見出し画像

「顔」を書く 感想文「ぼくらの文章教室」

人の心を動かす文章ってなんだろう。

バラエティ番組で、山の中にポツンと建つ一軒家に住む人を取材したり、激レアな経験を持つ人を紹介する番組を見かける。日本の1億人のうちの数十人、数百人しか経験し得ない特殊な経験を持つ人。
人気アイドルや有名な俳優さんなんかもそうだろう。
彼らは、市井の人には見ることのない景色を見て、知識を得て、周りの人を「すごい!」と感嘆させる経験を積んでいる。
そんな人の特別な経験を読んだり、知識をもらったりすることは面白い。
その人の壮絶な人生に、心打たれる。

だけど、私を含めて多くの人は、そんなすごい経験はしていない。
大抵は、朝起きて、ご飯を食べ、満員電車に揺られながら(もしくは、渋滞に巻かれながら)出勤し、できない自分をなぐさめながら仕事をこなし、残業して帰って、晩御飯を食べ、風呂に入って寝る。
子供や介護が必要な家族がいれば、自分の時間を削って寄り添い、話し相手になったり、喧嘩したり。
大きなことは起こらない。突然、宝くじにも当たらないし、国立競技場を満席にするコンサートの舞台に立ったりしないし、アカデミー賞ももらえないし、九死に一生も得ない。
私もまた、人生経験値の低さに迷う一人だ。

そんな私たちに、心を打つ文章は書けないのだろうか。
文章を書く資格はないのだろうか。

高橋源一郎さんの「ぼくらの文章講座」を読んだ。


名文として、一番はじめに引用されたのは、遺書だった。
文字はカタカナとひらがなが入り混じり、誤字だらけ。方言の話し言葉そのままで読みづらく、文法だって間違っている。
わずか10行ほどの文章に、胸を鷲掴みにされた。涙が出た。

書いたのは、木村センという女性。借金のある木村家のため、家族のため、身を粉にして一心不乱に働いてきたが、年老いて大腿骨を骨折。寝足りきりなった自分を「役立たず」だと、自宅で縊死したそうだ。享年64歳。
戦前の多くの貧しい農家の子がそうであったように、センもまた、小学校に通うこともままならず、字を書くことさえできなかった。
寝たきりなったセンは、自宅で字の練習している小学生の孫の隣で、一緒に字の練習をした。遺書を書くためだ。
「自分が役立たずになって申し訳ない」「お墓の側の木の枝を切ってくれ」そう言い残したかった。だから、彼女は字を学んだ。

高橋先生は、この文章が人々の心を打つ理由を解説してくれた。

1 伝えたいことがあった。

彼女は、自分がなぜ死ぬのか、死んだあとどうして欲しいのかを家族に伝えたかった。
生きていれば、話して伝えることができる。だから文章はいらない。
だけど、死んだ人は話せない。書いて残すしかなかった。

2 伝えたい人がいた

彼女は、家族に自分の思いを伝えたかった。
家族の顔を思い浮かべながら書いただろう。彼女の書いた言葉は、いつも彼女は家族に対して使っている言葉だ。センの地方の方言のわからない私たちには理解できなくても、センの家族は、理解できる。それでよかった。

センは、家族に伝えたいことがあって遺書を書いた。だだそれだけだ。
なのに、時代を越え、全く関係のない土地に住む私にも刺さるのか。

高橋先生は言う。

人間は全て「顔」を持っている。目が二つ、口は一つ、耳に鼻、眉毛。ほとんど同じなのに、全部が違う。それが「顔」だ。(中略)
センの文章は、センの「顔」だ。労働の果てに死んでいった無名の農夫の「顔」が、そこにある。(中略)
センは、ただ、ことばの連なりにすぎない「文章」というものを、「顔」にすることができたのである。

センの書いた文章には、センのしわくちゃの顔が、背中を丸めて遺書を書くセンの姿が、貧しくて働きづめて自分を押し殺して生きてきた、64年のセンの人生が、センが閉じ込めた言葉が浮かび上がる。

それこそが文章の「顔」
伝えたいことがあり、伝えたい人がいる。

「顔」のある文章を書きたい。
誰かの言葉を真似たんじゃなくて、自分の心の底から浮かび上がる言葉を使って書きたい。
私の文章をまっすぐだと評してくださることがある。
変化球は書けない。冗談も苦手だし、空気も読めない。
取り柄はまっすぐに書くことだけだ。
だから、私は上手く書いてやろうとか、ひねりをきかせてやろうとか、自分を2倍、よく見せようとか、しちゃいけないんだ。
ただ、私の「顔」が見えるように書く。

誰かに向けて書いたとしても、自分に向けて書いたとしても、ただまっすぐに、自分の心のうちを正直に書きたい。

この記事が参加している募集

推薦図書

サポートいただけると、明日への励みなります。