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【小説】 万里子


「今どきの若者は何を考えているかわからない」
テレビから街頭インタビューに答えたおじさんの声が聞こえる。
若者って何歳までのことを言うのだろう…万里子は風呂上がりの缶ビールを片手にふと思った。90歳のおばあちゃんから見れば40歳でも50歳でも若者だろう。27歳の万里子なんてまだまだひよっこに思われるかもしれない。
でも10代の中高生から見れば…?


万里子はビールを飲みながら冷蔵庫を開け、会社帰りに買ってきたショートケーキを取り出した。誕生日に自分のためにケーキを買うのもそれを一人で食べるのももう抵抗が無くなっていた。
ビールとケーキなんてわかってはいたけど相性最悪だと思っていたとき玄関のチャイムが鳴った。扉を開けるとそこには同僚の新見さんがいた。
「今日櫻井さん誕生日だよね?お祝いしようと思って…」
と手に持っている日本酒の瓶を掲げる。正直万里子は驚いた。新見さんと言えば物静かで有名でほとんどしゃべったことがない。万里子の誕生日や住所を知っているとは思えなかったし、なぜ誕生日を祝ってくれるのかもわからなかった。とはいえ追い返すのも気が引けて万里子はとりあえず新見さんを部屋に上げた。

「居心地のいい部屋ね。」
そう言いながら新見さんは持ってきた日本酒をあける。
「ずっとここに住んでるの?」
「うーん、入社して以来だから5年くらい。」
「そう。変わらないのが一番ね。」

戸惑いながらケーキを冷蔵庫に片づけグラスを出す万里子をよそに、新見さんはわが部屋のようにくつろぎ話しかけてくる。
「仕事、楽しい?」
「うん。まあ。」
「そう。うちの会社、刺激はないけど安定してるもんね。私なんかここ2、3年やってる仕事変わらないわ。櫻井さんはどう?」
「私も変わんないよ。ほとんど毎日同じことしてる。」
「ふふ…やっぱりそうよね。けどいつも同じ仕事をしてるだけで毎月お給料もらえるんだもん、やっぱりいいわよね。今世の中フリーランスの人増えてるって言うけど、ああいう人たちは不安じゃないのかしら。自分でやっていけるっていう自信がよっぽどあるのね。何があるかわからない世の中だもん、私たちには怖くてそんなこと無理よね~。」

ほほ笑みながらしゃべり続ける新見さんを見ていると万里子はだんだんイライラしてきた。たいして仲良くもないのにいきなり家にきて、誕生日を祝うと言いつつ一人でしゃべり続けている。しかもよく知りもしないのに勝手に自分と新見さんを一緒にしてほしくないと思った。
「そりゃあ私だって自由にしてる人たちをみるといいなあと思うのよ?でももうこの歳だもん、転職したり新しいこと始めたりなんてきついじゃない?そろそろ結婚とかも考えないといけないしね~。櫻井さんは結婚とかは…」

万里子のイライラが沸点に達し叫びそうになった時、また玄関のチャイムが鳴った。新見さんから逃げるようにして扉を開けると水色のサングラスをかけた金髪メッシュの男の子が立っていた。明らかに知らない人で不審に思って扉を閉めかけた時、奥にいた新見さんが「あー、真くんこっちこっち」と手招きをした。
あの新見さんとこの金髪が知り合いなんてことがあるのだろうかと万里子が考えている間に金髪メッシュは堂々と万里子の前を通り過ぎ、新見さんと向かい合うようにして座った。

「この人だれ?」
万里子は険を含んだ声で新見さんに訊いた。
「あーこの子は真くん。私の知り合いなの。ついてきちゃったみたい。
真くん、この人は私の同僚の櫻井万里子さん。今日は櫻井さんの誕生日だから一緒に祝ってあげてね。」
真くんなる人物は万里子をちらっと見て首だけで会釈した。万里子の頭にありとあらゆる疑問が浮かんだがその間も新見さんがしゃべり続けているので口を挟めず、結局見た目からして相容れなさそうなこの二人の間に黙って座ることしかできなかった。

「今ね、櫻井さんと仕事について話してたの。今の会社辞めるなんて私たちには無理よねーって。」
「…なんで無理なんすか。」
「だってせっかく就職したのに辞めるなんてもったいないじゃない。」
「ホントは会社辞めたいんすか。」
「いや、辞めたいわけじゃないのよ。ただ毎日同じ仕事ばっかりで刺激がないよねって。自由に好きなことやってる人たちに憧れるけど私たち歳も歳だし今さら何かしようったって無理じゃない。それに無職になるのよ?どうやって食べていくのよ」
「またほかの仕事探せば?新見さんはなんかやりたいことないんすか?」
「やりたいこと?…特にないわよ。それにね、みんながみんなやりたいことやってうまくいくはずがないのよ。好き勝手暮らしてるのは真くんくらいよ。」
「そんなことないっすよ。それに俺は好き勝手暮らしてるわけじゃないし。
・・・万里子はなんかやりたいことないの?」

突然呼び捨てとタメ口で話を振られて万里子はびっくりしたが真くんの目は真剣だったので考え込んでしまった。
やりたいこと…昔から大好きだった油絵、今は実家の押し入れの隅にあるであろう油絵の具の道具箱が浮かんだ。
「それ、万里子のやりたいことなんだ。」
頭に浮かんだだけでまだ何も口に出してないのに真くんが人を見透かしたように言ってきたから万里子はぎょっとしたが、何か言い返す間もなくすぐにまた新見さんが話し始めてしまった。

「やりたいことあったとしても今更どうすんのよ。仕事辞めてそっちやれっていうの?無理に決まってんじゃない。」
「なんでそう無理無理っていうんすか。だって仕事つまらないんでしょ?つまらないことやるより自分が楽しいことやれば?」
「そんな簡単に言わないの。」
「じゃあ一生このままでいいんすか。俺なら…」
二人が言い争いをしている横で万里子は毎日毎日仕事に行きデスクに座り液晶画面に数字を打ち込んでそのまま老けていく自分を想像して吐きそうになった。

「大丈夫?」
心配そうに新見さんが覗き込み、真くんは横目で万里子を見ながら静かに日本酒を飲んでいる。いっそケーキもビールも日本酒も全部吐き出してしまえばラクになるのかもしれないがそれもできず、だんだん情けなくなってきて気づくと涙があふれていた。
「帰って…」
「え?」
「帰って。一人にして。」
「でも…」
「帰ってって言ってるでしょ!」
万里子は大声を出すと夢中で二人を玄関まで追い立てた。それでも声をかけてくる新見さんとずっと黙ったまま何を考えているかわからない真くんを外に追い出し、万里子は玄関でわんわん泣いた。訳が分からないままただただ出てくる涙は止めることはできなかった。
万里子の中でなにかが崩壊していく音が聞こえた。



どのくらい泣いただろうか。
万里子は机の上を見て驚いた。そこには新見さんが持ってきた日本酒や真くんが飲んでいたグラスは1つもなく、ただ元通り万里子の食べかけのケーキと缶ビールが置いてあるだけでさっきまでそこに他人がいた気配すらなかった。

自分は少し疲れすぎているのかもしれない、万里子はそう思った。
冷蔵庫から新たに冷えたビールを取り出し窓を開けた。
冷たい夜風が頬に気持ち良い。



次の日、入社して以来5年間無遅刻無欠席だった万里子は、会社を休んだ。











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