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短編小説|ガラス瓶の中の王子様

 真冬の海に吹く、突き刺してくるような冷たい風は、私を見る両親の突き刺すような視線とよく似ている。
 耳の中をくすぐってくるような、さざめく波の音は、家の中で飛び交う両親の罵声と同じ不快感を与えてくる。
 夏場は胸焼けしそうなほどの活気に満ちているこの海も、冬になれば閑古鳥の鳴き声がはっきりと聞こえてしまうほどに寂れている。
 誰の足にも荒らされていない真っ白な砂浜は、夕焼け空を反射してキラキラと輝いていた。

 吹き付ける風は相変わらず冷たくて、私の長い髪をグシャグシャにかき乱してくるけど、元々髪なんてセットしてなかったから、気にすることなく浜辺へと歩いていく。
 何の防寒具もつけていない学生服姿では、どうやら真冬の海の寒さに耐えることは難しいらしく、私の体は今までにないくらい激しく震えている。
 鼻から入ってくる空気が、私の体を内側から凍らせてきて、心も体も芯から凍っていくようだった。

 だけど、私はそれすらも気にしていない。

 だって、私の心も体も、すでに冷たく・固く凍り付いてしまっているから。

 一歩、一歩と浜辺に近づいていくたびに、サラサラだった砂浜が徐々に水気を帯びていき、私の足跡がより鮮明に砂浜に残っていく。
 引き潮に濡れた砂浜は、まるで鏡のようで、もしかしたら今私が立っているこの世界が偽物で、砂浜に映る世界の方が本物なんじゃないか、と錯覚させるほどに美しく世界を映していた。
 ちゃぷ……ちゃぷ……と、次第に一歩が奏でる音色が瑞々しく変わっていく。

 ちゃぷ……ちゃぷ……

 ちゃぶ……じゃぶ……

 ざば……ザバ……

 足先が完全に海水に呑まれ、低温のせいか完全に感覚が無くなっている。
 それでも、私は歩みを止めることはなかった。
 ザバ……ザバ……と、一歩を踏みしめるたびに体が海水に呑まれて行く。感覚が徐々に失われて行く。
 ほんの少し、恐怖はあったけれど、今更引き返そうなんて思わない。

「やめておきなさい。うら若き少女よ」

 波の音に紛れて、小さく、それでいてどこか自信に満ちたような男の声が聞こえた気がした。
 私以外にこの浜辺に人がいないことは確認済み。私を止める声なんて聞こえるはずがない。
 だけど、確かに聞こえてきた声の正体が気になって、周囲を見渡してみるけれど、人影はまったく見当たらない。

 幻聴……かな?

 まったく、幻聴が聞こえてしまうほどに追い詰められていたなんて。早いところ終わらせなくちゃ。

「おーい、お嬢さん。聞こえているかい?」

 やっと終わる。やっと終わらせられるって時に。

「今振り返ったよね? 僕の声、完全に聞こえてるよね?」

 こんな変な幻聴に耳を貸しちゃダメ。私は、もう……

「人の話はよく聞くものだよ。いいからその歩みを止めなさい」

 私、は……

「おーい! 聞こえているんだろ? お――い、お――」

「あぁもう! うるっさいわね!」

 一向に鳴りやむことのない幻聴にイライラが収まらず、思わず文句を言ってしまった。
 末期だ。幻聴に文句を言うなんて、いよいよダメだな私。

「やっと、返事をしてくれたね」

 コンコンッと何か固いものを叩く音が聞こえた。
 ゆっくりと視線を音のした方に落としてみると、そこには波に流されたのであろう一つの綺麗なガラス瓶が置いてあった。
 日光に照らされて表面が輝いているからよく見えないけど、中に何かが入っている。
 来た道を戻ってガラス瓶を手に取ってみると、そこには異国の王子様のような恰好をした、金髪の美青年の人形が入っていた。

「やぁ、僕の名前はアレックス。君の名前は?」
「さ……斎藤さいとうあずさです」

 あまりにも流れがスムーズすぎて、自然と自己紹介をしてしまった。
 私が拾ったガラス瓶の中には、人形のような王子様が入っていたのだ。


◆  ◆  ◆


「さて、梓さん……だったかな?」
「はぁ……」

 ガラス瓶の中に入った自称王子様、アレックスを拾った私は、いったん海から出て砂浜に座り、アレックスの話を聞くことにした。
 足先が海水に濡れているせいで、吹きつける風の冷たさがより鮮明に体に伝わってくる。
 先ほどまで無くなっていた足の感覚も徐々に戻ってきていて、靴の中の濡れた靴下がぐちょぐちょと指先に気持ちの悪い感触を与えてくる。

