『石のまくらに』(『一人称単数』より』
『石のまくらに』(『一人称単数』より』
村上春樹著
一言でいうと、大学生の「僕」がバイト先で知り合った女性(ちほ)と、彼女の送別会の日に結ばれる。ちほには、大好きな男性が、いるのだけど、その彼には恋人がいる。ときどき、その彼は、ちほの身体を求めてくると、ちほは、ホイそれと喜んで彼のもとに行くのだという。そんな、ちほは、短歌を詠む。そして、彼女の短歌集『石のまくらに』が「僕」に届く。という物語。
①「石のまくら」とは?
古墳時代に、遺体の頭部を安置するために使われた石製の枕を指す。
そのため、死を表していると思った。
②「喜びと悲しみの間にある多くの事象が、その位置関係みたいなものが、まだうまく見極められなかっただけだ。」とは?
人生の出来事や経験が複雑であり、それらが同時に喜びと悲しみを引き起こすことがあるという。しかし、これらの感情や経験がどのように相互作用し、どのように影響を与え合っているのかを理解するのは難しいということなのだけど、わかりにくいなあ。第三者から見ると、悲しいことなのに、その中に本人は喜びを感じているような状況があるということを理解できないでいたということなのだと理解した。
この物語の主題は何か?
究極的には、人間、行き着く先は死なのだということ。
「生きることは死に向かう旅にすぎず、人は生まれたその瞬間から、日々、死に向かってゆくものだ」(セネカ) それが、ちほの短歌集のタイトル「石のまくらに」の意味するところ。
その道中に遭遇する「喜びと悲しみの間にある事象」が、人生だということ。その短歌集には、ちほの心の矛盾の叫びが、込められている。身体だけを求める彼と会う喜びと悲しみであり、「僕」との交わりに垣間見る喜びと悲しみだったりする。でも、そういう事象はすべて、最終的には塵になるということ。"もののあはれ"ということなのだと思った。
ちなみに
石のまくらについて、別の考え方もある。
聖書のエピソード(創世記28章10-22節)で、ヤコブが石を枕にして眠っていると夢の中でヤコブは、天につながる階段(ヤコブのはしご)を見て、神がヤコブの子孫を祝福すると告げる。というものがあるのだけど、だいぶ解釈は変わってくる。
アポトーシス