島に帰ってきた。

その後、祖母の弟が戦地から帰ってきた。母には叔父に当たる人で、背が高く颯爽とした将校の姿で帰ってきた。母にとって祖父は生まれる前に出征し赤ん坊の時に一度だけ再会しただけで、記憶にはなかった。そんな母には初めて会う大人の肉親の堂々とした男性であった。一緒にいる同年代の従兄弟たちが「父ちゃん」と呼ぶのを真似して、母は祖母の弟を「父ちゃん」と呼んだ。祖母の弟はやさしい笑顔でその呼びかけに答えた。

だが当然正確ではないその呼称に異論を呈する者が出てくる。母が背中であやしていた弟のような存在の従弟が成長し、母に対して反攻するようになり「俺の父ちゃんだ!父ちゃんって言うな!」と怒り出す。母は年上で姉的な存在だった余裕もあったのか「うちの父ちゃんは父ちゃんだ!」と言い返す。その母の迫力に従弟も黙った。祖母の弟は、「おいは、みんなの父ちゃんたい」と笑って二人を抱きしめた。いつのまにか母も母の姉も他の従兄も、祖母の弟は抱きしめていた。

祖母は私が小学生の時に亡くなったが、祖母の弟は長生きで10年ほど前まで存命だった。私も何度か会ったことがある。純朴な農家のおじいさんで、鼻毛が長いなというのが第一印象だった。だが、その祖母の弟の昔の写真を見せてもらい、こんなに長身のイケメンだったのかという意外な印象を受けたことを覚えている。

人間って、その時間だけを生きているのではない。その時間に至る過去を現在に背負って、さらにその先の未来に向かって生きている。当たり前のことだが、忘れがちなことだ。

その祖母の弟=父ちゃんが亡くなった時の母の動揺は忘れない。「父ちゃんが。父ちゃんが死んでしまった」と泣き崩れていた。祖母の弟は、本当に母の父ちゃんだった。血のつながりではない。お互いの愛と思いやりで。

母には、父ちゃんが二人いいる。
幼児の時に自分では意識しているかしていないか分からず、数多くの海軍将校の背中の中で、はいはいしながら選んだ背中の父ちゃんと。
全てを失って引き上げてきた時に、全身で「おいが父ちゃんたい」といってくれた叔父さんと。
切ないけど、その分愛が倍だなと思ったな。

二人の父ちゃん、ありがとう。
不肖の孫は、きちんとその家族への愛を受け継ぎます。

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