「梓さん。君、なんで死のうとしてたんだい?」

 アレックスは、何も躊躇する様子もなくストレートに疑問と飛ばしてきた。

「……どうして、私が死のうとしていたと思ったの?」
「真冬の海に女性が一人、沖へ向かって歩いている。誰が見たって死のうとしているようにしか見えないさ」

 確かに、私は死のうとしていた。
 海で入水自殺なんて苦しさしか残らないような自殺方法を選ぶなんて、私も物好きよね。

「それに、君のそのやさぐれた表情が『今から死にますね』とはっきりと申していたぞ」

 などとキザな顔で言ってくるアレックスに、無性に腹が立ってくる。

「梓さん。君はまだ若いだろう? 君の未来はこれからじゃないか。どうして死のうとするんだい?」

 アレックスの問いを聞いて、私は嫌でも今までの記憶を思い出してしまう。
 吹き付ける風がより一層強まった気がして、体がガタガタと悲鳴を上げるように震える。上野派と下の歯が、ガチガチと音を立てて小刻みに衝突する。
 こんな話をアレックスにしたところで、何も変わらない。
 だけど、なぜだか無意識的に言葉を紡いでいた。

「うち、親がすっごく仲が悪くてさ。毎日毎日喧嘩ばかり。お父さんはすぐに暴力ふるってくるし、お母さんは私に理想ばかり押し付けてくるし。もう、そんな生活疲れちゃったの」

 この十七年間、お母さんとお父さんが仲良くしている姿を見た記憶はない。
 毎日のように起こる喧嘩は、私が止めないと事件になりそうなくらい激化するし、私がいなかったら二人はもうとっくに離婚しているだろう。
 一応、親には育ててもらった恩があるから今まで何とか二人の仲を保つように努力してきたけど、それももう疲れてしまった。

「だから、もう楽になりたいの。お父さんとお母さんには悪いけど、私にはもう耐えられないから」

 私がいなくなったら、二人はどうなってしまうのかな?
 自分たちのせいで娘が死んだとなったら、さすがに反省して仲直りしてくれるかな?
 それとも、対して気にすることなくいつも通り喧嘩ばかりするのかな?
 仲直り……しててほしいな。

「……梓さんは、とっても優しいんだね」
「え?」

 ガラス瓶から聞こえてきた柔らかい声に少しだけ驚く。
 私の目に映ったアレックスは、今までのキザでムカつく表情が一切感じられない、どこか温かい、優しい顔をしていた。

「君は今、親のために死のうとしていたんだろう? 自分が死ねば、反省して父親と母親が仲直りするんじゃないかって。顔にそう書いていた」

 そう言い当てられて、私は驚き身を引いてしまう。

「この寒い時期に海での入水自殺を選択するのも妙だ。きっと、君なりにできるだけ周りに迷惑をかけない方法で死のうと考え、導いた答え何だろう?」

 これまた図星を突かれ、私は思わず逃げるように顔を俯かせた。
 事故による自殺、投身自殺、焼身自殺、自傷行為。
 ひとえに自殺と言っても、方法はいくらでもあるし、入水自殺よりも楽な死に方なんていくらでもあった。
 でも、そのほとんどが周りの人や交通機関、環境に影響を与えるもの。自分の死体を他人に見せてしまう可能性があり、精神的なショックを与えてしまうかもしれないなど、周りに迷惑をかけてしまうものばかりだった。
 海での入水自殺であれば、交通機関などに影響を与えることもなく、うまくいけば私の死体を誰も見ることなく死ぬことができる。
 私は、死ぬときにまで周りに迷惑をかけたいなんて思えなかった。

「君は優しい。そんな優しい君が死ぬなんて、じつにもったいないことだよ」

 この人は、私の心を本当に見透かしてしまっているのだろうか?

「だから、僕が君の王子様になってあげよう」
「……は?」

 先ほどまでの優しい表情がはがれ、再びキザでムカつく表情に戻ってしまった。

「僕が君の王子様になって、君に救いの手を差し伸べてあげよう。どうだ? 嬉しいだろう?」

 生意気に笑ったその表情はやっぱりムカつくけど、やっぱりどこか温かい。

「……私、王子さまは高身長でイケメンじゃないと受け入れられないんだけど?」
「何を言うか! 身長が低いことは認めざるを得ないが、顔はイケメンだと自負しているぞ!」

 あまりにも自信満々に告げるアレックスの姿が妙に面白くて、私は思わず吹き出してしまう。
 笑うでない、と小さい体で抗議してくるアレックスの姿を見て、私の笑いはさらに加速した。
 夕暮れの海は、まるで鏡の中の世界のように美しく輝いていて、冷たい風が私の頬を優しく撫でる。

 私の体は、もう震えることを忘れてしまっていた。


~END~


今回の小説は、下に載せた写真から連想して執筆させていただいた小説になります。
同じく小説家を目指す仲間の一人が「写真から小説を書いてみよう」と提案し、それで執筆してみようということになりました。


#短編小説
#写真から物語を

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